Brain In a Vat
俺のいる世界は平安で、俺は何不自由なく暮らしている。
テレビを付ければ、沢山の人も笑いもあふれるバライティー番組。
ニュースでは、海の向こうには、少なからず戦争や内戦の映像が流れれるが、そんなものがあるらしいというくらいにしか思えないし、国内の事故や事件でもなかなか現実味を感じることは出来ない。
内政の話になると、まるで蜘蛛の糸の話を彷彿とさせるような大人の情けない争いが垣間見える。
あの政治家や政党が掴もうとしている蜘蛛の糸は後どれくらいもつのだろうか。騒ぎすぎて何かの手違いで切れた後には、どうかそんな国の国民である俺まで巻き込むことは止めてほしい。
そんなことを考えるようになった俺は、今年で十七歳になろうとしている。
人生の中で小説やゲームのように彼女が出来たり、突然わけのわからない出来事に巻き込まれる事もなかった。
今までもこれからもずっとそうなんだろう。
さて若干長くて、大層つまらない前置きはこれまでにしよう。
簡単に自己紹介をしよう。平凡な高校二年生。さっき言ったとおり、今年で数えが十七の少年。倉持澪斗が俺の名前だ。
なんでこのつまらないような前置きをし、女子の幼馴染も、変なクラスメートもいない俺が、誰しも聞きもしたくないような蓮っ葉な前置きをしているかというと、それは、昨日の夜の事があるからだろう。
その出来事が起きる前はいつも通り、だいたいやるべき宿題を済ませ、布団に入って寝た。
この平凡で顔もイケてるわけで無く変な能力を湯水の如く使うスーパー高校生でない俺が、このあと少しおかしな事に巻き込まれることになった。
『………………ト。………チ…イトサマ。クラ…………サマ』
多分俺を呼んでいるようだ。しかし寝たばっかりだ。数少ない。俺のリラックスタイムをとるなよ。
『クラモチレイトサマ』
いきなり起こさせられた。まるで必然のように目が覚めたのが驚きだ。いつもならこのタイミング、眠くて眠くてもう一度横になるか位の気持ちを持つのだが、今は視界も意識もはっきりとしている。
『おはようごさいます、倉持澪斗様』
長髪の少女、これくらいしか印象に残らないようなだいたい俺と同年代くらいの少女が、目の前にいた。
『おめでとうございます。貴方はこのキャンペーン第一号です』
何の抑揚も無い平らな口調。
なんのだよ、おめでとうなんて言うならもう少しめでたく言え。
『そうですね、説明してませんでした。今回貴方に受けてもらうのは、この世界の裏側を知ってもらってこの世界に生きている貴方のような存在はどのような反応をするのかの実験です』
この、世界?
全く理解の出来ない話だ。俺みたいな存在?何を言っているんだこいつは。
『まだ理解出来ないみたいですね。大丈夫ですよ、それくらい計算の範囲内でしたから』
ところでここはどこなんだよ?
『そうですね、まずは貴方の今いる状況からゆっくりと説明して行きましょう』
さっきまで目の前のよくわからないやつにしか目が行かなかったが翌々考えてみると、このやけに広い空間、気になる。
空のような天井には、取って付けた様に0と1の羅列が現れたり消えたりしているし、すべてが不自然なほどかくかくしている。
『ここはですね、現在貴方が居た世界のほとんどを計算しているスーパーコンピュータの集まりの中のちょっとした使われてないところを使った簡易的な空間です。大義名分としては、貴方の夢として使用許可を出された空間ですね』
女の子と二人きりなんて冴えない高校生にはありがたいかぎりだけど、どうしてこんな回りくどいことを。
『そんなの簡単です』
そういって少女は俺に近づいてきた。
『普通では出来ないことでも、ここなら簡単に許可が下りるからです』
わかったから。もう良いから。ほんとに顔が近いから。
『それは失礼』
そういって少し間隔をとってくれた。
『では、説明を始めます。ここは仮想現実の世界。貴方は存在しないのですよ。いや、貴方の世界が、実際はデータの塊なんです』
嘘を言っていると思った。世界を作り出すほどのコンピュータを俺は知らないからだ。
『この世界は脳を利用した機械の研究の一つです。初め十数人の死刑囚を験体として、それから生きた脳を摘出しそれをコンピュータに接続したのがこの研究の始まりです。その死刑囚達の脳に幻を見せ。それからどんどん増える脳を今まであった装置に上書きする形で次々と新たな脳を接続して行きました。並列で動いている多数のスーパーコンピュータと、今や数十人分、いやもう数百まで広がっているかもしれませんが、これほど多くの死刑囚や、験体として自ら命を絶つことにした方々の脳でこの世界は成り立っております』
少女は『まあ、九割九分死刑囚のモノなんですけどね』っと付け足した。
『しかし貴方が考えたようにスーパーコンピュータはほとんど世界の変動に関わっておりません。すべては肉体を失った脳達が見ている夢なんです。スーパーコンピュータの仕事は、矛盾の無い世界を見せていくことだけです。まずはこの世界の概要は、理解いただけたでしょうか』
