第11話 魔物
余りに状況が酷似している。
――偶然?
紫苑は一度、思考を中断する。背後で一際大きな音が鳴ったからだ。紫苑は振り返り、女性を強く、引っ張る。魔物の上からの襲撃を間一髪で躱すことができた。
(考えるのは後だ……!!)
まずは生き残らなければならない。そのためには魔物の魔の手から逃れながら、突破口を探すしかない。そして、今の攻撃で、紫苑は魔物の姿を目視した。
(蛇か……?)
筒状の曲線のような姿をした生物。しかし、既存の常識を遙かに逸脱している規格外の大きさ。空間が空間だけに早とちりはしない方がいいかもしれない。
「私を……置いて……逃げて……」
女性は既に限界のようだ。呼吸が荒く、大量の汗をかいている。体力が尽きていることが見て取れる。
紫苑は女性に背を向け、身をかがめた。
「捕まってください」
「え……?」
「いいから、はやく!!」
「はい…………」
女性が首に手を回したのを確認し、紫苑は女性を背負った。そして、走り出す。突如として、周囲の物音が止んだのだ。あの生物の移動音が聞こえない。しかし、一つの場所に留まるのは得策ではない。
(きつい……)
紫苑は走力には自信があったが、流石に背負いながら、走るのは体力的に厳しい。音が消えていたのも、数瞬のことで、すぐに鳴り始めた。故に紫苑は走らざるを得なくなっていた。それに――
(追い込まれている……)
道路の岐路は土でも盛られているかのように、黒い地面が隆起し、塞がれている。そして、まるで誘導するかのように、一つの道だけが開けられている。
(楽しんでるのか……?)
本当に腹立たしい。だが、最もムカつくのは思い通りに誘導されるしかない自分自身の無力さだった。
そして、どこに誘導されているのか、紫苑は何となく、察しがついた。本当に悪趣味極まりない。紫苑が辿り着いた先は――
「う…………そ…………」
紫苑の耳元で女性の弱々しい声が聞こえる。紫苑は歯噛みした。今、二人がいる場所は袋小路だ。当然、目の前の家の戸は開かない。
ここは有名な袋小路だった。この住宅街で、唯一と言っていいほど、人が全く住んでいない、無人の場所――別名蛻小路。
元々、神社があったが、それを無理やり取り壊した。それに加え、この場所から漂う、嫌な空気に、地域の住民は誰も、近寄ろうとしない。一説には風水が絡んでいると言われている。
比較的、新しく来た紫苑ですら、知っているこの場所。女性が驚いているところを見るに、ここの住民ではないのだろう。
隙間もなく、詰め詰めで建てられた家だが、紫苑の正面の――今しがた戸を開けようとした家の向こう側に道があったはずだ。うまく屋根を越えれば、反対側に行けるだろう。紫苑自身は一人で、上れるだろうが――
「僕が下から支えます。屋根伝いにこの家を越えてください」
「私は……ここに残る」
紫苑は目を見開き、驚愕した。目の前の女が何を言っているのか理解できなかったからだ。
「死ぬ気ですか?」
「そう。私はここで死ぬ。無能で無価値な私の死に場所としては相応しい」
紫苑は開いた口が塞がらない。女性の表情は全てが終わったかのような、そんな表情を浮かべていた。
「無価値か……」
紫苑は独り言を呟きながら、女性の胸倉を掴む。音が近い。もう怪物はすぐそこまで迫ってきている。
「俺があんたをここまで連れてきた。あんたの命を俺が運んだんだ」
「それが……?」
「あんたは自分の価値を手放した。そして、俺がそれを拾った」
「は?」
「つまり、もう俺のものだ」
「え、え、え――」
もう時間がない。焦りからか、紫苑も自分で何を言っているのか理解できていないが、もはや反射で出た言葉で押し切るしかない。
「生きろ!!」
「は、はい!」
女性も混乱しているのだろう。そんな彼女に向かって、紫苑は顎で家を示す。女性は紫苑の助けを借り、うまく、家を越えていく。紫苑もその後に続こうと、建物の外壁に手を掛けようとしたその時だった。
――地面が大きく揺れる。
紫苑は一瞬、バランスを崩した、刹那、周囲の建物が隆起を始めた。途轍もないスピードで盛り上がっていく。もはや、上る、上らないの話ではない。不可能――完全に壁に囲まれた。紫苑は袋の鼠となってしまった。唯一、残っている逃げ道、自らが来た道がそのままだが、紫苑は黙って、その方向を見つめる。
――何かがせり上がってくる。
ゆっくりと現れたのはまるで蚯蚓のような円柱型の怪物。鎌首を擡げ、紫苑に頭部を向ける。その頭部には円形の口があり、その内部に、円形の歯のような器官が確認できる。口の周りには複数の触手を生やし、怪しく蠢いている。
だが、最も特筆すべき点はその体長。見えている部分だけで目測でも3mは優に超えている。
逃げ道は一つ――蚯蚓の番人を越え、向こう側に行くしか、生き残る術はない。紫苑は蚯蚓をじっと観察する。明確な隙を――
(動いた……!!)
蚯蚓が紫苑に向かって頭部を振り下ろす。紫苑はそれをギリギリで躱し、そのまま、蚯蚓の肉体の隙間を通り抜けていく。巨体故の弱点か、攻撃が遅く、隙が大きい。紫苑は無事に反対側へと抜けることができ――
「ふざ……けんな…………!!」
蚯蚓の身じろぎで、最後の逃道も壁で塞がれた。最初から逃がす気など無かったのだ。ただの余興、手加減。予定調和の狩猟の終わり。
蚯蚓は口元の触手を伸ばし、紫苑の周囲に突き刺す。それはまるで一種の牢獄のように、紫苑は完全に閉じ込められた。紫苑は頭上の口を睨みながら――
「クソ……が……」
悪態をついた。自分の無力を痛感しながら、蚯蚓に飲み込まれる。
――はずだった。
「“水符・土虚水侮――”」




