2話『スカウト』
――最終的な結果。
「グルォォォォォォォ……――」
ジルガルムは、低く唸るような断末魔を最後に地面に倒れる。
ズドォォォォォォォォン――。
重い地響きが土埃をまとって、周囲の大気を揺るがせた。
「討伐完了」
右手に持った、光の粒子を輝かせる宙を斬る。
すると剣は、まばゆい光を発して消えた。
ジルガルムがピクリとも動かなくなって数瞬たつと、蒼い光を煌めかせながら徐々に透過を始める。
最後に大量の光を拡散させて、跡形もなく存在を消してしまった。
入れ替わりで巨躯が横たわっていた場所に、無機質なウインドウとメッセージが表示される。
リザルト
『討伐ランク@SSS/獲得経験値@〇pt/獲得ゴールド@一一〇〇〇G/ドロップアイテム@最高質の毛皮、ジルガルムの鋭牙、ラム肉』
「おいこら、ラム肉って胃の中から出て来ただろ」
食材系アイテムは調理して食せるが、たとえ鮮肉でも、入手先が入手先なので食べる気にはなれない。
捨てよう。
空中にメニューウインドウを表示して、アイテムリストから『ラム肉』を選択する。すると、アイテム名の横にもう一つ小さなウインドウが表示された。
選択内容は上から順に『詳細情報』、『具現化』、『破棄』の三項目だ。
俺は『破棄』を選択。本当に破棄してもよろしいですか、と最終確認を求められる。
「捨て……す、捨て――る、よな」
『はい』のボタンをタッチすれば破棄完了なのだが……俺の指は『はい』ボタンの数ミリ前で止まっていた。
いいのか? 本当にいいのか?
確かにいたいけな羊を狩ったのは、ジルガルムかも知れない。
だがしかし、羊の恩恵を今手にしているのは俺だ。
ここで破棄すれば、食べ物を……羊の命を無駄にすることになる。
究極の選択。震える指の行く先は――
当然ながら『破棄』だった。
軽い破棄の効果音とともに、アイテムリストからラム肉は消えた。
羊よ、永遠に。
この後、スタッフが美味しくいただきました?
「あ、売却しても良かったか」
でも、それはそれで、ほかのユーザーの手に渡るので、こう……後味が悪くなりそうだ。
そしてラム肉に意識を取られていたが、結局<ジルガルムの紅眼>は落なかった。
まぁ……超低確率だし仕方ない。確か確率は○.○○○一パーセントと、ソシャゲの課金ガチャで最上位レアを入手するよりも低いのだ。
とりあえずは、ジルガルムの固有アイテムである鋭牙は落ちたから良しとしよう。
「さてと、いったん街に帰るか……」
メニューウインドウの右上に位置する、閉じるボタンをタッチして呟く。
――その瞬間。タイミングを見計らったように、右方から拍手が聞こえてきた。
「お見事でした」
「なっ!?」
予想外にも予想外の出来事に、背筋にヒヤリと薄ら寒い衝撃が走る。
反射的に音がした方向を見て臨戦態勢に入った。視線の先には、確かに先ほどまで姿のなかった中肉中背の男性が佇んでいるではないか。
俺と比較して、身長は一七五センチ前後だろう。
くそっ、全然気付かなかった。
男性は紺色スーツに茶革製の中折れ帽といったファッションで、どこか大人の落ち着いた印象を受ける。
俺の複雑な心境を知ってか知らずか、細目を緩めてニコニコ読めない笑みを浮かべていた。典型的な物語ならば、中盤以降に裏切りそうな雰囲気だ。
対処方法を慎重に考えていると、男性は口を開いた。
「――『巨銀狼・ジルガルム』。別名『平原の主』。二時間ごとに湧出する、時間湧き最上級モンスター。ガルムのボスで、おもな攻撃方法は鋭利に尖った牙と爪による鋭撃と、四mを超える巨大な体を使った体当たりです」
何を話すかと思えば、男性が始めたのはジルガルムの説明だった。
同時にゆっくり近づいてくる。
歩く動作に一切の無駄はなく足音は低い。いつでも行動できるように集中していると、男性は俺と二歩分距離を置いた位置で止まった。
男性は俺を品定めするように、足のつま先から頭のてっぺんまで目を走らせる。
こいつ何がしたんだ?