首を縦に振り肯定を示す。それしか出来なかった。話が壮大過ぎる。
『理解のよいサンプルさんで助かります。ちなみにこの数十以上ある脳の中に貴方のオリジナルの脳と言うのはありません。残念ですか。システム内で世代が進み。ほとんどのこの世界の人は自分の脳は持ち合わせておりません。残念な報告ではありますが、複数の脳を使って貴方はここに存在出来るのです。バックアップ等という生暖かいものを持ち合わせている存在はこの世界の何%でしょうか。私は存じておりませんが』
何を言っているんだこいつ。無表情に淡々と話しやがって、聞いてて半分も理解できなかった。
『あら、そう思っていましたか。それはただ理解したくないからでしょう。大丈夫ですよ。この説明と、一つだけ願を叶えとあげましょう。それを終えたら元の場所に帰してあげますので、ご安心ください』
いまだ少女の表情変わらず。
そう言って安心を誘うなら、笑うところだろ。
こいつを作ったやつ、こいつの言ってることがホントなら、俺達にこいつ使って接触する前にこいつの表情どうにかしろよ。
『さて、話を戻しましょう。つまり貴方方のような存在はある脳が呆気なくその処理能力を失えば、何かしらの形で死んでしまう可能性があるということです』
何かしらの形で死ぬ?何かしらって何だよ。
『肉体の管理が出来ずに肉体が死んで精神だけ残るかもしれませんし、《記録》の紛失によって記憶喪失という形で死ぬかもしれません。しかし特に《記録》に関しては、完全なバックアップとはまではいくかわかりませんが、他人の記憶という形で沢山の《記録》が残っていれば、存在が再構成されて死んだ事実は無くなる可能性があります。そこは運頼みと言いましょうか。そのようなことがありましたら、またサンプルとして呼ぶかも知れませんのでご理解ください』
何だろう違和感しか無い。一体どこから来る違和感なのか、この無理矢理に非日常に投げ込まれた状態で冷静にそれを理解するほど俺には余裕がなかった。
『この世界は貴方が考えていらしているほど平凡なものではないのですよ。科学者達が作り出した、夢の世界でしかありません。すべての脳が浮かんでいる水槽に栄養の流入を止めるか、スーパーコンピュータの電源を指一つで切るか、あるいはその両方を行うことで経験も存在も、世界すら消えかねないのです』
少女の表情は、一種の能面のように感じる。全く動かない。
『貴方の望むような超能力や魔法も、この世界で使えないわけではありません。そこに行き着くデータや法則がスーパーコンピュータに無いだけです。それに他の、貴方から見るとIFの世界が広げる研究も進めていますので、こことは異なる世界から、記憶をコピー、ダウンロードも可能です。ここでは、特に簡単に出来ますよ。』
現実を脱逸した世界が自分の世界の裏にあった。
『ただし、私はその調整の仕方は存じておりません。データを流し込みすぎるとどうなるかわかりません。実験なさいますか。自分の体を使って』
いやだよ!
『そうですか。でしたらこれで、説明を終えたいと思います』
少女は一つ息を吐く。
『では貴方の望みを聞きましょう。なんでも良いですよ。今、貴方は何にでもなれるのですから』
俺は……。
目が覚めた。視界に入るのは自分の部屋だ。間違えない。頬をつねる。うん、痛い。
ヌクッと布団から起き出す。左手首からしたに4・5cm下がったところに《0001A》とナンバリングされていた。夢ではなかったらしい。
なんでも同じ験体に何回も当たらないようにナンバリングをするのだそうだ。
そして望みの件だが、断ってしまった。
俺はこの退屈でくだらないこんな世界が見馴れていて愛着があるからだ。
いつもと同じように、日が動き、月も動き。朝のテレビを点ければ、知ったとしても何も意味の無いような芸能人の色恋の話が流れるような、何にも変わらないそんな世界が一番だと思っている。
それにしても現実味の無い現実を突き付けられた気がした。
確かに今、自分が生きているのを証明しろ何て言われても、鼓動がする。世界を認知できる。この二つを理由にしたいがそれらは脳で処理したものだ。完全なる客観的にここが何なのかを知ることは出来ないだろう。
今回の夢も、すべては信じてはいない。
それは自分で定義付けするしかないのだろうから、今ところは、これは今まで思っていた通りの現実ということにしよう。
「いってきます」
いつもの朝が始まる。
いつもの一日が始まる。
それで良いのだろう。
あれは夢と割り切れば、何も問題はない。
今日も空は真っ青だし、車は忙しなく動いている。
「おはよう」
「よっ!今日こそは、英語のテスト負けないからな」
「望むところだ」
友人ともいつものように二人して低能な争いを始める。
昨日から続いている。俺の世界だ。
しかし、空を見上げた一瞬だけ空の一部が0と1の羅列の一部が現れた気がした。
気のせいだろう。今日もいつも通り時間が過ぎていくのだろうから。