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第85話: 勇気ある撤退と集結する仲間たち

 クロエの(どこか彼女らしくズレているが人の温かみのある)決死の覚悟。そして仲間たちの励まし。


(渾身のゼロ・ディフェクト・ジャッジメントも

 無に帰すという

 恐ろしい魔法展開速度と魔力係数——

 しかも、ヴァイスクとヘキサグラマトンは

 移動しながら世界を書き換えている……

 

 何か次の手は——)


 考えあぐねているクロエに、シオンがそっと囁いた。


「クロエ。

 ヴァイスクとヘキサグラマトン。

 奴らの弱点の看破と精神防御壁の突破は

 うまくいったんだ。

 

 ここには僕らしかいないし

 仲間の元へ一時撤退するのが合理的じゃないか?」


(——!)


「シオンさん。

 冷静な助言、ありがとうございます。

 少々、熱くなっていたのかもしれませんね」


「ああ。勇気と意味がある撤退だよ」


 そう言うとシオンは古代魔法を詠唱し、離脱魔法を展開した。


「——転移先の天文台が、残っていればいいけど」


 不穏な一言と共に、クロエたちは光に包まれた。



 ヘキサグラマトンが世界を書き換え始めたことで、王都カルドニアはもとより、世界がもはや(てい)を為さなくなりつつあった。


 大陸の一部が書き換えられたことで、エネルギーの行き場を失ったマグマが火山の中腹から突然漏れ出して火砕流が街をいくつも呑み込んだ。


「長老様!

 炎の精霊がご神体を焼き尽くしています……!」


「何ということじゃ!」


 人々は、あまりに無慈悲な出来事を目の当たりにし、必死に神話か何かになぞらえようとしていた。


 しかし、大海原では空間が裂け、異次元から膨大な海水が流れ込み、いくつもの島が海に沈んだ。


「おお! わだつみよ……!」


 ——祈り助けを求める人も、等しく「無」へと書き換えられていく。


 世界は混沌の坩堝と化していた。国際魔術連盟は緊急対策会議を招集したが、それはクロエがかつて経験した『あの非効率会議』をシンプルに拡大再生産しただけのものだった。


 各国の代表たちは自国の被害状況を大袈裟に訴え、他国からの支援を要求するばかり。


 あるいは混乱の責任を、ヘキサグラマトンが起動したカルドニア王国のみに押し付け、これに乗じて地位の失墜を画策する者もいた。


 中には賢者ヴァイスクの過激思想に密かに共鳴し、世界の混乱を歓迎しているかのような不穏な動きを見せる国家さえあったという。



 一方、辛うじて書き換えを免れていた天文台。クロエとシオンは、アランがかき集めた国際的な非公式協力ネットワークからの断片的な情報を元に、絶望的な状況をリアルタイムで把握していた。


「……このままでは、あと数日で

 世界の主要な文明は崩壊し

 生命存在の基盤が回復不能な特異点シンギュラリティ・ポイント

 達するでしょう。


 あの甘酸っぱいベリーパイも

 あの香ばしいクレームブリュレも

 あと数日で二度と味わえなくなるなど——

 絶対に避けなければなりません」


 と言いつつも、クロエはもはや一国や一組織の論理では、この危機は到底乗り越えられないことを理解していた。


(——やはり、これが最も効率的な対処ですね)


 クロエのプランは——魔術師団や騎士団、あるいはカルドニア王国という既存の枠組みを完全に超えて、クロエ直属の『超法規的対策チーム』を結成し、この世界規模の危機に立ち向かう、というものだった。


 と、その時。アジトの扉が開く。


「——ここがこうして原形をとどめているのは

 不幸中の幸いだな、クロエ」


「クロエ。

 どうせ突拍子もないことを思いついて

 『これが最も効率的です』とかなんとか

 言い出すんだろ?——手を貸すぜ!」


「先輩……!

 またこうして直接会えて——良かったです」


 想像を絶する混沌の中、アラン、バーンズ、リリィもアジトに集まり、いつものメンバーが揃った。


 バーンズだけは、事態の深刻さを本当に理解しているのか疑わしいほど戦いに闘志を燃やしているのか、得意の豪炎魔法が時折、筋骨隆々の全身からボウッと燃え上がっている。


「皆さん。特にバーンズさん。

 冷静に聞いてください」


「ああ」


「——俺は冷静だぜ」


「うふふ、こんな状況なのに

 いつもの調子が出てきましたね」


 ゴホン! と軽く咳払いをして、クロエは続けた。


「この世界は終末を迎えようとしています。

 もちろんそんなことは避けなければなりません。


 しかし——極論すればそんなことよりも

 今後も王都に立ち並ぶ

 数々のスイーツの名店の素晴らしい作品が

 そしてパティシェたちの叡智の結晶である新作が

 今後も味わえるのか、ということのほうが重大です」


「クロエ——」


「このくらい、自分事として考えなければ

 こんな状況、乗り越えられません!


 これ以上、この世界のどこかで

 誰かが理不尽な悲劇に見舞われるなど

 見過ごすわけにはいきません!」


「ふふふ、君らしい宣言だね」


 パチパチパチ……バーンズは心を打たれ、自ずと拍手をしている。クロエらしい真摯な言葉は、彼女の狙い通りに、絶望的な状況の中にいた仲間たちの心に僅かな、しかし確かな希望の光を灯したようだった。


「これより我々は

 『オペレーション・ゼロディフェクト準備室』を

 ここに設立します。


 目的はただ一つ。

 ヘキサグラマトンの完全なる機能停止。


 そのために、あらゆる手段を模索し実行すること。

 ——よろしいですね?」


「ああ、もちろんだとも」


 クロエの宣言に、アランが、そして皆が、それぞれの覚悟を胸に力強く頷いた。


「——で、俺たちは何をやるんだ?」


 バーンズの疑問も無理はない。取り組むべき課題があまりに大きいのだ。しかし最初に取り組むべき最も重要なタスクは明らかだった。


「ヘキサグラマトンの巨大で複雑なシステムの中にも

 必ず「論理構造の脆弱性」や

 「フェイルセーフ機構」が存在するはずです。


 これらの具体的な場所と起動方法の特定——

 まずは、そこからです」


「なるほど。君らしい『効率的』なアプローチだ」


 アランが強く頷き、早速何か思いついたようだ。



 ——その夜。天文台のアジトでクロエは一人、こういう時のために買い置きしていた超高濃度カフェイン入りエナジードリンク「限界突破(リミットブレイク)」を片手に、壁一面に広げられた膨大なデータと数式を睨みつけていた。


「——やはり

 ヒントは王立禁書庫ビブリオテカ・プロヒビタにあるようですね」

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