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境界線上の君。(後)


「あたしも! あたしもやりたいっ! そいつだけズルい!!」

 幼いあたしが見ているだけでは足りず、そう言い出したのは、総司と出会ったその日のこと。

 五歳上のお兄ちゃんが胴着を着て、剣(竹刀だけど)を振るのをカッコイイと思っていた。

 道場の師範長が何も言わないのをいいことに、いつも兄についていっては、片隅で皆のお稽古を見ていた。

 それまでにも、やりたい、と言ったことはあったけれど、やんわりと過保護な兄に止められて、強く出れず諦めていたのだ。

 その時の門下生が自分より上のひとばかりだったのも理由かもしれない。もっと大きくならないと、駄目なんだと思っていたのだ。

「藍川総司です、よろしくおねがいします」

 何が気に入らないのか不機嫌なのか、ムッツリした表情のまま、そいつは新品の胴着を着てその場にいたみんなにペコリと挨拶をした。

 自分たちより一際ちっこいそいつをみんながグリグリ構うのを、ポカンとして眺め――あたしは叫んだのだ。

 ――ズルい!!

 春から小学生ってゆってた。あたしとおなじ。おんなじなのに、なんでそいつは剣をもてるの!

 お兄ちゃんが困ったように宥めても、今までにない強情さであたしは食い下がったのだ。

 激昂するあたしを、我関せずといった態度でいるヤツに、余計腹が立ってムキになった。

「なら、ちょっと暁里もやってみるか?」

 そう言ってワンピース姿のあたしに子ども用の竹刀を渡したのは、先生――師範だった。

 たぶん、その時の師範は、ちょっとだけやらせてみたらあたしの気が済むと思ってたんだろう。

 自分で言うのも何だけど、兄や周りに甘やかされてた女のコだったあたしが、キツくて辛くてついでに防具臭い剣道を続けていけるわけがない、と考えたんだと思う。

 師範の思惑はともかく、あたしはそれに飛び付いた。

 見よう見まねで竹刀を持って、これまた見よう見まねでお兄ちゃんたちの真似っこをして、素振りをした。

 持ちなれない竹刀は重くてフラついたけれど、ワクワクした。

 どうよ! なんて意味もなく得意気に笑って振り返り――、穏やかに微笑んでいるソイツと目があったのだ。

 あたしの敵意なんてなんとも思ってなさげに、楽しげな。

 すぐにもとの無表情に戻ったけれど、その一瞬に焼き付いた顔は、なかなかあたしの中から消えてくれなかった。

 ――師範や兄の予想に反して、あたしは剣道にのめりこみ、メキメキ腕を上げていった。ちょっと自慢をするならば、小中と大会では上位をキープしていたくらい。

 すぐ側に、同じ力量の総司がいたから、追いつけ追いこせで修行に励んだお蔭ともいう。

 楽しかったのにな。

 あたしが、総司を好きなのだと自覚するまでは。

 ――総司の嘘を、知るまでは。



 一体、コレはどういうことデスカ。

 ヤツが友人と話している隙に、あたしは素早く教室を出る。否、出ようとした。瞬間、こっちに背を向けていたはずの総司に、背中に目があるんじゃないかというタイミングで呼び止められた。

「暁里。今日も遅くなるのか」

「……そんなの決めてる訳じゃないし、わかんない」

 あたしは鞄を胸に抱えて逃げの体勢のまま、答える。

 なんでビクビクしなくちゃなんないんだー! と思うものの、逆らうものは斬って捨てると言わんばかりの気を発している総司に、今のあたしでは勝てない。

「五時を過ぎるなら待ってろ」

( 命 令 形 か よ !! )

