第16話 ストーカー
紫苑は今、紅音と二人で夜道を歩いている。それは紅音から帰りの付き添いを頼まれたからだった。紅音は近くのマンションで一人暮らしをしている。何故、紫苑は付き添うことになったのか。それは――
(あいつか……)
振り返った紫苑の視線の先、丁度、二人の背後を取る形で、一人の男が棒立ちをしている。紅音は現在進行形でストーカー被害に悩まされていた。彼女の黒装束もその対策の一環らしいが、効果は怪しい。警察にも通報しているが、芳しくなく、実害がないうちはどうにも積極的ではないらしい。パトロールを増やすと言ってはいるが、それも定かではない。
そのため、不安になった紅音が紫苑に頼んだという次第だった。紫苑は父に事情を伝え、紅音の付き添いに出向いたが――
(堂々とし過ぎじゃないか……!?)
物陰に一切、隠れることなく、一定の距離でついてくる。二人が止まれば、その男も止まる。ストーカーではありそうだが、それにしても奇妙だ。どうやら、あれが平常運転らしい。
紫苑は怯えている紅音をチラりと確認し、勇気を出して、男に近づいていく。紅音に服の裾を掴まれるが――
「大丈夫です」
そう言い、紅音を振りほどく。
警戒しながら、紫苑は男に近づいていく。それに伴い、その男の奇妙さが露になっていく。
男はスーツを着ていた。その服は汚れており、少し、破けているところもあるが、上質なものであることが伺える。
そして足元も革靴を履いている。かなり劣化はしているが、こちらもかなり質が良いように見える。
極めつけは腕時計。かなりの高級品のようだ。汚れているが、光沢を放っている。
全体的に薄汚れてはいるが、身なりが整っている。ストーカーというのはこんな服を着るのだろうか。
しかし、それとは対照的に、髪はぼさぼさ、髭を乱雑に生やし、まるで浮浪者のよう。頬は痩せこけ、顔は青褪め、健康状態の悪さが垣間見える。そして、どこを見ているのだろうか、その瞳は酷く虚ろだ。
(ストーカーなのか……?)
紫苑は、男の薬指に付けられた指輪を見ながら、そう思った。
「すみません」
紫苑は男へと話しかける。男は特に反応を示さず、ただ、紅音のいる方向をじっと見つめている。
「すみません!!」
紫苑は大声を上げるが、それでもなお、反応を示さない。しかし、突然、男の体が強張り、動きの前兆を見せる。紫苑は紅音を見た。
恐怖が限界に達したのだろう。紅音は走り出していた。彼女の家――アパートはもう目と鼻の先だった。男はその後を追うように走りだそうとした。
紫苑はすぐさま、男の腕を掴む。しかし、男はそれを気にすることもなく、前に進む。そして――
(こいつ……!?)
突如、紫苑の掴んでいた腕が、まるで、ゴムでもちぎれたかのように、張力を失った。
(肩を外した……!?)
紫苑は小さく、鈍い音が聞こえた気がした。男の肩は外れているようで、腕を置き去りにするように男はなお、前に進もうとする。そのせいで、男の腕からプチプチと何かがちぎれるような音がする。
(こいつ、何か変だ………!!)
余りにも常軌を逸した狂人を紅音に近づけるわけにはいかないと思った紫苑は男の動きを完全に封じるため、羽交い絞めを行った。紅音がマンションに入ってしまえさえすれば、あの建物のセキュリティを突破することは不可能だ。
男は拘束から逃れようと、ジタバタと藻掻く。栄養失調にも見える彼のどこにそんな力があるのか、紫苑は必死に男を抑えつける。そんな格闘を続けているうちに紅音の姿はいつの間にか見えなくなっていた。
すると、突然、男からの抵抗が無くなる。というより、全体重を紫苑にかけるように体の力を抜いている。紫苑は不審に思いながらも、恐る恐る拘束を解いた。
男が崩れ落ちるように地面にへたり込む。その様子を尻目に、紫苑は紅音の後を追おうとした――
「失敗」
「――え?」
男が言葉を発した。紫苑は振り返り、男を見る。
「失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失パイ、シッパイ、シッパイ、シッパイ、シッパイ、シッパイ、シッ――」
男は痙攣しながら、譫言のように何度も、呟いている。そして、男の額から煙が上がる。何かを焼くのような音を響かせながら、額から大量の煙を上げたのを最後に、男は地面に倒れこんだ。
「何だったんだ、こいつは…………?」
「紫苑君…………?」
背後からの声に、紫苑は振り返る。そこには金属バットを持った紅音の姿があった。
「ど、どうしたんですか……?」
「戦おうと思って…………」
紫苑は唖然とする。恐怖が振り切れてしまったのだろうか。普段の紅音からは考えられないほど攻撃的だ。
ふと、紫苑は紅音の背後を見る。視線の先で、何やら、光が揺れている。それとともに、何者かの足音も聞こえてくる。光と足音はどんどん大きくなっていき、そして――
「これは、これは、逢瀬かな?」
その声と共に、音の主の正体――警察服を着た男の警官が姿を現した。
「外傷が無いな」
警官はストーカーの体を調べている。最初、バットを持った紅音と倒れているストーカーを交互に見て、手錠を取り出したが、紫苑が間に入り、事情を説明したことで、紅音は逮捕を免れた。
(まさか、信用されるとは……)
人間の頭から煙が出たなど、誰が信じるだろうか。しかし、紫苑の話を聞いた警官は笑みを浮かべ、すぐさま、体を調べ始めた。
紫苑は調査中の警官を観察する。
警官は一言で言うなら、平凡。中肉中背――何ら特筆すべき点もない、標準的な男性。あえて、特徴を挙げるとするなら、深めに帽子を被っており、目元が見えないというくらいだろうか。
警察手帳や自己紹介などはされていないが、無線で淀みなく、報告しているあたり熟練の警官なのだろう。
ストーカーはすぐに救急車で運ばれていった。応援で呼ばれた警官たちは凶器を持った紅音を見ると、すぐさま、詰め寄ったが、最初の警官がそれとなく、状況を説明し、事無きを得た。
「君たちも、早く帰るんだよ。ここ近辺でストーカー被害が報告されてるから」
「あの……、それ私です……」
「ん?」
警官の言葉に、紅音が手を上げて、答える。それで合点がいったのか、警官は手をポンと叩く。
「あ~、そういうことね! じゃあ、あれがストーカーか!!」
鎌でもかけているのだろうか。不気味なほど物分かりの良い警官だ。救急車で運ばれていった男がストーカーと断定できる情報など無かったはずだが――
紫苑が黙っていると、特に気にする様子もなく、他の警官の元へと戻っていった。
「無事に送ってこれたか?」
家に帰ってきた紫苑に、父は元気よく、問いかける。紫苑は、先ほど、起こった全てを父に話す。
「はえ~、不思議なこともあるもんだな」
ストーカーの頭から煙が出たことを話した後の第一声の父の感想がこれだった。例の警官と異なり、あまり信じていないようだ。
「何かの見間違いじゃないか? 雷でも落ちたわけでもあるまいし、常識的に考えて、ありえないだろ」
父は超常現象などを鼻で笑う人だった。そういう、番組を好んで見ているが、どれもこれもニヤニヤしながら、見ている。心霊番組で爆笑していた時は流石の紫苑も少し、引いた。
(見間違い……か)




