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第79話: 身も心もボロボロのクロエと、こういう時のシオンの囁き

 賢者ヴァイスクの巧妙な罠によってアラン・クルツは意識不明の重体に陥り、クロエ・ワークライフのチームは壊滅的な打撃を受けた。


 一命をとりとめたアランは、魔術師団の最新鋭の医療設備が整えられた特別病室で、生命維持のための魔術的装置に繋がれ、静かに眠り続けていた。


「アランさん——。

 どうか、目を覚まして……!」


 さすがのクロエも祈るしかできずにいた。処刑人イレントスが放った呪殺魔法の影響は彼の肉体だけでなく、魂そのものにも深い傷を残していたのだ。


 いつ目を覚ますか、あるいはこのまま二度と……。予断を許さない状況が続いていた。


 一方、バーンズ・ゲイルは肉体的な傷は軽かったものの、その心は深く、暗く傷ついていた。


 自分の未熟さのせいでアランを危険に晒し、しかも守り切れなかったという強い自責の念。賢者ヴァイスクへのどうすることもできない怒りと無力感。彼は自室に閉じこもり誰とも顔を合わせようとはしなかった。


「あの脳筋のバーンズさんまでも——

 脳筋のバーンズさんなのに……」

 

 無論、クロエ自身もまた、その立場を急速に悪化させていた。


 今回の、大聖堂での大失態。クロエの指揮監督責任を問う声が、魔術師団内部で公然と上がり始めたのだ。


 特にクライン課長代理を筆頭とする反クロエ派閥や、今回の同時多発テロで被害を受けた貴族たちからは、「誰かが責任を取らなければ」と、クロエをスケープゴートにしようとするあからさまな動きが見え始めていた。


「全てはあのクロエ・ワークライフの

 独断専行と判断ミスが招いた結果だ!」


「彼女に指揮権を与えた上層部の責任も重大だ!」


 そんな心無い言葉がクロエの耳にも届いてきていた。もちろん、クロエも表面上はいつものように冷静を装っていた。


 しかしその内面では、アランやバーンズへの申し訳なさと賢者ヴァイスクへの燃えるような怒り、そして何よりも自身の判断への激しい後悔と自責の念で心が押し潰されそうになっていた。


「こうなってしまっては——

 定時退社など

 もはや考える余裕も資格もありませんね。」


 彼女の完璧だったはずの効率的な日常は音を立てて崩れ落ちていた。


 しかし、彼女はただ絶望に打ちひしがれているだけの女ではなかった。


(ですが……

 ですが、このまま終わらせるわけにはいきません。


 この状況を放置していても

 誰も何も解決してはくれません。


 誰かが動かなければ、私が動き出さなければ

 きっと——私の未来は変わりません)


 そう言い聞かせると、クロエは自らの心の傷を一時的に封印し、独力での反撃を開始することにした。



 彼女は天文台のアジトに籠り、不眠不休で賢者ヴァイスクの真の目的と次の狙いが何かを探るために情報分析を再開した。


 アランが倒れる前に残してくれた膨大な調査資料。クロエ自身が収集してきた兄弟団に関するデータ。それらを、持ちうる全ての演算能力を駆使して徹底的に洗い直していく。


 兄弟団の秘密の連絡網。非合法な資金ルート。そして賢者ヴァイスク自身の過去の論文や行動パターン。


(脈絡がないように見えるものの中にこそ

 必ず何かの手がかりがあるはずです——)


 そうした信念をもとに粘った結果、気の遠くなるような情報の海の中から、クロエは一つの信じがたい可能性を見つけ出した。


「これは——!」


 賢者ヴァイスクが禁書庫から盗み出した複数の魔導書。特に魂の構造や精神操作に関する禁断の文献。それらを組み合わせることで、ヴァイスクはヘキサグラマトンを起動させるための「精神的触媒(カタリスト)」を作り出そうとしているのではないか。