 叫び返したかったけれど、ニマニマ成り行きを眺めている男子たちや、動向を逐一チェックしてる女子たちの手前、あたしは呻くことしかできず。

 ようするに、本日も逃亡失敗。

 ――帰りが遅くなったあの日から、気がつけば総司に待ち伏せあるいは誘導されて、帰宅を共にしているあたしがいた。

 全くもって、ヤツが何を考えているのかわからない。何のイヤガラセだ。何のイヤガラセなんだコレは。


「今日ねぇ、クラスの子に訊かれたよ~。暁里ちゃんと藍川くん、付き合ってるの? って」

 颯子の言葉にあたしは頭を抱えて図書室の広いテーブルの上に突っ伏した。

「そりゃ言われるわなー。ワタクシも様々な方向から訊かれましてよ、あの二人どうなってるんだってさ」

「どーもなってないよ、ってか何であたしの憩いのひとときにアンタがまざってるのよ工藤!」

「えー、帆乃歌ちゃんと友好を深めに、ねー?」

「えぅっ、うん、?」

 横から会話に勝手に参加してきた工藤は、キョトンとしていた帆乃歌に笑いかけて、その頬を染めさせている。

 誰か武器を持てーッ! 成敗、成敗してやる、可愛い親友がチャラ男の毒牙にかかる前にーッ!!

 ……そろそろ来るなと思ったんだ。ほぼ毎日一緒に帰ってりゃ噂が立つのも当たり前。

 特に、今までそういった話を全部撥ね付けていた総司が、部員以外の女子と親しくすりゃあっという間に話題になるだろう。

 それをヤツはわかっているのか。

 そういう場合被害を被るのはあたしだとわかっているのか、あの男は……!

「工藤、あいつの謎の行動の意味、なんか聞いてない? わけわかんなくて気持ち悪いんだけど」

 気持ち悪いんだけど、のくだりで吹き出した工藤が、なんとも言えなさげな笑みを浮かべた。

「意味って……あのまんまでしょう。総司も大概だけど、沖田ちゃんもなかなかだよね……」

 肩を震わせて爆笑するのを抑えている。

 なんなんだ。あのままって……夜道が危ないから送る? いつからそんなフェミニストになったんだ。なら総司に送られたがってる子を送っとけ。

「違うでしょ、藍川くんは、暁里ちゃんを送りたいんでしょ~?」

「は? なんでわざわざ。まあ、同じ方向ではあるけど。ついでっちゃあついでか」

「暁里ちゃん、気づかないのはわざとなの……?」

 世にも情けない顔をした颯子と、何かがツボに入ったらしく床をのたうち回っている工藤にそれを困ったように見ている帆乃歌。

 図書室で騒ぐ私たちを、勉強しないなら帰りなさい、と司書さんが笑顔で叱り、追い出されそうになりました。


 いつもよりちょっと早めに友人たちと別れたあたしは、諦めのため息を落として、クラブ棟へ向かう。

 五時を過ぎるなら待ってろ、という命令通りに従うのは腹立たしいものの、無視して帰れば翌一日中お怒りオーラを背負った魔王に背後から睨まれ続けることになるしな。

 ホントに一体何がしたいんだろ。

 高校に入る以前の仲に戻りたいとか? それこそ今さらだし。

 素直に、正直に、白状するならば、あの時、総司があたしを問いつめてくれないかなって思ってた。

“何で剣道をやめるんだ”、“何で離れようとするんだ”そう、言って欲しかった。

 だけど、そうはならなくて。

 結局、総司にとってあたしなんてその程度の存在だったのだと余計に思い知らされた。

 だからもう、無かったものにしようとしてきたのに。

 なのに、どうして今さら側にいようとするの―――


「あの、」


 小さな声に呼び掛けられて、顔を上げる。また、ため息をつきたくなった。

 剣道部の『マネージャーちゃん』こと二年の笠井さんが、思いつめたような表情で、あたしを見ていた。

 少しいいですか、と言われて駄目と答えられる者がいるのだろうか。

 ちょっとそうして反応を見たかったけど、あたしはこのあとの展開を予想しつつ彼女の誘導に従って、クラブ棟の裏へついていく。

「――あの、迷惑かけないでほしいんです」

 さて何から来るかしら、といろいろなパターンを考えていたあたしは、彼女の言葉に首を傾げる。

「部活で疲れている総司先輩に、毎日家まで送らせるなんてどうかと思うんです。最後のインターハイに向けて、頑張ってるのに。先輩のことを思うなら、もっと気を使うべきだと思います」

