第10話 喧嘩
「それから、妹とは会ってない。これから先も、多分、ずっとこのままだ…………」
漣夜はベッドに座りながら、拳を握りしめていた。そこからは後悔してもしきれないという思いがありありと伝わってくる。そんな漣夜を見て、紫苑立ち上がり、口を開いた。
「まだ、謝ってないのか…………?」
「ああ…………」
「何で、謝らないんだ…………!?」
「わかってる…………」
「今、すぐにでも謝るんだ……!!」
「わかってる!!」
紫苑の声に呼応するかのように、漣夜は大声を上げた。
「わかってるんだ……。でも、勇気が出ない…………」
「そんなのは――漣夜じゃない!! そんなうじうじして、優柔不断で……。僕の知ってる漣夜はすぐに謝ってる!!」
「紫苑!!」
漣夜は立ち上がり、紫苑の胸倉を掴んだ。
「急になんだよ、お前!? 俺は俺だ! お前の勝手な解釈を押し付けんな!!」
「だからって謝らない理由にはならない!!」
「うるせぇよ! お前なんかに俺の気持ちがわかるかよ!!」
「ああ、わからないよ。憐れんでほしかったのか? 慰めてほしかったのか? 正当化してほしいがためにこんな話をしたのか? なら、漣夜は間違ってる。少なくとも、自分の妹にかける言葉じゃない」
紫苑の言葉に漣夜は憤怒の表情を浮かべ、紫苑に殴りかかる。
「ちょ、ちょっと!?」
理心が何とか、漣夜の腕を掴む。ヒルデは紫苑と漣夜を互いに引きはがした。引き離された漣夜は未だに険しい顔で、紫苑を睨む。
「絶交だ」
ただ一言、漣夜はそう言った。
それからの紫苑の日常は色褪せたものとなっていった。漣夜とは互いに言葉を交わさない。顔も合わせようとしない。そして、そんな状態の二人に理心とヒルデも近づいてくることはなかった。
そんな日々が一週間ほど続いた。その間、紫苑は孤独な学校生活に戻ってしまった。今までの日常がどれほど輝かしいものだったのかを理解した。後悔が紫苑の心の中を渦巻く。気持ちも次第に落ち込んでいき、少しづつだが、肉体の不調が出始めていた。
紫苑は学校からの帰り道を一人で歩いている。その顔は今にも死にそうなほどに暗い。
やがて、自分の家に辿り着いた。一階の窓から、紅音の姿が視認できる。最近、紫苑は紅音に相談に乗ってもらっていた。どうすれば、仲直りできるのか。いつも通り、一階のカフェに入ろうとすると――
「え……?」
突如、カフェの窓が遮光ガラスのように黒くなった。
――違う。
窓が黒くなっただけではない。周囲――世界が暗くなった。一斉に街灯が点く。この異常事態にすぐさま、カフェの扉を開けようとするが――
「開か……ない……!?」
まるで、接着剤で留められたかのようにびくともしない。周囲の家も、窓が黒くなっており、中の様子が全く、伺えない。
――気配――
何かがいる。紫苑は咄嗟に振り返る。目の前にはパンツスーツを着た女性がいた。しかし、その様はまるで…………
――幽鬼のようだ。
暗くて顔色はよくわからないが、死んでいるのではないかと思うほどの表情。空間と相まって、紫苑は身の毛がよだつような感覚を覚えた。女性の纏う雰囲気に怯み、顔の造形など気にする間もなく、視線を逸らした。
ポチャン……
突如、響いた水音。紫苑は足元を見る。水たまりのようなものは確認できない。地面はまるで黒いペンキで塗り尽くされたように真っ黒だ。街灯の下も同様で、コンクリートは一切、確認できない。
――肌寒い……。
ひんやりとした空気が辺りに漂っているように感じる。それに加え、湿度が高いようにも感じる。まるで、水面に立っているかのようなそんな感覚だ。
女性が紫苑の傍まで近づいてくる。紫苑は女性を警戒し、身構える。意外にも害意のようなものは感じられない。だが――紫苑の視線の先、女性が今まで、歩いてきた道の奥から何かが近づいてくる。
――何だ、アレは!?
時折、街灯に体の一部を照らされながらも、こちらに近づいてくる存在。その大部分が見えないことや引きずるような物音から、その何かは潜行していると推測できる。紫苑は嫌な予感から、女性の手を引き、横へと移動する。女性からの抵抗は無い。
そして嫌な予感は的中した。
先ほどまで、自分たちのいた場所から何かが飛び出し、カフェをなぎ倒しながら、再び、潜行した。
紫苑の視界が一瞬、怒りから、真っ赤に染まる。父や、紅音、そして店内の客もろとも破壊していった輩に憎悪が湧く。しかし――
(悲鳴がしない……?)
というより、周囲から全くと言っていいほど、女性以外の人の気配を感じない。紫苑は瓦礫の残骸を注意深く、観察する。家具、インテリア、調度品――所謂、内装に区分されるようなものが散見されない。そして、言及しづらいが、肉片や死体のようなものも見当たらない。あるのは建造物を構成していたであろう――瓦礫のみ。
まるで、ハリボテ。上っ面のみを再現したような出来の悪い作り物。
――地面が揺れる。
本当に小さな、警戒していなければ、気づかないような些細な揺れ。紫苑は女性の腕を引き、走り出した。
紫苑の背後で何かが飛び出したのを肌で感じ取った。同時に破壊の元凶による追跡が始まったのを実感した。
女性を引っ張りながら、走る紫苑はある記憶を呼び起こした。
(似ている…………)
最近は訪れていない――図書館で黒木愛利寿から聞いた話。
『影には魔物が潜んでいます――』
『夜でもないのに、辺りが暗くなったら気をつけてください。それは――』
「『狩りの合図』」




