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第96話: この世界が美しい理由

「いよいよですね——」


 クロエはついに天空の制御室の最奥、「賢者の玉座」に辿り着いた。ドーム状の天井は巨大な観測窓となっており、眼下には崩壊しゆく世界が、そして頭上には混沌に染まった空が広がっている。


 玉座の間の中央には、ヘキサグラマトンのコントローラーとでも言うべき「賢者の制御碑」が鎮座し、最後の「守護者」——賢者ヴァイスクが一行を待ち構えていた。


 それは、もはや人間としての理性も形も失いかけ、ヘキサグラマトンの暴走エネルギーと完全に一体化し、混沌が具現化した動物の様であり、幾何学的な意匠でもある、有機物のような無機物、無機質な有機物とでも言うべき、形容しがたい姿へと変貌を遂げた賢者ヴァイスクだった。


「……クロエ!

 ……なぜ……なぜ!

 なぜ私の理想を理解しようとしない……!


 共に逝こう……!

 完璧な世界へ……!」


「ぐっ……あなた()

 完璧を目指してしまうのですね」


「——破綻のない、完璧。

 終わりのない、永遠。

 1+1が常に2であるように、

 世界を理論通りに構築する。


 全てが調和し

 公平で、公正で、無駄も歪みも何もない。


 まさに理想……!」


「アステル」


「……」


「アステル!」


「……」


「そんな理想、私は認めません。

 残念ながら、世界は計算通りにならないのです。


 魔法使いなのに体を鍛えたり

 騎士団なのに魔術師団とつるんだり

 臆病なのに強気だったり

 謎ばっかりなのに隠そうともしなかったり


 だからこそ

 この世界は楽しいのです。美しいのです」


「……」

 

「あなたの哀れな魂を苦しみから解放するためにも

 この世界を救うためにも

 ここで悲劇の連鎖を断ち切らなければなりません」


 クロエはそう断言すると、全ての知識、技術、残された全ての魔力を開放した。


忘却の光フォゲット・ミー・ノット


 クロエの持つ異常なまでの魔力効率、超人的な分析能力、そして極限状況下での最適化思考の全てが一筋の光となってヴァイスクを貫く。


 クロエとヴァイスク——いや、アステルを繋ぐ想い出が文字通り走馬灯となって天空の制御室に映し出される。


「うおおおおおお! ナゼだ!

 ナゼ……

 クロエ——忘れないで! お願い……

 黙れ! どうして……! クロエ!

 ああああああ!」


「アステル。

 私を含め、多くの人があの悲劇を……

 あなたを忘れようとするあまり

 あなたの残留思念がこの世界に残り

 ヴァイスクという悍ましい人格を生み出したのです。


 ならば、無理やり記憶の奥に閉じ込めるのではなく

 あなたを忘れずに生きていくこと——

 あの悲劇を繰り返さないように

 教訓として世界をよりよく変えていくことが

 何よりもあなたへの(はなむけ)なのです!」


 クロエはヴァイスクの本質を読み解き、魂を開放する魔法を放っていたのだ。


「ぬああああ! 私は、私は……

 私は負けない! ヘキサグラマトンよ!

 この世界を——」


 もがき苦しみながらも、ヘキサグラマトンを操作しようとするヴァイスク。しかしまるでその意に反するかのように、ヘキサグラマトンもまた混乱し不規則な挙動を繰り返している。


「いけない!

 もうヘキサグラマトンも

 解放しなくては——

 アステル。もうやめましょう!」


 クロエはヴァイスクを尻目に「賢者の制御碑」に駆け寄り画面に目にも止まらない速さで打ち込んでいく。


「『ロジックボム・ポイント』に

 最後のトリガー、「無効化コード」を

 打ち込んでしまえば

 ヘキサグラマトンももうおしまいです!」


 しかし、『ERROR』の表示。アラームが鳴り響く。


「3度ま……まチがえば

 3度間違えば

 ヘキサグラマトンは全てを書き換え始める」


「やはりそういう仕様ですか。

 開発した古代の人も

 何を考えているのでしょう——」

 

 ヴァイスクの中のアステルの最後の良心だろうか。しかし、聞こえてきたのはクロエの想像した通りではあったものの、ヘキサグラマトンのとんでもない罠だった。


(チャンス回数はあと1回——

 さて、何と打つべきか)


 クロエは、ランダムなもの、意味のあるもの、様々なパターンを検討する。しかしどれも決め手に欠ける。


 その時——


「クロ……エ」


(アステル!?)


 クロエは、ヴァイスクが“アステルの声”で、そう呼びかけられた気がした。そんなはずがない、と思い直しながらもクロエの脳裏に、思わぬ光景が蘇る。


「——『星空の下でまた明日』」


 あの頃、アステルと共に夜通しで研究した後、共に朝日を眺めながら交わした、二人だけのささやかな約束の言葉。


(これで間違いありません。

 そういうことですね、アステル——)


 そう打ち込んだ瞬間。ヴァイスクの異形の体は激しい光に包まれ、苦悶に満ちた表情がほんの僅かだが、かつての親友アステルのあの穏やかで優しい微笑みを浮かべたように見えた。


「……ああ……クロエ……

 やっと……これで……眠れる……

 ありがとう」


 アステルの心からの言葉だったのだろうか。


「アステル! アステル——!!」


 次の瞬間、ヴァイスクは光の粒子となって弾けて消えた。


 しばしの静寂ののち、ゴゴゴゴゴゴ……と轟音が響き渡る。


 賢者の制御碑は機能を停止し、天空の制御室全体が光に包まれる。王都上空で全てを無に帰そうとしていたヘキサグラマトンも内側からまばゆい光を放ち霧散していく。


「ああ、これで終わったのですね——」


 多くの傷跡を残しながらも、王都には再び静寂が戻った。


「これでもう、私の定時退社を脅かすものは……」


 バーンズも、アランも、シオンも、リリィも……皆、ボロボロになりながらも、クロエを見やる。


 クロエは全ての力を使い果たし、その場に倒れ込みながらも、満足げに、そしてアステルに想いを馳せながら微笑んだ。

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