 キッと真剣なまなざしであたしを睨み付ける笠井さんに、ほう、ケナゲ路線で来たかと心の中で呟く。

 こういう場合、こちらのとる態度はどういうものがふさわしいんだろう。

 そんなつもりじゃなかったの……、とこちらもケナゲ路線で行くべきか、アンタには関係ないでしょ出しゃばるんじゃないわよ、と意地悪路線で行くべきか。

 というか、前提からして間違ってるからなあ。あたしが送らせてるんじゃなくて、あっちに送ることを強要されてるんだし。

 総司に言えよ、と言っても、この娘にとっては邪魔者なのはこっちだし、悪いのはあたしという方程式が出来上がってるんだろうし、聞く耳持たないだろうなー。

「沖田先輩?」

 考え込んで無言になったあたしにイラッとした声がかけられる。おっと忘れてた。

「ああ、ゴメンゴメン。えーと、なんだっけ、藍川に送ってもらうのをやめろって話だっけ。ごめん無理、魔王に逆らうのはさすがのあたしでも無理」

 もうめんどくさくなって適当に答える。

「てゆうか、それならマネージャーちゃんから言ってもらえないかな。沖田先輩が迷惑そうにしてるから、送るのやめてあげてくださいって」

「は!? そんなこと言ったら私がイヤな子になるじゃないですかっ」

 あ、自覚はあるのね。

あたしがイヤな女になるのはよくて自分は嫌だと。

 勝手だな。まあ、恋するオトメなんてそんなもんだろうけどさ。

「だいたいインハイごとき藍川が気にするわけもないし。ムカつくくらい無表情でサラッと今年も勝っちゃうわよ、気を使うだけ無駄無駄」

 アイツと同世代の剣道家が不憫よね~と、ぴらぴら手を振りながら興味なくそう言うと、バカにしてるんですか! と怒鳴られた。

「幼なじみとかいう話ですけど、そんな、先輩のことなら一番知ってるなんて顔して! 今まで全然関係なかったくせに! なんで今ごろ出てくるんですかっ」

 食って掛かってくる彼女に、冷たいようだけどうんざりした視線を投げる。

 誰も一番知ってるなんて思ってないし。それどころか、あたしが一番わかんないのはあの男だというのに。

 今さら、今ごろ、それはこっちが言いたいことだ。

 見当違いも甚だしい責めを甘んじて受けるほど、あたしは人が善くない。

 総司絡みの修羅場なら、周りが色気付いた小学生の頃から離れるまで、何度も経験してるのよこっちは。

「――うるさい。時間の無駄。アンタがしなくちゃならないのは、好きな男の周りにいる女に難癖つけることより当の相手に好かれるようにすることでしょうが。部活サボってる時点で駄目。とっとと仕事してきな」

 大人げないなと思いつつ、斬りつけるような殺気を彼女に向かって叩きつける。竹刀を持っていたときに身につけた感覚で。

 総司の近くにいるんだ、これくらいは平気だろう――と思ったんだけど。

 ザッと青くなった笠井さんは、いきなり震えて泣き出した。

 ちょ、勘弁してよ、もう………! 人に喧嘩売るんなら、叩き買われることくらい覚悟してこいっつうの!

 こんなところ誰かに見られたら完璧にあたしが悪者でしょうが。

 そんな内心の焦りを読んだかのように、建物の角から人影が現れる。ソイツを見て、あたしの機嫌は急降下。遠慮なく睨み付けてやった。

 気配消してやがったな、てめえ。

「あいかわらず容赦ないな……慣れてない奴がお前の気を食らって平常でいられるかよ」

 呆れた表情の総司と、微妙に引きつったような笑みを浮かべた工藤。

「沖田ちゃんがマネージャーちゃんにチョッカイ出されてるの見て総司呼んできたんだけどさー……オレ、沖田ちゃんを怒らせるのやめとこう……」

 なにその怯えた顔。失礼な。

 心配いらんと言っただろう、ってお前はさらに失礼だ総司!

