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同棲-2

「んじゃ、俺は仕事行くから」

 昼飯(スーパーのおにぎり二個)を十二時半きっちりに食べ終え、俺は簡単に出かける準備をする。

 そんな俺に、木下は短く「私は?」と聞いてきた。

「お前は……まあ、好きにしてろ。漫画もあるし」

「えー、放置プレイ? 寺尾くん、そういう性癖?」

「金はそこに少ないながらもあっから」

「無視だー!」

「合鍵も金と一緒に置いとくから、十時前後に俺が帰るまで、腹減って待ってられないならその金でなんか買って食って待ってろ。スーパーでな」

 最後の単語を俺は強調し、マンションを後にした。

 自転車に乗って駅前のショッピングセンターまで行き、従業員入口から警備のチェックを受け、アルコールで手を消毒して中に入る。

 三階の従業員ロッカーで着替えを済ませてから総務へ。

 社員証を端末にかざして出勤記録を取り、姿見に向かって服装を整える。

「こんにちは、いらっしゃいませ。こんばんは、いらっしゃいませ。畏れ入ります。畏まりました。お待たせいたしました。ありがとうございます」

 自分でも気だるそうだと思う声を、鏡の前の自分に投げかける。これは義務なのでやっているだけだが、ここまでの一連の流れが、仕事モードに脳を切り替える役目くらいは果たしてくれる。

「うっし、行くか……」

 首をぼきぼき鳴らしながらバックヤードの廊下を抜け、売場へと出る。

 休憩を含めて、八時間の拘束の始まりだ。

 いつものことだ。



「ふー、終わった終わった……」

 九時三分。自転車売り場の周囲に誰も客がいないことを確認して、俺はレジの点検を簡単に取って在高ありだかの差異を確認し、点検を終了して長いレシートを証票に貼り付け、レジの電源を落とした。

 ちょうどその時、横に細長い眼鏡をかけた眼光の鋭い長身の男がレジ前にやってきて、俺を見るなりつっけんどんに言った。

「寺尾。電源落としたか」

「あ、お疲れ様っす」

 朝に愚痴った、同じ部署で働いている正社員だ。名前は早川という。

「お前、もう上がっていいぞ。……って言いたいとこだけどな、明日『ドキドキデー』だろ。エル字スタンドのポップ、付け替えてから上がれ」

「ああ、はあ……」

 俺と同い年のくせに偉そうにして、それでいて俺が敬語を使わないと過剰に反応するのがこの早川という正社員だ。嫌な奴だ。

「じゃ、俺は残業あるから」

 それだけ言って嫌味正社員は元来た道を戻っていく。そんなに残業を自慢したいのか、という思いは胸にしまって、俺も『ドキドキデー』のポップを持ってこようと考え、よく考えたらそれも早川の行く先、バックヤードにあることを思い出した。

(あいつが視界からいなくなってから取りに行こう……)

 そう思って俺はなんとなく携帯を取り出し、誰もいないのだが一応自転車の陰に隠れて通話を始めた。

 通話先は自宅。木下がちゃんと留守番――この場合留守番と言っていいのだろうか――をしているか、気になった。

 留守電だった。ある意味当然だろうと思いつつ、電子音のあとに声を送る。

「木下、俺だ。寺尾だ。いるんなら出ろ」

『あいよー!』

 すぐに元気な声が返ってくる。それにほっと安心しつつも、用件を短く話す。

「俺、仕事終わったから今から帰るわ。お前、飯どうした?」

『あー、おつかれー。なんか漫画読んでたらさ、夕方に変なおばちゃんがきて肉じゃがくれたー』

(ああああ――――――!!)

 すっかり忘れていた。いつも俺に食事を恵んでくれる、お隣の心優しい専業主婦38歳を。

 木下が受けたということなのだから、何をどう勘違いしてしまったかは想像に難くない。

「わ、わかった、とりあえず帰るな」

『寺尾くんの分もあるよー。二十分くらいしたらまた持ってきてくれた。彼氏の分だってー、何をどう間違えたら彼氏なんだろうね、あっはっはー!』

(あっはっはじゃねえ――!)

 ほぼ最悪の事態だった。俺は大急ぎで残った仕事を片付けると、それこそ神速で自転車を駆り帰宅した。



「で、こいつはちょっと事情があって今俺の部屋に泊めてる高校時代のクラスメイトなんですよ。別に彼女とか結婚考えてるとか、そう言うんじゃなくて。ほんと迷惑と手間かけたようで申し訳ないです」

