第70話: 魂喰らいのアルバスと大魔術師の遺した香り
王立魔導アカデミーでの禁断講義事件の後始末に追われ、クロエ・ワークライフのストレスレベルは再び危険水域に達しようとしていた。
主に学長への詳細な報告書提出と、事件に関与した学生たちのカウンセリングプログラムの監修。そして何よりも、シオン・アークライトという謎の存在に関する極秘の個人調査ファイルの作成だ。
(私の計算によれば——
このままの状態が継続した場合、
一週間以内に脳内情報処理回路に
致命的なオーバーヒートが発生します。
その結果、思考能力が著しく低下し
最悪の場合、新作スイーツの味覚情報すら
正確に分析できなくなるという
取り返しのつかない事態に陥る可能性があります。
これは断じて避けなければならない
——最優先の危機管理案件です)
クロエは鏡に映った自分の目の下に、うっすらとだが確実に刻まれ始めたクマを発見した。もちろん最高級の魔導コンシーラーで完璧に隠蔽しているが、そろそろ光学的魔導照明の導入を検討すべきフェーズに突入しつつあった。
(何ということでしょうか……
円環的に顔の正面方向からの強い光が必要です)
そんなクロエの元に、またしても新たな案件が舞い込んできた。それは当然、約束されたかのように極めてデリケートかつ危険な香りのするものだった。
王都博物館に近日中に一般公開される予定だった、伝説的な大魔術師アウレオリス・マグヌスの極めて貴重な遺品。これが厳重な警備を完璧に突破され、何者かによって盗まれるという前代未聞の窃盗事件が発生したのだ。
遺品は彼が生前愛用したとされる『星々のかけらが埋め込まれた魔導杖』や、深遠な魔法理論が記された未公開の研究日誌の断片など、貴重なものばかりだ。
警備は最新の魔導的セキュリティと物理的セキュリティが複合的に何重にも施されている最高レベルのものだったはずだ。
ところが、犯人の手口は伝説で語り継がれるレベルで巧妙で、大胆不敵だった。
警備システムは一切作動せず、侵入の痕跡も全く残されていない。ただ遺品が展示されていたガラスケースだけが、まるで幻影だったかのように中身だけを綺麗に抜き取られ、空っぽになっていたという。
そして現場にはごく微弱ながらも、極めて特殊でどこか懐かしいような甘く芳しい香りが残されていたという。
「……これは、単なる窃盗事件ではありませんね。
犯人はアウレオリス・マグヌスの
遺品そのものではなく
そこに宿る『何か』を狙った可能性がありますね。
この手口……まるで故人の魂が
自らの遺品を取り戻しに来たかのように
見せかけているか、あるいは——
故人の知識や記憶を何らかの形で
利用しようとしている者がいる……
そんな、言い知れぬ危険な予感がします」
クロエは事件の概要を聞いて、背後に潜む尋常ではない何かを感じ取っていた。
彼女の脳裏には、先日リリィが言及していたあの禁断の古代技術「パフュームオブソウル」の存在が再び強く浮かび上がってきた。
(もし犯人が、アウレオリス・マグヌスほどの
偉大な魔術師の『パフュームオブソウル』を
完全に抽出して悪用しようとしているとしたら……
それは「兄弟団」のヘキサグラマトン計画に匹敵する
あるいはそれ以上の計り知れない脅威となり得る。
そして何よりも、故人の魂と功績を冒涜し
道具として利用するなどという行為は
私の美学と効率主義の哲学に真っ向から反する
断じて許容できない非効率案件です)
クロエはこの事件の調査に並々ならぬ決意で臨むことにした。珍しく、極めて個人的な動機からだった。
それは彼女が幼い頃、アウレオリス・マグヌスの著した魔導理論書に深く感銘を受け、魔術師の道を志すきっかけの一つとなったという、誰にも話したことのない淡い記憶とも繋がっていたのだ。
クロエ、リリィ、そしてアランの三人は再びチームを組み、事件の捜査を開始した。
リリィはこの「パフュームオブソウル」に関する古代文献の知識がこの事件解決の鍵となると確信していた。
アランは王都の闇市場や非合法な魔道具の流通ルートに詳しく、盗まれた遺品の行方を追う上で不可欠な存在だった。
◇
まず、現場に残されていたという微弱な「甘く芳しい香り」。クロエはそれを自作の特殊な魔導分析装置で採取してその成分を詳細に解析した。
その結果、極めて希少な幻の魔法植物「忘却の眠り花」の花粉と、何者かの極めて純粋で強力な魔力が特殊な方法で調合されたものであることが判明した。
「忘却の眠り花」は現代では絶滅した種とされており、古代では人の魂や記憶を安定させ保存する効果を持っていたと言われている。「純粋で強力な魔力」はおそらく触媒として使用されたものだろう。
「……やはり、間違いありません。
犯人は『パフュームオブソウル』を
扱うことに長けた
高度な知識と技術を持つ者。
目的は、アウレオリス・マグヌスの魂に宿る
失われた強力な魔法や
彼の深遠な知恵そのものを抽出して
何らかの形で利用することでしょう。
現時点での容疑者は……
やはり『叡智探求の兄弟団』
あるいは彼らと繋がりのある
別の古代魔法カルト組織といったところでしょうか」
その後のアランの調査で、クロエの推測通り盗まれたアウレオリス・マグヌスの遺品の一部が、王都の闇市場を通じて謎の収集家の手に渡ろうとしているという情報が掴めた。
その収集家は、過去の偉大な魔術師たちの遺品——いや、遺品に残留する『魂』をコレクションし、それを利用して自身の魔力と知識を強化しようと企む危険な魔術師「魂喰らいのアルバス」なる道を外れた存在だと分かった。
「過去の魔法技術への強いこだわり、という共通点。
アルバスとやらの裏にも、間違いなく兄弟団が
存在していると思われます」
「ああ、恐らくこれも——
壮大な計画の一部なんだろう。
『魂喰らいのアルバス』というやつは
これまでも違法スレスレのアイテムを
収集してきているらしい」
リリィはその兄弟団の非道な計画と、故人の魂を冒涜する技術の倫理的な問題に改めて深く葛藤し苦悩した。
「先輩……
アウレオリス・マグヌスのような
偉大な魔術師の魂や知識も使い方を誤れば
ただの危険な兵器になってしまうのでしょうか……?
