第83話: ヘキサグラマトンの防御壁の正体
(——こうなってしまっては
ヴァイスクには物理攻撃も魔法攻撃も
通常の攻撃は何も通用しないでしょう。
ということは……)
「シオンさん。
ターゲットへの直接の攻撃は意味がありません」
「……そうだね、クロエ。
やるのかい?」
「ええ。やるしかないでしょう」
クロエは「万象廻るヘキサグラマトン」の深層機構へとダイブするために精神を集中させた。その瞬間、クロエの視界には呪詛の塊のようなものが飛び込んできた。
「これは——! メモリー・エコー!?
亡くなった人々の残留思念を吸い上げ
防御壁にしているということですか?
何ということを……」
ヘキサグラマトンの深層へのアクセスを妨害する、ヴァイスクが張り巡らせた幾重もの魔導防御壁の正体は、人々の『想い』だった。
魔導防御壁の一つ一つに、これまで「兄弟団」があらゆる非合法的な手段で抽出してきた「パフュームオブソウル」のエネルギーが刻み込まれている。
「死んでいった無数の魔法使いたちの怨念が
この無機質な塊を護る防御壁を
構築しているというのですか……皮肉なものです」
「後味は良くないな——
だけど呪いの類なら、得意ジャンルだよ。
クロエ、君のその眼で
防御壁の構造的な『矛盾点』あるいは『歪み』を
見つけ出してくれ。
僕がそこをピンポイントでこじ開ける」
シオンの言葉に静かに頷くと、クロエはアナリティカル・レンズの全機能を解放した。半ばオーバーヒート状態になるため通常であれば絶対にこんなことはしないのだが、他に選択肢はなかった。
(ぐうううう……やはり凄い衝撃です。
ですが——!)
「シオンさん! そこです!」
「わかったよ」
シオンは、クロエが示した一点に、古代魔法の力をありったけぶつける。轟音とも金属音ともつかない初めて聞くような音と共に、何かが弾け飛び、そこに封じられていた『記憶』が解放されていく——。
その度に、古い時代を生きていた魔法使いたちの怒りや悲しみ、無念さ——あらゆる負の感情がクロエたちの脳裏を掠めていくようだった。
(人々の記憶、人々の営みそのものが持つエネルギーを
こんなことに使うなんて——
ヴァイスク、あなたという人に心はないのですか)
クロエがかつてないほどの嫌悪を抱いたその時、シオンが解除した防御壁を構築していた「パフュームオブソウル」が解放され、そこに禁断の実験記録が記されていた。
「クロエ。
これは見ないほうがいい——って、もう遅いか」
クロエの眼に飛び込んできた記録の内容——それは「パフュームオブソウル」を特定の個人の精神に直接注入あるいは融合させることで、その人物の持つ知識や経験、さらには人格や魂の一部までもを、他の誰かに強制的に「継承」あるいは「上書き」させようとする、非人道的な技術を生み出そうとする研究の全貌だった。
「こ、これは『王立先進魔導研究所』の実験——!
これは一体誰の記憶……いいえ
誰のパフュームオブソウルだと言うのですか?」
次の瞬間。クロエの脳に直接飛び込んできた名前。それは——アステル・ノクターナ。
「アステル!!」
それはクロエの唯一無二の親友であり、最大のライバルだった一人の天才的な女性魔術師の名前であり、そして、あの日——あの悲劇的な事故によって、クロエの目の前で命を落とした少女の名前だ。
「何故、アステルの『パフュームオブソウル』が
ヴァイスク、あなたの手の内にあるのですか!?」
「——『王立先進魔導研究所』については
少々調べさせてもらってね……。
アステル・ノクターナ。
彼女の類稀なる才能と知識。
何よりも、彼女がかつて抱いていた
『より良い世界への純粋な願い』の力は
素晴らしかった」
「アステルの想いを、あなたの歪み散らかした
絶望と狂気を通して
我が物にしていたとでも言うつもりですか?」
「——なあに……私がヘキサグラマトンを使って
世界の『再調律』を目指しているのと
彼女、アステル・ノクターナの純粋な理想は
手法がちょっと違うだけで
根源的には同じことだ。
……クロエ、君も本当は気づいているんだろう?」
悪びれもせず、ヴァイスクはクロエの想いと想い出を踏みにじった。
「アステル……アステルの優しさに満ちた夢は
あなたのような人間の歪み腐った野望とは
何もかもが違います!」
クロエは激しい怒りと、それ以上に深い深い悲しみに打ち震えた。
親友の魂と尊い理想が、目の前の狂人によって無残に冒涜され、あまつさえ破壊の道具として利用されようとすらしている。その事実が彼女の冷静だったはずの心を激しくかき乱した。
「おやおや、しかもそれだけじゃないみたいだね。
こういうのは、僕も好きじゃないな……」
シオンが解放したパフュームオブソウルからは、さらに「兄弟団」の悪事が漏れ出している。
特殊な魔力や稀有な才能を持つ無実の若者たちを略取誘拐し、特殊な魔導装置で強制的に「パフュームオブソウル」を抽出している阿鼻叫喚の様。
のみならず、抽出した「パフュームオブソウル」を使い、複数の魂を無理やり融合させた上で別の人間にインストールするなど、更におぞましい実態までもが「メモリー・エコー」として映し出されていた。
「クッ……何から何まで
倫理的に許しえないことを——!」
「クロエ。だけど、このままじゃこの魂たちは
永遠にここに縛られてしまうよ」
「ええ。それでは本当に哀しいループとなるだけです。
ヴァイスクを打ち倒すだけでなく
私たちは、犠牲になった無数の魂たちを
アステルの想いを解放し、弔う必要があります」
クロエはそう、強く確信した。
「故人の魂は安らかに眠る権利があります。
そして皆の想いは
他の誰かに利用されるためではなく
未来への希望として正しく、美しく
継承されるべきものです」
「そうだね、そうやって人々は歴史を紡いできたはず。
僕の専攻、古代魔法理論でもそう説かれているよ」
シオンも賛同する。しかしヴァイスクは意に介さない様子で、悪辣な笑みを浮かべるだけ。
「こんなやり方は、全ての尊厳を否定する
断じて許されない行為です
賢者ヴァイスク……いえ!
アステルを利用する卑劣な亡霊!」
クロエの心の奥底に封印されていた、アステルを救えなかったという深い罪悪感と無力感。しかし、それはもはや彼女を苛む弱さではなかった。
むしろ、ヴァイスクとの戦いへと突き動かす、強く、人間的な原動力となっていた。
「そのけったいな精神防御壁!
粉微塵にしてあげましょう——」
クロエの覚悟の叫びと共に、解析結果から導いた侵入ルートを仕込んだオプティマイザー・ロッドから閃光が轟いた。