 泣きじゃくる笠井さんは同じマネージャーである男の子に宥められて戻っていった。ちょっと、罪悪感。


 じゃ、お邪魔虫はこれで! と意味不明な言葉を残し、工藤が逃げ去ったあと。忘れ物を取りに戻ると言う総司の後ろを思い付くまま罵りながら歩く。

「さいっあく! ムカつくっ、あんたのせいなのに高みの見物してるんじゃないわよ、いつからいたワケ!」

「お前が魔王がどうの言ってたくらいから?」

 それほとんど最初じゃないのよ、やっぱりムカつく。

「……もう、何がしたいのよ、ワケわかんない」

 一時の激昂が過ぎると、今度は疲れが襲ってくる。そんなあたしに信じられない一言。

「怒らせたほうがお前は本音を出すからな。まぁ、マネージャー相手ならあんなものか」

 ………はあ? なに、あたしを怒らせるために放っといたとか言う、それ。何様。

 マネージャーちゃんもこの男のどこに惚れたのよ。今ごろ後悔してるんじゃない。

「いっぺん死んどけ」

「御免こうむる」

 振り向きもせず応えて、剣道場の扉に手をかけて開け放つ。

 あたしとマネージャーちゃんが不毛な会話をしている間に、部活は解散していたらしい。消え去りかけている、その場に漂う熱気の残滓を感じて、少し懐かしくなった。

 ここが、あたしが通いなれた道場じゃなくても。

 靴下を脱いで裸足になる。

 跳ねるように床を踏むと、キュキュッと懐かしい感触が足の裏で鳴る。

 冬も夏もヒンヤリと冷たい床を踏みしめるのが好きだった。何度も豆を作って、破いて、固くなったはずの肌は、すっかりやわらかくなったけれど。

 長い空白期間があっても、幼い頃から身に付けた感覚はそう簡単に無くならないようだ。前後ろにステップを踏んでいると、忘れたと思っていた足裁きを勝手にとる自分がいて。無意識に、両手のひらが、持つものを探す。

「――暁里」

 声と共に投げられた物を反射的に受け取った瞬間――自分でも驚くくらい自然に構えを取っていた。

 ほぼ二年ぶりに持った竹刀はブレもせず、目の前の敵に切っ先を合わせて。

 藍川が笑う。何故か、自分の手柄のように。

「全然、忘れてないじゃないか」

 ひょい、とその片手に持った自身の竹刀を掲げて――

「うわ、ちょ、待っ……インハイ出場者と素で打ち合えるかこの馬鹿っ!」

 こっちは結構なブランクがあるのに!

 あたしの叫びは無視されて、重い一打がやってくる。それを凌げたのはやっぱり身に染み付いた反射の賜物だろう。

 打ち払って攻撃を殺す。

 甘く握っていると弾き飛ばされそうな鋭い打突に、この野郎、といささかハシタナイ悪態をついた。


 ――パン!


 静まり返った剣道場に、竹刀が打ち合わされる音、足が床を擦る音、居合いの声が響く。

 数年前まで、日常だった懐かしい響きに、胸が高鳴る。

 楽しくて。

 ああ、総司のこととか関係なく――あたし、剣道が好きだった。

 好きだったの。

 どうして離れていられたんだろう。

 防具なしの打ち合いは、自然とうちの流派の型をなぞるものになる。

 幼い頃から何度も仕合った。次にどんな攻撃が来るのなんて考えずともわかって、わかられて、言葉がなくても感じ取れていたのに。

 いつから、ずれてしまったんだろう。

 最後の一打に耐えられず、手から竹刀が弾き飛ばされた。

「鈍ってるな。まあ、当たり前か――サボってたツケだ」

 息も切らさずに、笑う顔を睨んだ。こっちは話すことも出来ないくらいだっつうのに! ええ、運動不足を痛感しましたよ!

「あああもう、……ムカ、つくっ……」

 ほんの数分の打ち合いで息は上がり、汗だくになったあたしは冷たい床に身体を投げ出した。

 腕が痺れてダルい。手のひらも、きっと赤くなってる。

 でも、この疲労も痛みも心地いい。

 くやしい、ムカツク、総司のアホンダラ、魔王、などと息を整える合間も悪態をつくあたしに、「ブランクあるくせに俺に勝とうとするなんて無謀なんだよ阿呆」と小バカにしたような笑みを口に浮かべた総司が言う。

「どうせ――」

「そういう負けん気の強いところに惚れてる俺も相当だが」



 にんげんって、あんまりおどろくと、あたまがまっしろになるんだなっておもった。



 覆い被さってきた男から逃れるように転がって壁に張り付いた。我に返るなり手の届かないところに逃げたあたしに、魔王が舌打ちする。

「ななななにすんの!」

「接吻?」

「キスって言え生々しい!」

 怒鳴り返してから、一瞬触れただけの唇を押さえる。

 真っ赤になったあたしを見て、総司がニヤリと笑った。見たこともない、艶っぽい笑みで。

「あんまり可愛い反応すると襲うぞ」

 いやーーー!! 魔王、魔王が本性現したっ、帰る、お家に帰るーーー!!

