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同棲-1

「寺尾くーん! 寺尾くーん! 朝だよー!」

 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。

 誰だ、まったく。まだ仕事の時間じゃないはずなのに。

 それ以前に、俺の部屋には俺しかいないはずなのに。

 目を開けると、そこに女がいた。

「う、うお!?」

「おー、起きた起きた! おっはよ、寺尾くん!」

 一瞬、俺が何をどう間違えたのか考えた。

 そしてすぐ気づいた。

「木下……」

「そうだよん。きみに助けられた、かわいそーうな、女の子」

 昨夜のことを思い出した。

 濡れ鼠のように凄絶な姿で、俺の家に転がり込んできた、七年前のクラスメイト。

 今でこそ元気だが――。

「もう七時だよっ! 朝ごはん! 朝ごはんちょうだい、朝ごはん!」

 元気過ぎて困る。

 とりあえず、俺にとっての「朝」はこんなに早くない。

 俺は仕方なく大あくびとともにベッドから降りて、冷蔵庫の上に置いてあったバナナの房から一本ちぎり取って木下に渡す。

「それでも食ってろ」

「えー、なんでバナナ? なんでバナナ? 栄養価が高くたって、女の子にバナナ一本? ありえないー!」

 バナナを手にして、木下は不服そうに口をとがらせる。

「うるさい! おまえは女の子って歳じゃねえだろが! 俺なんてここ二年、朝はずっとモンキーバナナ一本だぞ!」

「ネーミングはもうちょっと考えようよ!」

「俺がつけたんじゃねえ! 果物屋にそう書いてあったんだよ!」

「それパチモンだよ、ぜったいー! バナナと見せかけたキュウリとかだよ、ぜったいー!」

「じゃあ食うな! 給料日前で切迫してる俺の気持ちも知らないで!」

「わーっ! わかったわかった、食べる、食べますうー!」

 朝から疲れる。

 でもそれも、七年前に、あったような、なかったような光景。

 木下智子は、変わっていない。

「俺はもっぺん寝るわ……」

 朝早く起こされてたまったものじゃない。なのに俺の事情を知ってか知らずか、木下は、

「えー! なんでー! 朝だよ朝! 健康な人は学校とか会社とか行く時間だよ! もしかして寺尾くん、ニート? うわっ最低! ニートって社会に必要?」

 失礼な奴だなお前は。

「俺は昼から出て夜遅いんだ」

「あーよかったー、ニートじゃなかったー!」

 俺がニートでもおまえは困らんだろう――と思って、今の状況ではそうも言っていられないんだな、と思い直す。俺に収入がなければ、こいつは生活できないしな。

「っておい、ちょっと待て」

 そこで俺は大事なことに気がついた。

「お前、いつまで俺の部屋に居座る気だよ」

「ぎ、ぎ、ぎくーっ!」

(口でぎくーって言ったー!)

 木下は食べかけのバナナを落として固まりやがった。考えてなかったな。

「ま、ま、ま、まあそうだねえ、とりあえず向こう十年くらいは……」

「どうしてなんだよ!」

 つい思い切り突っ込んでしまった。俺は声の調子を下げてから続ける。

「お前、ほんとに何がしたいんだよ」

「だ、大丈夫だよ! 別に寺尾くんと結婚したいとか考えてないよ!」

「そんなことは心配してないわ! あーもう! 騒いだら目ぇ覚めちまったよ、どうしてくれんだ……」

「あー、んじゃさー、私と散歩しよ! この街に帰って来たばっかでさ、全然わかんないんだよね、どこにコンビニあるかとか」

「お前、ほんと自分本位だな!」

 勢いのまま返したので気がつかないまま流してしまった。

 こいつがこの街に「帰って」来た、ということを。



 雨が上がった六月の朝の街を、俺と木下は肩を並べて歩いていた。

「ところでさー、寺尾くんってさっき昼に出るって言ってたけど、何してる人なの? 社長? 重役出勤するくらいの?」

「んな大層なもんじゃねえよ」

 俺は契約社員という奴だ。大学受験は全て落ちて、三か月ほど予備校に通ったが肌が合わなくてやめた。

 それから職を探したが、高卒で目立った取柄もない普通の男を正社員として雇ってくれる企業など、この不景気では見つからず、仕方なく契約社員という道で妥協した。

 と、いうことをかいつまんで木下に説明してやった。

「今は……駅前のあのショッピングセンターあるだろ? あすこの中の自転車売り場で働いてんだ」

「へえー」

「とりあえず、基本的に昼の一時から閉店する九時までだな」

「おおー、偉いねえ、ちゃんと働いて」

「どうだかな……一人意地悪な正社員がいてよ、いっつも言うんだよ、契約社員は気楽でいいよなー、って」

「うお、それはきつい……」

「俺は雇用契約上、出世もなけりゃ昇給もほとんどないし、今はいいけどいつ切られるか……あいつはどうせ出世街道まっしぐらだろうな、いいな正社員は。俺より後から入って、歳も俺と同じなのに偉そうにしてさ。一流大も出てるみたいだしな」

