1話『平原の主』
――二〇二五年五月一八日/トワイライト・ユニバース@平原・昼――
真上に登った太陽による灼熱の日差しが辺り一面を照り付ける。
陽炎がゆらゆら大気を揺らす中、俺――神場涼のアバター【リョウ】は、目立った障害物が一切存在しない、広大な平原を駆け抜けていた。
「はぁぁぁ。……いいモンでねーと割りに合わないぞ」
大きなため息交じりに文句を漏らして、視線を後方に流す。
すると、淡い銀色の毛並とゆうに全長四mを超える体躯を揺らしながら、猛然と俺の背後を追っている『銀狼』が視界の隅にチラついた。
「グルァァァァァァァァァァ!!」
ルビーの如く真紅の眼と視線が合うと、自慢の牙を覗かせて威嚇して来る。
つーか、狼の鳴き声ってこんな音だったか?
「殺る気満々だな。すげえめんどくせえ」
全身から溢れる殺気に頬が痙攣してしまう。……まあ、当然といえば当然か。
俺を追っている巨大な獣の正体は、獣犬型モンスター【ジルガルム】だ。
ジルガルムは平原フィールドにポップする獣犬型モンスター【ガルム】のボスで、通常のガルムのゆうに二倍以上の体躯を有している。
『平原の主』とも称されるだけはあった。
で。獣系モンスター最大の武器、牙と爪の長さ・太さ――おまけに鋭さまで――そのスケールは、周囲でうようよしているモンスターとは比較にならない。
そして巨大な体躯も併せれば、まさにマンモス級。どれか一つでもまともに受けたら無事では済まない。
というより、即アウトだ。
モチベーションを奈落の外に突き落とすと噂の重いデスペナティを食らっちまう。
「けどまぁ、殺る価値はあるよな」
そう。俺だってマゾではない。こいつを殺る意味はある。
ジルガルムは、その強さはさることながら、最大の特徴が『二時間ごとの時間湧きモンスター』であることだ。
低確率でドロップする激レアアイテム<ジルガルムの紅眼>は、プレイヤーであれば誰もが欲しがる代物。俺も例外ではなく、十分に戦闘のモチベーションになり得る(売却すればなんとリアルマネーで二〇万円相当らしい)。
正直、金銭には一切興味ないが、ぜひこの手に取って重みを感じてデザインを拝んでみたいものだ。
「……っと。結局ここまで来ちまったか」
それからしばらくすると、前方にとある『システム』が視えて走る速度を緩める。
進入禁止を示す壁――薄く光を放っているので『光の壁』と呼ばれる――が、先が見えないほど天高く、それでいて大地を貫くように果てしなく長く。……まるで万里の長城のように悠然とそびえ立っていた。
数あるフィールドの中で最大の面積を誇る平原の最西端、もっと言えば世界の最西端までたどり着いた証だ。プレイヤー内では『世界の終点』――<ワールドエンド>と呼ばれ、世界はこれより先に進むことを許してくれない。
光の壁は世界を歪な円で囲うように存在する。
たとえば、光の壁に手を添えて歩けば、途方もない時間の末に最終的には現在地に戻って来る。世界はそのように構成されているらしい。
端的に言えば、地球は丸いと同じ原理である。
ちなみに光の壁は透明にほど近いので、世界の終点の先を見通すことは出来る……が、俺がいる位置から視える“先”は、ただただ平原が続くだけ。
そして現在地・平原フィールドに面した世界の終点は、まさに秘境と呼ばれる場所だ。
プレイヤーが足を踏み入れることを想定していないのかモンスターがポップするポイントがなく、虫や鳥のような生き物の鳴き声も気配も一切感じないので、風を切る音と足音だけが響いている。
美麗なグラフィックは文句のつけようがないほどに見事だが、目立ったオブジェクトが存在しない平原フィールドの特徴と相まって、物悲しさを引き立たせている気がした。
――と……まぁ、ここはこんなところか。
『情景』を頭に入れた俺は、次に『状況』の情報を得るべく細心の注意を払って周囲を見渡す。
こちらは早い一瞬だ。
プレイヤーの面影がないことを確認して静かに頷いた。
「ま、こんなトコまで来る物好きなんていねーよな」
目の前の光の壁との距離を意識して、手早くシミュレーションをする。
認識。おのずとニヒルな笑みが浮かんでいた。
散々文句は言ったが、やるからには楽しまねーとな。
くくくくく――そう、ここからだ。ここからが楽しいんだ。
絶対なる自信に高鳴る胸がとても心地いい。
一度、前方に向かって全力疾走。
光の壁に接触するスレスレのタイミングで振り返って、ジルガルムとご対面する。
「さあ――舞台も準備も整ったぜ。来いよ、俺を楽しませてくれ」
対峙した時には既に、地に伏せるような『タメ』動作で攻撃モーションに移って、俺を狙い澄ませていた。
どうやら攻撃判定の範囲内に入ったらしい。
ふむ。オーケー、オーケー……なるほど【体当たり】か。
そう頭で理解すると同時。ジルガルムはまばたきをする間もなく、ご自慢の巨大な体躯を宙に投じて、矢の如く凄まじいスピードで飛び掛って来るのだった――。