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第94話: クロエとシオンに襲い掛かる『悪趣味な幻影』

 バーンズ、アランの連係でヴァイスクの放った「純粋な破壊の力」を退け、クロエとシオンは賢者の玉座へと続く回廊を疾走していた。


「古代の技術と未知の魔術が融合した

 冷たい金属のようなものと……水晶かい? これは」


「なかなかに悪趣味な空間です。

 壁の幾何学的な魔導回路も脈打っていますし……」


「ごらんよクロエ」


 ちらっと見やると、大きな窓の外には破壊された王都が広がっており、魔力の嵐が猛威を振るって台風が直撃したかのような光景が広がっている。


「——私の愛すべきスイーツ店が

 無事であることを祈ります」


「そうだね。

 僕は、皆……案外無事だと信じてるよ。

 うん。信じてる」


 特にエビデンスもなく言い切るシオンに微笑むクロエ。この先の空間の異変に気づく。


「ところでシオンさん。

 この先の空間歪曲パターン、予測できますか?」


「ふむ——

 これは『カオティック・ミラー』と呼ばれる

 古代の精神防壁の一種だね。


 侵入者の記憶とトラウマを読み取り

 それを増幅させて

 最も効果的な悪夢をリアルタイムで生成する。

 実に悪趣味でそして非効率なトラップだ」


「シオンさん。

 まるで美術品を鑑賞するかのように

 楽しげなご解説ですが

 わりと本格派の最悪なトラップですね」


「褒めているのかい?」


 などと言っている間もなく、シオンの言葉通り、回廊を進むにつれて目の前に物理的な障害ではない、より悪辣なトラップが姿を現した。


 ——あの王立先進魔導研究所の、忌まわしき第三研究室の光景が鮮明な幻覚として現れた。


『クロエ! 見て! この数式、美しいと思わない?』


 屈託のない笑顔で語りかけてくる、若き日のアステル。手には、後にあの悲劇を引き起こすことになる禁断の魔導書。


(アステル、その魔導書は——

 ダメ、声は出せないのね……)


『ほら! クロエ!』


 クロエは反射的に顔をそむけた。次の瞬間、全てが紫色の絶望の光に飲み込まれていく。


『キャアアアアア!! クロエ! クロエーーー!!』


(アステル……!)


 頭ではこれが幻覚だと分かっている。しかし、その光景はあまりにもリアルで、クロエの心の最も柔らかい場所を容赦なく抉り続けた。


 クロエはついに、歩みを止めて泣き崩れた。


 一方、シオンの前には、その全貌などまだ誰も知らないはずの、宇宙の創生から終焉までの全てが異常な臨場感をもって、美しい光のタペストリーのように広がっていた。


「……ほう、これは面白い。

 王国の歴史よりもさらに長大な

 『宇宙の全て』を1秒で説明する幻かい?

 情報量がすごいねえ……!

 もっと、もっと、もっと欲しい!」


 シオンの尽きることのない知的好奇心を、これ以上なく刺激する甘美な誘惑。彼もまた、あまりにも魅力的な情報に足を止めてしまい、深淵を覗き込みそうになっていた。


 賢者ヴァイスクは、二人の僅かな心の隙を見逃さなかった。


『そう。それこそがお前たちの限界だ。

 過去への感傷と未来への無意味な好奇心。

 実に非効率的で人間的な弱さだよ……』


 ヴァイスクの嘲笑が回廊に響き渡る。しかしこの絶体絶命の危機を救ったのは、アラン・クルツの冷静な声だった。満身創痍の中、うずくまるクロエに向かって叫んだ。


「クロエ! それは幻だ!

 君自身の記憶データを投影しているだけだ!

 精神攻撃プログラムの構造的な欠陥を突け!

 ——君の分析能力なら必ずできるはずだ!」


「……欠陥?

 そうですね……この幻覚はあまりにも完璧すぎる。

 完璧すぎるが故に、自然な『揺らぎ』がない……!

 現実の記憶とは違う!」


 クロエはアランの言葉に、ハッと我に返り立ち上がった。いつも通り、アナリティカル・レンズを最大出力で稼働させた。


(この幻覚を構成する魔力パターンの

 論理的な矛盾点——

 それを突くカウンターの思考パルスを放ちます)


 クロエは一瞬で魔術式を構築すると、おもむろにオプティマイザー・ロッドを振りかざした。


 サァーッ……パキパキパキパキ! クロエの目の前に広がっていた悪夢のような幻覚は、ガラスのように粉々に砕け散った。


「これで、良かったのですね?」


「クロエ! どうやら解決したようだな」


「ええ。私はもう大丈夫です!」


「ああ。次は君だ!

 シオン! その知識は罠だ!

 おそらくその情報の中に

 君の精神を汚染する魔力信号が仕込まれている!

 君のその常人離れした目で真贋を見抜くんだ!」


「……なるほどね。

 確かに言われてみれば

 宇宙定数の小数点以下千桁目に計算ミスがある。

 ……やれやれ、美しい芸術品にケチをつけるのは

 僕の趣味ではないんだがな」


 シオンもまたアランの助言で我に返り、甘美な誘惑を一笑に付し、幻覚を自らの力で霧散させた。


「二人とも、よくやった!」


 アランはそれだけでは終わらなかった。この機会を利用して逆にヴァイスクへの情報戦を仕掛けたのだ。事前に収集していた兄弟団内部の機密情報を、特殊な周波数の魔力信号に乗せて拡声魔道具を使用して発報した。


『アステル! 聞こえるか!

 君のその崇高な理想は

 こんな形で世界を破壊することではないはずだ!』


(なっ……!

 私の精神に直接……!?

 『魔道具(マギア)』か——

 小賢しい真似を……!)


 ヴァイスクの集中が僅かに乱れる。一瞬の隙が、クロエとシオンに決定的な時間的猶予を与えた。


 ヴァイスクはアランの予想外の攻撃に動揺し、アランへの反撃魔法を構築し撃ち返してくる。


「アラン・クルツ!

 お前のその歪んだ正義は

 誰のためのものでもない!

 ただのお前の哀れな自己満足に過ぎない!」


 しかし、アランの精神はそんなものでは揺るがなかった。ヴァイスクの精神攻撃にも、力強く確信を持って答える。


「俺の正義は俺が守りたいと思った人々と

 そして——たとえ非効率で不器用でも

 懸命に生きようとする全ての魂のためにある!


 何よりも、クロエ・ワークライフという

 効率的に見えて、実は最も非効率で

 最も頼りになる仲間を

 俺は心の底から信じている……!」


 アランの言葉は、騎士としての誇りと仲間への揺るぎない信頼を込めた魂の宣言だった。その声は、回廊を進むクロエの耳にも確かに届いていた。


「アランさん——。

 私が、非効率とは一体どういうことですか……?」

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