ただ、私たちは、
それを止める権利があるのでしょうか……?
もしかしたら彼自身は、
自分の知識が未来のために役立つことを
望んでいたのかもしれないのに……」
リリィのその問いは、クロエ自身の心にも重く響いた。知識とは何か。才能とは何か。そしてそれらをどう扱うべきなのか。それは彼女が魔術師として、そして一人の人間として常に自問自答し続けてきた永遠のテーマでもあった。
「……リリィさん。
知識や才能そのものに善悪はありません。
それらはただそこにあるだけの純粋な可能性です。
問題はそれを手にする人間が
どのような意志とどのような倫理観を持って
それを使うか、ということです。
故人の魂への敬意を忘れ、その功績を歪め、
ただ自身の欲望のために
道具として利用しようとする行為は
いかなる理由があろうとも
決して許されるべきではありません。
アウレオリス・マグヌス自身も
そう考えるだろうと、私は信じます」
クロエはリリィに静かに、力強くそう語った。アランも溜息をつきながら深く頷いた。
「いずれにしても、やるべきことは一つです」
◇
クロエは兄弟団の秘密アジトの一つを特定し、そこに保管されていたアウレオリス・マグヌスの遺品を奪還するための潜入作戦を決行することにした。もちろん例によってバーンズにも応援を頼んである。
王都の片隅に位置するそこは、表向きは古美術品の修復工房を装った、巧妙に偽装された魔導技術研究施設だった。
アジトの内部では兄弟団の魔術師たちが、まさにアウレオリス・マグヌスの「パフュームオブソウル」から彼の失われた強力な攻撃魔法を抽出し、それを再現しようとする危険な儀式の最終段階に入ろうとしていた。
「動くな!」
アランが先陣を切って突入する。
「何者だ? ——まあもう遅いがな!
古代の叡智を味わうがいい!!」
その攻撃魔法は、星々を操り天変地異を引き起こすほどの規格外の威力を持つものだった。
魔法陣の中央から、地鳴りのような音がする。魔法と思しき現象は何も起こらず、ただただ魔力が収束していく危険な兆候が見られる。
あまりにも強大で複雑すぎる「パフュームオブソウル」は、彼らの未熟な技術では到底制御できるものではなく、儀式は暴走寸前の極めて不安定な状態に陥っていたのだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
魔力の波動が渦巻き、空間が歪み、アジト全体が崩壊しかねないほどの危険なエネルギーが満ち溢れている。
「ばっ……爆発する! 逃げろ!」
兄弟団と思しき連中が、散り散りになって無責任にも脱出しようとしている。
「させるかよ!」
バーンズが、逃がすまいと炎の壁を打ち立てる。アランと連携した見事な捕縛劇だ。
「そちらは任せます!
こっちは……このままでは
収束している魔力が暴走し、このアジトだけでなく
王都の一部までもが消し飛ぶ可能性があります。
つまり、取りどりのスイーツ店も
消失可能性があるという極めて具体的な危機です」
クロエは差し迫っている危険な状況を瞬時に判断すると、バーンズとアランに魔術師たちの制圧とアジトからの脱出路の確保を指示した。
クロエ自身は、暴走する「パフュームオブソウル」のエネルギー循環の非効率な部分を特定し、そこに精密に調整された逆位相の安定化魔力パルスを送り込むことした。
「業務改善!
そこがエネルギーのボトルネックです!」
エネルギーの流れが一点に集中しすぎて過負荷状態に陥っている極めて不安定な魔力ノードに対して、オプティマイザー・ロッドからクロエの規格外の『効率化魔法』を送り込むことで、何とか鎮静化を図った。
アウレオリス・マグヌスの遺品は無事回収され、その「パフュームオブソウル」もまた厳重に再封印されることになった。リリィの持つ「調和の魔力」とクロエが解析した古代の封印術式によって、今度こそ誰にも悪用されることのないように、王立禁書庫の最深部に、丁重に。
◇
クロエはこの事件を通じて「パフュームオブソウル」という禁断技術の詳細なメカニズムと、その危険な応用方法、そして何よりもそれを制御するためのいくつかの重要なヒントをほぼ完全に把握することに成功した。
「危機一髪でしたが……今後の何かのために
非常に効率的なデータ収集ができました。
敵の全体像はまだ分かりませんが
一歩一歩、着実に追いつめていると信じましょう」
彼女はそう呟きながら、アフターファイブにはパティスリー・レガリアの限定復刻パフェを堪能した。歴史ある王都の名店だ。
アウレオリス・マグヌスの生誕三百周年を記念して、という極めてタイムリーな偶然で復刻されたという伝説のパフェ「レジェンド・オブ・スターダスト~賢人の叡智の味わい~」だ。
リリィにもほんの少しだけだが、彼女の今回の貢献と成長を称えてお裾分けしながら心ゆくまで味わった。
パフェの味は星々のように複雑で、宇宙のように深遠な、まさに伝説にふさわしい味わいだった。