「非常に堅い銀毛と巨躯ながら鋭敏な動きは、プレイヤーを悩ませる最大の種ですね。通常、レベルカンストしたプレイヤー一〇人がパーティを組んで、ようやく倒せる強敵です。――はて? 周囲にはリョウさましかいないようですね」
男性はわざとらしく周囲を見渡して首を捻った。
……なんとなく、言いたいことが分かった気がするな。
「俺が不正してるって言いたいのか?」
「滅相もない。無礼を承知で戦闘の一部始終を見させていただきましたが、そのような如何わしい行為は一切されていませんでした」
「は? 俺が来た時、誰もいなかったはずだぞ」
俺には男性の言葉が理解できなかった。
ここに来た時、周囲には誰ひとりいなかったはずだ。確かに入念に確認しているから間違いない。
「私は確かにいましたよ。『さあ――舞台も準備も整ったぜ。来いよ、俺を楽しませてくれ』という言葉を聞いています」
「…………――」
一言一句、間違いなく俺の言葉だった。
ということは俺がこの場に着いた時点で既にいたと言うのか? ……こんな何もないフィールドで見逃したのか?
全身に緊張が奔る。俺の男性に対する警戒心が強まった。
「危害を与えるつもりはないので、どうか力を抜いてください」
困ったように苦笑いを浮かべると、男性は敵意がないと言わんばかりに胸の下で手を組む。
「じゃあ、なんの用だ。まさか……理由もなく、こんな辺境に来たなんて言わないよな?」
「リョウさまのバトルスキルを見込んで、スカウトしに来ました」
「なんだよ。……あんた、ギルドのスカウトか?」
『ギルド』とは、ゲーム内プレイヤーの集団コミニュティで、所属しているとパーティが組みやすいなど様々な恩恵を受けられる。
本来なら所属するべきなのだが――――
「悪いが今はギルドに所属しようとは思わないんだ。他を当たってくれ」
「ああいえ、ギルドではありません。――本作のデバッガーに、です。どうぞこちらを」
男性はメニューウインドウを開いて、アイテムリストから手のひら小サイズの長方形の紙を具現化させて渡して来る。
疑心暗鬼ながらも、所有権は男性に置いたまま紙を受け取って内容を確認。
「信用ないですねぇ」なんて苦笑いしているが、ウイルスの可能性だって考慮しなければならないんだ。
「如月ゲームス……QCチーム、立川エイジ。……如月ゲームスだって?」
『如月ゲームス』といえば、この今プレイしているゲームの開発・運営元だ。会社のロゴは紛れもなく如月ゲームスのものが記載されている。
これが本当ならば、この男性――立川エイジ(頭上のプレイヤー名には『エイジ』と記されている)は、如月ゲームスの運営だということになるのか?
でも、本当に信用しろと言うのかよ。
「信用していただけましたか?」
「……信用云々は置いておいて、なおさら俺をスカウトする理由が分からないね」
如月ゲームスはゲーム業界でも最大手とされる企業で、高学歴のエリートが働く会社だ。
俺はそんな輝かしい青春を送っていないし、ましてやスポーツで有名になったこともない。なぜスカウトされるのか疑問しかないぞ。
「先ほども申し上げましたが、リョウさまのゲームスキルです。いくら輝かしい過去を重ねようと『真似できない』テクニックを、リョウさまは持っているので、充分にスカウトする理由になり得ると思います」
「買い被りすぎだって」
「ふふ、これでも人を見る目はあるつもりです。……それでは、私はこれにて失礼致します。まことに勝手ながら、くれぐれもこのことは、他のユーザーさまにはご内密に願います」
自信が詰まった声で言うと、うやうやしく頭を下げる。
「この場で返事しなくてもいいのか?」
「もちろん今すぐにご了承の返答をいただけても結構ですが、突然のことでしたので考える時間は必要でしょう。私はご提案させていただいている身ですので、極力リョウさまのご都合に合わせたいと思っています」
「戦闘覗き見してたのによく言うよ……」
「恐縮です。もし少しでも興味をお持ちでしたら、是非に……ご連絡をお待ちしております」
「流したな!?」
立川さんは、ツッコミすら受け流して。
最後に深々お辞儀をすると、踵を返して背を向ける形で歩き出す。
やがて背中がある程度小さくなると、こちらを振り向いて、再び綺麗な動作でお手本となるような一礼。
次の瞬間には、足元から発生した淡い光に包まれて消えていった。――これは、ログアウトだ。
「…………あー」
俺はというと、一連の流れを呆然と見送っていた。
本当に用事それだけかよ。
自称・如月ゲームスの胡散臭い男性が消えたあと俺は、手元に残った名刺を――名刺は消えていた。
「そういや、所有権受け取ってなかったな」
システム上の都合で、アイテムの所有権を持たない場合、たとえ手に持っていても所有者がログアウトすると一緒に消えてしまうのだ。
正確には所有者のアイテムリストに戻るだけなので、アイテム的に消失するわけではない。
「間抜けすぎんだろ……俺も、あの人も」
ここまで引っ張ってこの終わりって。思わず肩をすくめてしまう。
――しかし、間抜けなのは俺だけだったと気付くのは、このあとすぐのことだった。