「なっ、なん、なんなの急にっ!」

「全然急じゃないだろ。お前がわかってなかっただけで」

 現に、周りはそういうことだって理解してる。アッサリ言って肩をすくめる。

 そういうことってどういうこと!

 返事はなく、ただ、どうしようもないなという目で見られた。

「お前が俺のだってこと」

「あんたのものになった覚えはない!」

「じゃあ俺がお前のものでもいいぞ。沖田総司になる覚悟はとっくの昔にできてるし」

 馬鹿!? 馬鹿じゃないの!?

 常になく饒舌な総司にあたしは押されっぱなしだった。おかしい会話をしている、頭のどこかでそう言ってるあたしがいたけれど、考えてる間がない。

 ふう、と駄々っ子を相手にしているような息をついて。総司があたしを真っ直ぐその瞳に捕らえた。

「――俺は八尋先輩となんか付き合ってなかった」

「……知ってる……しばらくしてから気がついた」

 あたしが離れてから。総司を取り巻く空気が鋭くなって。

 傍にいて当然のはずの彼女も寄せ付けなくて、アレは先輩たちの勘違い、あるいは遠回しな牽制だったんだと。

 気づいたけれど、遅かった。

 八尋先輩が総司を好きだったことは間違いじゃないと思う。あのときはわからなかったけど、さっきのマネージャーちゃんと一緒だったんだ。

 あたしが邪魔だったから――、

「気づいたなら、なんで戻ってこなかったんだ」

「そっちこそ、放っといたくせに」

 なじるような口振りに反射的に言い返す。

「暁里が最初に俺との間に境界線を引いたんだろ」

 ここから立ち入るなと。

 剣道をやめることで、そう訴えただろう、総司のその言葉を否定することができない。

「そのうち我慢できなくなって、戻ると思ったんだが、お前の頑固さを忘れてた」

 だって。

「……総司、手加減してたでしょ、あたし相手のとき」

 おんなじはずだったのに、いつの間にか開いた距離が、悔しくて、情けなくて、辛くて、――逃げた。

「当たり前だ。お前と殺し合いが出来るか」

「それが、やだったの……! あたしは本気が欲しかったの……っ」

 あのな、とため息混じりの呟き。

「犯されたいのか」

 もう逃げ場がないというのに、あたしはさらに壁にへばりつく。その反応を見て、さらにさらに総司のため息が深くなった。

「お前と殺し合うってことはそういうことだ。――鈍いお前は全然わかってなかっただろうけどな」

 だからそういうことってどういうことー!?

「まあ、俺ももう我慢の利かない子どもじゃないから。運良く同じクラスになったし――もう一回、捕まえることにした。今度は逃がさん」

 淡々と怪しげなことを言わないで頂きたい!

「暁里がどうしてもその線から出てこないなら、俺の方から越えるしかないだろう?」

 一瞬で距離を詰められる。

 頭の横に両手を突かれて。

 もう、逃げられない。

「そ……総、あたしのこと、すき、なの?」

 今さらそれを訊くか――唇が触れる距離で呟いて。


「好きだ」


 魔王の笑いでもなく唇を皮肉に歪める意地悪な笑いでもなく。

 最初にあたしが好きになった、何故か嬉しそうな笑みをすぐ傍で見つめて――、目を閉じた。



  ***




 俺の領域に飛び込んでくるのを、ずっと待っていた。

 彼女が引いた境界線なんて、意味を為さないところへ。

 うっかり近くにいるはめになって困惑する横顔を眺めて、密かに笑む。

 あの日から、遠くで背中しか見せなかった君を。


 この腕に取り戻す―――。






    境界線上の君。――end.

Copyright(c) Mitsukisiki all rights reserved.

初出:フォレストページ主催Webアンソロジー1【境界線上の君。】'09年11月12日了/40枚


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