第49話 自律
ローズは紫苑へと背を向けながら、歩く。彼女の胸中にあるのは、あの日、学校で見た紫苑の姿だった。
(勘違いだったのかもしれませんわ…………)
瓦礫の上に立つ、気高い姿。ローズはそこに、可能性を見出した。しかし、それはすぐに打ち砕かれた。
ナギによって、殺害され、崩れ落ちる紫苑。あの日、彼は死んだ。
――――そう思われたが…………
再び、彼はローズの前へと現れた。余りにも大きい憤怒を携えて…………。
(昨日までは…………)
紫苑はシェムシュに対する怒りに燃えていた。何としてでも、殺すという意志のようなものに満ち溢れていた、とそう、ローズは感じた。だが――
(今日になって…………)
突如として、牙を抜かれたかのように大人しくなってしまった。復讐というのは余り、褒められたものではないとはいえ、ここまで腑抜けるほどの心境の変化にはローズも困惑を隠せない。
『すぐにでも戦えるようにしろ』
(無理そうですわ…………)
伊吹の過去の言の葉にローズは否定を返す。彼女の予定では、怪力の発露の際の自我の喪失を、段々と克服していく想定だった。そのためには大前提としてそもそもの力を発動させなければならない。その引き金を一日目にして、発見でき、一安心したのも束の間――
(なんで、使えなくなるんですの!?)
挑発が意味を為さない。自我が消える兆候が見えない。確かにずっと正気ではあるが、力が使えなければ戦力としては数えられない。
(長丁場になりそうですわ…………)
元より、戦いとは無縁の紫苑を引き入れたことにローズは一抹の罪悪感を持っていた。だからこそ、友の仇を取りたいという大願に全力で協力したいという気持ちがあった。
(こうなったら、とことん付き合いますわよ!!)
多少の落胆はあれど、見捨てるつもりはない。紫苑が戦えるようになるまで面倒を――
ゴォン!!!
突然の轟音に、ローズは振り返る。視線の先には蹲る紫苑の姿。一体何をしたのだろうか、ローズには皆目見当もつかないが――
(時間差……?)
紫苑の正気が失われた可能性が高い。今になって挑発が聞いたのかもしれない。ローズは戦闘態勢を取る。
紫苑はゆっくりと立ち上がる。
「―――――――」
(なんですの…………?)
紫苑が何かを呟いている。ローズは耳を澄ませる。
「“不撓不屈の半神半人”」
紫苑は拳を握りしめ、半身のような姿勢でローズを見据える。その瞳からは――
「意識があるようですわね」
今までとは明らかに違う。空気も雰囲気も。明確に戦うという意志。人間的な理性を持っているように感じられる。
「ローズさん、もう一度、お願いします」
紫苑の言の葉。対話ができるほどに完全に自我が残っているようだ。ローズは笑みをこぼす。
「上出来ですわ、紫苑」
白い空間に、何かを撃つような音が響き渡る。ローズの連打、それを紫苑は腕で防ぐ。もはや、躱す必要がないのだろう。防戦一方だが、その瞳からは攻撃の隙を伺っているように見える。
(力だけじゃないんですのね)
暴走状態の時では、対応できていなかったフェイントを織り交ぜた攻撃。ローズが何度か繰り返すうちに、段々と適応しているように感じられる。紫苑の目の動き――大幅に強化されたと思われる動体視力がそれに一役買っている。
(なかなか、やりますわ……ね!!)
紫苑から仕掛けられた攻撃。意識がある状態での初めての攻め。もはや、加減する必要はないだろう。
「“飛蝗”」
ローズの片足が変化する、そして、その足で軽く、地面を蹴り、紫苑から距離を離そうとするが――
「逃がさないですよ」
紫苑は地面を強く蹴り、ローズへと迫る。ローズは強く握られていく、紫苑の拳を見ながら、腕を上げる。
「驚きましたわ…………」
ローズの片腕――紫苑の攻撃を防いだとされる部位がはじけ飛んでいる。肉の断面、骨まで見え、大量の血が零れ落ちている。その様はまるで、あの時の再現。心臓を貫かれた時と同じような、明確な傷。
しかし、あの時と違うのは、ローズには、回避の意思があった。隙をさらしたわけではない。ハンデを与えたわけでもない。強いて言えば…………
――油断。
ローズはすぐさま、腕を修復しようとするが、傷口の不自然な脈動は、一度、心臓の時に紫苑に見せてしまっている。そして、そんな隙を見逃すほど、今の紫苑は甘くなかったようだ。
「“不完全変態(腕)―象虫”」
ローズは傷を放置し、無事な方の腕を変形させる。それは黒光りする装甲――虫の外骨格のような装備。攻撃に扱うような武器ではない。その形状はまるで、盾のような――
ガキン!!!
互いの攻撃が衝突する。肉体同士が接触したとは思えぬほどの金属音に似た異音。それはまさに、両者の肉体が金属に匹敵するほどの硬度を得ていることを意味する。
「戦いがわかってきましたわね?」
ローズに攻撃を防がれ、一度、驚いたような表情をした紫苑は、すぐさま、真剣な顔になり、連撃を繰り出す。
その攻撃は執拗に盾を狙う。壊そうとしているのか、あるいはまた別の…………。一発一発の攻撃を防ぐたびに、ローズはその重い衝撃によって後ずさる。ふと、自らの後方を一瞥した。
(なるほど…………)
背後には壁がある。あの飛びのいた瞬間、壁に接近しすぎたようだ。これ以上、下がるのは厳しい。そして、紫苑の顔――
フフッ……。
思わずローズは笑みが零れる。成功体験というものは成長には欠かせない。紫苑が自覚しているかはわからないが、まるで勝ちを確信したかのような表情。
「まだまだですわ」
紫苑に聞こえないぐらいの声量で、独り言を漏らすローズ。彼女の顔には好戦的な笑みがたたえられていた。
「私は少し、負けず嫌いでしてよ?」