「まさか——

 精神的触媒を作ることが目的とするならば……」


 あろうことか、「触媒」として最も適しているのが、強靭な精神力と、高潔な騎士としての魂を持つ人間——つまりアラン・クルツ、その人だったという可能性が浮上してきたのだ。


(ヴァイスクの真の狙いは——

 もちろん「星辰の碑文」などではなく

 最初からアランの魂そのものだったのかもしれない。


 彼の魂をヘキサグラマトンの制御コアに

 無理やり組み込むことで

 力を掌握しようとしているという可能性が……)


 仮説をもとに情報の海に潜ると——クロエは、ヴァイスクが最終的な実験と儀式を行うであろう場所をも特定した。


(間違いありません。

 これまでの痕跡によれば——)


 王都郊外にある古い廃教会。かつて賢者ヴァイスクが若き日に所属していたという異端の魔術教団の施設跡。


「……見つけましたよ、ヴァイスク。

 あなたの悪趣味な計画の全貌を」


 クロエは強い決意を胸に、アランを救うための唯一の手がかりを掴むため、たった一人でその廃教会へと潜入することにした。


(無謀な賭けだということは分かっています——)


 しかし彼女がアジトを後にしようとしたその瞬間。


 月明かりが差し込む天文台の鐘楼で、一人の男が彼女を待ち受けていた。


 シオン・アークライトだ。


「——まさか、一人で全てを背負い込み

 自己犠牲に走ろうとしているのかい?

 ノンノン、そんなの君の悪い癖だよ……


 今の君はいつもの君らしくない。

 冷静さを欠き、感情に囚われすぎている。


 ……それでは賢者ヴァイスクの思う壺だよ」


 シオンは珍しく、厳しくもどこか心配するような口調でクロエに忠告し、さらに衝撃的な情報を口にするのだった。


「ヴァイスクが狙っているのは

 アラン君の魂だけではないかもしれない。

 彼はヘキサグラマトンを使って

 かつて彼自身が失った誰か……

 彼にとって最も大切だった誰かの魂を

 『再生』あるいは『再定義』しようと

 しているのかもしれない。


 アラン君の魂も

 その狂気の計画のためのただの部品(パーツ)

 過ぎないのさ」


「シオン——あなたは一体どこでそんな情報を……?」


「ふふ……秘密は多いほうがセクシィだろう?」


 クロエは、シオンの底知れない情報網にややおののき、言葉の真意は測りかね、その結果、ただ黙って彼を見つめることしかできなかった。


「この情報は、君へのささやかな『投資』だよ。


 だが忘れるな、クロエ・ワークライフ。


 真の効率とは——時に最も非効率に見える

 『感情』や『直感』の中にこそ隠されているものだ。


 時には誰かに頼るという

 一見非効率な選択もまた必要だということをね!」


 シオンは意味深な助言を残すと再び月夜の闇の中へと姿を消した。


(シオン——相変わらずよくわからない人。

 よくわからない人ですが……)


 クロエは一人残され、微笑を浮かべながらシオンのその言葉の意味を反芻した。


(……誰かに頼る、ですか。

 確かに今の私は冷静ではない。

 そして一人でできることには限界がある——

 いずれも疑う余地のない事実です)


 シオンが残した新たな情報と、あの謎めいた助言を元に、クロエは自らの無謀な単独潜入計画を白紙に戻し、新たに「より適切な作戦」を再構築することにした。


(アランを救い出し、ヴァイスクの狂気的な野望を

 完全に打ち砕かなくてはなりません……)


「今夜はどうやら、

 完徹——完全なる徹夜コースが確定したようですね」


 思わず独り言が漏れた。だがクロエの心の中には先ほどまでの深い絶望ではなく、確かな闘志の炎が再び燃えていた。


「効率的な情報収集と

 仲間を救うための合理的な行動を

 ご覧に入れましょう。

 ……覚悟なさい、賢者ヴァイスク。

 あなたの夢は——ここで、私が、終わらせます」

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