 ついつい愚痴をこぼしてしまう。こういうのも久しぶりだった。

 すると木下はジトっとした目つきになって、大儀そうに言う。

「大学なんて、どこ行ったっておんなじだよん」

「そうか? そういやおまえは確かT大行ったんだよな、国立の最高峰の。うちの高校から初めてT大生が出たとかで学年主任とか大喜びしてたし」

「えっ? あー、あー……」

 妙に歯切れの悪い返事。

「まあ一応T大、出たけどさー。はっきり言って学ぶもんなんてなかったよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ、大学なんてー。ある意味大学なんて、行かないほうが正解だよー。まあ、何をもって正解とするかってのは、その人次第だけどー」

「んで、出たあとお前はどうしたんだ? 正社員か? キャリアウーマンか?」

 契約社員のコンプレックスで、おそらくこいつも出世街道まっしぐらであろう、目の前の元天才学級委員に意地悪い感じで聞いてしまう。

 けれど木下はそんな俺の言い方など意に介さない様子で、

「んー? いやまあ、そりゃ正社員にはなれたけど……あんま面白くなかった」

「なかった? お前まさか……」

「んー、やめちゃったよ。仕事うまくいかなくてねえ……」

(なんだと!?)

 俺にしてみればとんでもないことをさらっと言ってのけやがった。

 自分では届かなかった正社員という道を簡単に勝ち取り、そして捨てているということが信じられない。

(それもこいつが、天才なうえに世渡りも上手いから簡単に決断できんのか……)

 俺は彼女を、羨ましさと少しの妬みを込めて見つめる。

 へらへら笑っている彼女は、後悔した様子などない。

 見えない。



「まあここがコンビニで、向こうにあんのがスーパー。スーパーは夜の一時まで開いてるしモノが安いからだいたいそこで買ってる。夜、俺が帰る前に腹が減ったらそこでなんか買いに行け」

「ほー、コンビニダメ?」

「ダメじゃないけどな。俺、節約してっからついそういう風に言っちまうんだよ。お前から金を取ろうとしても、持ってそうにないしな」

 つくづく俺は弱いな、と思う。

 無料ただで泊めてやっている上、こいつの飯代も俺が出すことにした。

 木下の財布の中身を夜中こっそりのぞいたが、12円しか入っていなかった。他の荷物の中に別であるのかと思ってみたが見当たらない。ちなみに携帯電話の一つもない。あるのは見た目だけ立派な財布と下着を入れていた袋(中身は洗濯中)と、10円単位で買った駄菓子のレシート三枚だけ。本当に彼女の全財産はそれっぽっちなのだ。

 なんだか本当に言いようのない事情で、彼女はギリギリで生きているような気さえする。

 そういうことを思い出すとやはり俺は心配になってきて、木下に聞く。

「なあ、いいのか?」

「なにが?」

「お前のこと、心配してるやつとかいるだろ? 連絡とか――」

「あ――まあ、いいよ別に」

「お前、目的なんだ? わざわざ俺に会いに、ってことじゃないだろ、なんかあるんだろ」

 聞いてもどうせまた、はぐらかすのだろうと思っていた。

 目的、理由、事情、全て隠して。

 だから、並んで歩いているはずの俺たちが、ふと俺一人になったのに気付いて俺があわてて振り向くと、木下は三メートル後ろに立ち尽くしていた。

 そしてそこから動かずに、ぽつりと言う。

「あるよ――目的」

 うつむいたまま、元気を失って。

 そこにいたのは、昨夜、雨の中で俺が見た、あの幽鬼のような彼女。

「出世も、名誉も、お金も、未来も、全部捨ててでも」

 ざあ、と木々の葉が風で鳴いた。その音がまるで、俺の中のざわめきと共鳴するかのように、俺の視界が一瞬だけ揺らいだ。

「やらなきゃいけないこと――」

「木下……」

「そのためにここに来たんだもん。それが終わるまで――私、死ねないもん」

 ふら、とよろめくように、彼女は俺に近づいて。

 今度は逆に、立ち尽くしているのは俺のほうで。

 目の前まで迫った木下が、うつむいたまま、ぬっと手を伸ばして。

「だっからっ、世話よろしくっ!」

 やおら声をもとの高さに戻して顔を上げた木下は、とたんに太陽のような笑みを前に押し出し、俺の肩をバンと叩いた。

「おま……」

 俺の頭がついていかないのは、俺の頭がこいつと違って悪いからか?

 そんな俺の疑問も知ってか知らずか、木下はどんどん歩いていく。

「……ったく」

 俺もその背中を追いかけた。

 そうやってこいつは、どんどん自分のペースに周囲の人間を巻き込んで進んでいき、たとえばここが教室内だったらクラスみんなを引っ張るのだ。

 それが木下の、木下たるものだと、きっと高校時代一度でも同じクラスになった奴、もっと範囲を広げて言うなら、彼女にかかわった人間なら誰しも、そう思うのだろう。

 俺もそうだった。

 こいつのことを、そう思っていた。



 逆に言えば――。

 木下は、そんな、俺も含めた全員の目を、そんな風に欺いて、今まで生きてきたのだ。

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