第95話: シオン——その規格外の力の開放
クロエがヴァイスクのもと、「賢者の玉座」へと到達するまであとわずか。追い詰められた賢者ヴァイスクは、クロエたちによって計画が破綻しかけている現実を受け入れられずにいた。
「まさかこの私がここまで追いつめられるとは——
もう天空の制御室を王都に落下させるしかあるまい。
そうすれば
ヘキサグラマトンをコントロール不能となり
全てのエネルギーを開放して
『終わらせる』こともできよう。
ふふふ……そのシナリオしかないか……」
コックピットであるこの空間を王都に落下させ、意図的にヘキサグラマトンをコントロール不能にしようというのだ。
ヘキサグラマトンの制御が完全に失われてしまえば、あらゆる因果律が完全に破壊され、クロエたちだけでなく、王都も、世界も、文字通り「万象」が巡るすべての時間軸から消滅してしまうだろう。
「まずはこの制御室を落下させる——」
と、その時クロエがヴァイスクの元へと辿り着いた。
「ヴァイスク! いえ、アステル……!
観念しなさい!
あなたは——
こんな生き方を望んでいなかったはずです!」
「ふっ……綺麗ごとを並べ立ておって……
さぞかし気分がよかろう。
——全く忌々しい!
もうおしまいだ。何もかも終わらせてやる!」
ヴァイスクが、賢者の制御碑のボタンをカチリと押し下げた。ゴゴゴゴゴ……と揺れ始める制御室。壁が、天井が、崩れていく——。
「これで、私の全ての魔力が開放され
全ての存在確率が強制的にゼロへと収束する。
世界そのものが
不可逆的、かつ終局的に絶対的な破滅するのだ!」
「な、なんてことを——」
「もう誰にも止められない。
クロエ、お前ですら手も足も出ずに
ただ、ここで『傍観者』として
世界の破滅を見届けるがいい——!」
「くっ……!」
絶対絶命。クロエですらそのあまりにも根源的で圧倒的な力の発動を止めることは不可能かと思われた、まさにその瞬間。
これまでどこか傍観し、自らの楽しみを優先しているかのように見えたシオン・アークライトが、ついにその真の力を解放した。
「——やれやれ。
これ以上この美しい世界が壊れてしまっては
僕の大切な『観測記録』に
取り返しのつかない傷がついてしまうね。
それに、クロエのような『イレギュラー』が
こんな、あまりにも退屈で
救いのないバッドエンドを迎えるのは
——僕の美学に反する!」
シオンはそう言うと、これまで決して見せることのなかった、真剣でいて、どこか哀しげな表情を浮かべ、掌を天に掲げた。
「…………」
シオンが唱え始めたのは、聞いたこともないような抑揚の呪文。古代魔法の一種か……クロエですら何の魔法か想像もつかないものだった。
「…………!」
その『何か』を唱え終わり、シオンがその力を解放した瞬間——天空の制御室の空間が、まるで水面のように揺らめき、ヴァイスクが再び放とうとしていた膨大な破壊のエネルギーが、別の未知の次元へとまるで吸い込まれるかのように強制的に追放されていった。
「シオン——あなたは一体……?」
世界の崩壊が、寸でのところで食い止められたのだ。
「謎が全て解けてしまったら
人生つまらないじゃないか」
まるで何事もなかったかのように言ってのけるが、まさに神業としか言いようのない離れ業だった。常軌を逸した力に、ヴァイスクもただ——驚愕するしかなかった。
「お前は……! 何者なのだ……!?
ただの人間ではない……!
その力は、この世界の理を超えている!!」
ヴァイスクが驚愕と混乱に声を震わせる。
「さあね。僕はただの
好奇心旺盛な『旅人』であり
哀れな『記録者』であり
そして熱心な『劇作家』でもあるのさ。
君のような、あまりにも非効率で
全く美しくない結末を用意する役者は
僕の好みではないん、だ、な」
シオンはいつものように不敵に笑う。が、彼の体は、何らかの規格外の力を行使したらしく、大きな代償を払ったようだった。
体の輪郭が僅かに揺らぎ、体がところどころ透けているように見える。
「シオンさん! あなた、まさか……!」
「心配無用だよ、クロエ。
これはほんの少し無理をしただけのことさ。
この程度のリスクを冒してでも
君がこの物語のエンディングを
どんな風に描くのか——
それを見る価値は十分にある」
そう言うと、シオンは再び微笑みを浮かべた。
「さあ、クロエ。行くんだ、君は——!」
「シオンさん……。
自己犠牲なんて、私は許しませんからね」
「ははは……
さて、最高の舞台は整ったようだ。
あとは主役の君の、華麗なるパフォーマンスを
期待させてもらおうじゃないか……
クロエ・ワークライフ!
君の『最適解』を
僕はこの特等席で観測させてもらう。
——君の定時退社への飽くなき拘りが
この世界を救う歴史的瞬間をね。
ははは……少し、眠らせてもらうよ」
シオンはそう意味深な言葉を残すと、その場に力なく倒れ込んだ。彼の意識があるのかないのか、それすらも定かではなかった。
「本当に、少しだけですよ」
クロエはシオンの行動の真意と、あのシオンが倒れ込んでしまうほどのあまりにも大きな代償の意味を、深く胸に刻みつけた。
「シオンさん。本当にありがとう。
さあ、皆の思いに応えるためにも——
私は行かなければならないようです」