「あらまあ、そうだったの? 寺尾さんにも結婚相手ができちゃったのかと、あたし焦っちゃったわ」

 十時前。ギリギリ失礼じゃないだろう時間に俺は木下を連れて隣人の家の前で挨拶をした。

 でないと今後いろいろと困る。この手の、体重は重そうなのに口は軽いオバサンに勘違いされたくはないしな。

『事情があって』といった曖昧な言葉は相手に憶測を産ませるが、それでも彼氏彼女とか、結婚を前提にとか、そういう方向の勘違いだけは避けてほしかった。

「じゃあ今度から、二人分のご飯作ってあげようかしら」

「いいんすか!? ありがとございまーす!」

 俺じゃなくて木下が大喜びで応じやがった。俺は言うべきことを言われた代りに何度も頭を下げる。

「あの、ほんと、すみませんほんとに……」

 そしてどうしてこういうときの男の立場は弱くなるんだ。

「いいのよ、一人分も二人分も作るには同じだから」

 オバサンは快諾し、そろそろ旦那が帰ってくるからということで、ここで散会となった。

「あのオバサン、超優しいねー! 寺尾くんって隣人に恵まれてんだねー!」

「まあ、金浮くしな。ありがたいっちゃあ、ありがたい」

 俺たちは自室に戻って、木下はベッドに腰掛け、俺は服を脱いで楽な格好に着替えながら彼女の話に付き合う。

「なにげ寺尾くん、契約社員の分際でワンルームマンションだしさ、ご飯は一食タダでついてくるしさ、充実してんね?」

「ぶ、分際!? てめえ……!」

「あっ、ごめんごめん、分際は取り消すよ!」

 ほんとに失礼な奴だな、お前は。

「お、怒っちゃった?」

「別にいいわ、事実だしな」

「あ、あう……傷つけちゃったっぽいなあ、寺尾くんのデリケートハートを……そうだ!」

 すると木下は、何かを思いついたようにポンと手を打ってから服を下だけ、バサバサ脱ぎ始めやがった。

「よし、お詫び! 今日もしよ!」

「お詫びかよそれ……お前がやりたがってんじゃねーか……」

 と言いつつも俺もベッドに乗って事を始めてしまうのだから、ダメな奴だとは思う。



「ねえ、寺尾くん」

 相変わらず(俺の)Tシャツは着たままの木下が、ベッドで俺に腕枕され、天井を見ながら言う。

「私、木下智子って言うんだよね」

「そうだな」

 知ってるよ。どうして今さら言うんだ。

「智子、でいいよ」

「はあ……?」

 下の名前で呼べというのか。

 木下は、ごろ、と顔を俺のほうに向けて、にこっと笑う。

「で、きみを昌史って呼んでいいよね?」

「え、いや、その……」

「昌史がさ」

 俺がためらっていると、木下は早速下の名前で俺を呼んできた。

 こういう風に、勝手に自分のペースを作って相手を呑みこんでいくんだもんな。

 七年前と変わっていない。

「『木下、木下』って言いながら突いてくると、なんか盛り下がるんだよ」

「じゃあどうしろってんだよ」

「ともこ、ともこ、でいいじゃん」

「嫌だね」

「えー! なんで! まさかの真っ向否定!?」

「んな、いつの間にか『トウモロコシ』になりそうな名前を連呼してたら俺が萎えるわ」

「ひでえー!」

(へっ、勝ったな)

 大げさに驚き落ち込む木下を見て、無意味な勝利感に包まれる。

「なんだよー、あ、じゃあ、トモでいいよ、トモで」

 なおも食い下がる木下。

「ねえ、おーねーがーいー。トーモー」

 俺はついにしびれを切らした。

「うるさいなあ……じゃあ言えば眠らせてくれんのか」

「いや、二回戦をさっそく名前呼びでしたいから」

「眠らせないのかよ!」



 今日も昼から仕事のはずなのに、朝から元気いっぱいの木下にたたき起こされて俺は渋々バナナを食べていた。

「昌史、今度の休みいつ?」

「明日」

「おー、平日でも休み取れるんだ!」

「むしろ土日に休みが取れないんだよ。接客業だからな」

「なるほどねえー。んじゃさ、明日買い物行こうよ、買い物」

「……お前の服とかか?」

「そう!」

 やれやれ、とんだ出費だ――とは思ったが今日は給料日。もう口座に金が振り込まれているだろうし、とりあえず買うこと自体はできる。

 問題は少なくなる残りの給料で、また一か月間、持たせられるかどうかだ。

「具体的に、服だけでいいのか」

「まあねえー。ほんとはいろいろ欲しいけどさ、居候の私が贅沢言えないもん。まあ、最低限の化粧品とか?」

 なんだ、分かってるじゃないか。

 と思ったが、次に木下がぼそっと一言。

「贅沢言えませんぜ、契約社員の分際にねえ……」

「おいこら、聞こえたぞ!」

「ぎゃー、ごめんごめん!」

 やはり失礼なだけだった。

 俺の給料は確かに少ないし、親の仕送りで何とか生活をしている感じだ。

 ワンルームとは言えマンション住まいなのは、一応社長の親父が家賃全部親父持ちで住まわせてくれているだけ。自分の力でどうにかしたわけではない。

 俺は本当に恵まれていて、自分がいつまでも安定しない契約社員という身分および生活に甘んじていることが時折申し訳なくもなるのだが、それはまた別のこととして――。

「私さ、子供のころの将来の夢ってお嫁さんだったんだよね」

「……で?」

 突然の木下の話題転換に、および話の内容にあえて突っ込みは入れず、続きを促す。

「で、ちょっと前までの私の夢は、年収一千万円のひとのお嫁さん」

「うわっ、うざいな……」

 俺が呆れてそう言うと、木下はぺろっと舌を出した。

「でもさー、年収一千万円のオトコって三十代後半でもそうそういないし、ましてや二十代では皆無って言ってもいいでしょー? リーマンの初任給とか年収とか、分かってない無知な女の人が言うセリフなんだなって」

「……お前は知ってそうだな」

「うん! だから、別に昌史の給料や年収がいくらでも別に私は気にしないよん!」

 結局その、フォローになっているかも微妙なセリフを言いたかっただけだろうな、と俺は思ったが言わないでおいた。

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