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 おれの世界が大変なことになりました。



 背筋を伸ばして、ぎゅっと拳を握って、顎を引いて、キリリと目元に力を入れて、口を真一文字に引き結んで。


 覚悟を決めて。


 さびれたアパートの一室、そのドアに手をかけて開けた向こう、薄暗い部屋のワンルームの中心に……いる。


 やっぱり、いる。


 うぐ、と決め込んだはずの覚悟が早速揺らぎそうになる。

 このままドアを閉めて何事も無かったかのように振る舞いたい。けれど、それはもう今朝方やってしまったことだ。同じ事を繰り返すようなら、バカ正直に帰ってきたりなんかしない。

 そもそも、ここはおれの家なのだ。


 なにをビビる必要がある、と気合いを入れ直し、靴を脱ぐ。もちろん視線は固定したまま。

 がさごそと聞こえてくる物音に、耳を集中しながら一歩一歩と足を踏み入れる。


 ……がさり。

 途切れた音と共に視界に浮かび上がったのは、煌めき紡がれた鋭い光の糸。

 一直線に、何か、がこちらを見ている。


 手探りで探し当てた壁のスイッチ。静かにのせた指先に、恐る恐る力を込めた。



「っ……!」



 部屋のなかに光が溢れ、現れた輪郭におれは息を飲んだ。


 それは、まんまるくて、真っ黒い、ちいさなビー玉。

 ……目が合った。



 一言で言うなら、少年だ。首を回して肩越しにおれをじっと見てくるそれは、確かに8歳9歳くらいの少年なのだ。

 あどけないというよりかは、無垢と言った方が正しいかもしれない。

 感情を何も乗せない、人形のように整ったその顔つきは、まさに何も知らない真っ新な生き物のように思える。


 でも、一言で言うには……足りない。

 少年じゃ、足りない。


 引き出しという引き出しが引かれた状態で、服やら本が散乱している。まるで強盗に押し入られた後のような散らかった部屋の中。

 非日常に光を放つ、エメラルドグリーン。


 ……彼の、足下にまで辿り着くのは、そんな現実ではありえないような髪の毛だった。


 ふるりと頭をふれば、それは音がしそうなほど繊細に揺れた。


 本当に、あり得ない。


 ……よな?

 と、思いながら、恐る恐る近寄り、彼の足下に落ちるバスタオルを拾って、前から隠すように掛けてやる。

 直視できないのは、彼が「少年」だと分かった原因があるからではもちろんなく、単に信じられないがためだ。



「あのさ、一応……聞くけどさ、きみ、誰なの?」



 きょとんと見上げられた。

 いやまて、なんかだめだそれは。ふと脳内に留めておいた別の映像と重なる。つい頬を染めそうになり、さらに目が泳ぐ。

 こんな少年相手に何をここまで動揺しているのだ。

 だが平然としていられるほど大人でもないし、余裕を持てるほど心が大きいわけでもない。

 ほんと何度も言うけど、ただの少年じゃないからね。本当に。



「って、あ、おあ、どこ、行く」



 ほぼ触れる形になっていた、そのちっこい肩に置いていた手が宙をかいた。おれの脇下をくぐっていった少年は、その長いエメラルドグリーンの髪の毛を風に遊ばせ、跳ねるように駆け回っている。

 ちょ、おい、タオル!


 ……じゃない、人の話を聞け!



「待てって! あんまどたばたすんな! ご近所さんが……って、だからそうじゃなくてええええ」



 何勝手に全裸で人の家に上がりこんでるんだ!


 窓にはひとが落ちないようにアルミの柱で仕切りがついてるけども、それ以前に結構な高さのある二階だけれども。ドアだってきちんと鍵を閉めていたけれども。ここ最近物騒な話を聞くから、大家さんがチェックしてくれてた確実だけれども。


 おいだから走るなって! 動くな服を着ろ!


 伸ばした手がからぶった。足下に落ちたタオルに滑って転んだ。構わず踏みつぶされた。

 もう一度伸ばした手が、真っ白なその足首を掴んだ。その反動で、よろめいた少年の体が、何かにぶつかってガシャンと音を立てた。


 おれと少年の間に横たわる、鉄製の鳥かご。中には何もない。補うようにとっさに脳裏に浮かぶのは、止まり木の上をせわしなく動き回る、小さなセキセイインコ。

 たまに檻に張り付いたり。丸いわっかでブラブラしてたりしたな。地面に降り立っては、ぴょんぴょん跳ねながら鳴いたりして。


 それは、惚れ惚れするほどきれいなエメラルドグリーンだったりして。



「な」



 今のおれが一番に叫ばなくちゃいけないのは、これしかなかった。



「何が起こってるんだよおおお!」



 無垢な瞳で見下ろしてくる少年の首がこてんと傾くのは、まさに我が家の愛鳥が首を傾げる姿と同じだった。



 おれの、ミドリちゃん!?



(しかもオスだったのかよ!?)

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