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第07話: 非効率な男の情熱と最適化の提案

 翌日の午後。魔術師団の第二訓練場は、若手魔術師たちの熱気と時折響き渡る魔法の発動音で満たされていた。


 クロエ・ワークライフは、その一角で、独自のトレーニングメニューを淡々とこなしていた。それは、傍から見れば奇妙な光景だった。


 彼女は空中に複雑な幾何学模様の魔法陣を複数同時に展開・維持しながら、超高速で変動する数列の暗算を行い、さらにその計算結果に応じて魔法陣のパラメーターをリアルタイムで微調整するという、常人には理解不能なマルチタスクを行っていたのだ。


 これは、彼女が編み出した「極限環境下における魔力制御精度及び並列思考能力向上トレーニング・バージョン7.2」と名付けられた訓練法だった。


 彼女の異常なまでの魔力効率と最適化思考は、こうした日々の地道な(そして極めて高度な)鍛錬の賜物でもあった。


「……違いますね。

 ここは小数点以下切り捨てて——

 第二魔法陣の回転速度を0.03%低下、

 第三魔法陣の魔力集束率を0.15%上昇……」


 ぶつぶつと呟きながら、クロエは一切の無駄なく魔力を操作していく。


 そこへ、基礎魔法である火球の生成と射出訓練を、汗だくになりながら繰り返していたバーンズ・ゲイルが、休憩のためかクロエの近くにやってきた。そして、彼女の奇妙なトレーニング内容を見て、案の定、眉をひそめた。


「おい、ワークライフ!

 またそんな小難しくて

 ちまちましたことばかりやってるのか!


 そんなんで、

 いざという時の実戦で本当に役に立つのかよ?

 魔法ってのはな——

 もっとこう魂を込めて、ドカンと一発!


 威力が全てだろうが!

 根性が足りんのだ、根性が!」


 バーンズは、自分の分厚い胸をドンと叩きながら、いつものように熱く語り始めた。彼の価値観では、クロエのやっていることは、理解不能な遊戯にしか見えないのだろう。


「根性、ですか。

 そのパラメーターは、私の使用する

 魔導物理学の数式モデルでは、

 残念ながら観測不能かつ再現性が著しく低いため、

 ()()()()()とさせていただいております」


 クロエはトレーニングを継続しながら、顔色一つ変えずに冷静に返答した。


「それよりもバーンズさん。

 あなたの火球魔法の訓練法ですが、

 先ほどから拝見している限り、

 魔力エネルギーのロス率が

 推定35.8%を超過しています。


 具体的には、術式構成時の魔力圧縮率の不安定さ、

 及び魔力放出時の指向性の甘さが、主な原因かと。


 ——非常に非効率ですよ」


 アナリティカル・レンズ越しでもないのに、バーンズの魔力運用における問題点を的確に指摘するクロエ。


 バーンズの顔が、みるみるうちに彼の髪と同じくらい赤くなっていき、額の傷跡が一層目立った。


「う、うるさい! 大きなお世話だ!

 俺は俺のやり方で強くなる!


 効率だのロス率だの、

 そんな数字ばかり追い求める貴様のような奴に、

 本当の強さなんて分かりっこないんだ!」


 バーンズは(まるで未就学児のように)そう吐き捨て、再び火球の生成に取り掛かろうとした。二人の間の溝は今日もまた埋まる気配がない。


 こんな本音が言い合える関係というのは悪くはないものだと思いたいが——。

 

 周囲で訓練していた他の若手魔術師たちも、遠巻きに二人のやり取りを興味深そうに(あるいはハラハラしながら)見守っている。


「また始まったよ、あの二人」


「でも、

 ワークライフさんの言ってること、

 なんか凄い的確じゃない?」


「いやいや、やっぱり最後は気合だろ!」


 そんなひそひそ話が聞こえてくる。


 クロエは、バーンズの頑なな態度にほんの少しだけ(本当に、ほんの少しだけだが)面白さを感じていた。彼のその非効率なまでの情熱は、ある意味では貴重なサンプルデータと言えるかもしれない。


「では、バーンズさん。

 こういうのはどうでしょう?」


 クロエはふと、そう提案した。彼女は空中に展開していた複雑な魔法陣の一つをすっと消すと、代わりにバーンズが得意とする火球魔法の基本術式構造を立体的なホログラムとして空間に投影した。


「あなたのその情熱は否定しません。


 ——ですが、

 それを最も効率的に発揮する方法を探求することに、

 何か不都合でも?」


 クロエは投影された術式ホログラムの一部を指先でなぞり、いくつかの魔力ノードの色を変えてエネルギーフローの経路を微調整していく。


 それはまるで、熟練の外科医が精密な手術を行うかのような淀みない動きだった。


「例えば、この術式構成。

 あなたの現在の癖ですと……

 魔力圧縮時に特定のポイントで

 エネルギーリークが発生しやすくなっています。


 ここを、このように……ほんの僅かですが、

 魔力伝達経路の位相をずらし、

 さらに補助的な安定化フィールドを

 最小限のコストで追加することで……」


 数秒後、クロエは修正された術式ホログラムをバーンズの目の前に提示した。


「これで、理論上は従来の

 魔力消費量を約10%削減しつつ、

 火球の爆発威力及び燃焼継続時間を

 約5%向上させることが可能です。

 ロジック上の矛盾もありません。


 ……試してみますか?

 もちろん、強制ではありませんが」


 バーンズは、目の前に提示された、見慣れたはずなのにどこか洗練された術式構造を、半信半疑の表情で見つめていた。


 クロエの言っていることは、彼のこれまでの常識では到底理解できないことばかりだ。しかし、彼女の自信に満ちた態度とその瞳の奥にある確かな知性の輝き、そして彼の内なる好奇心が頑なな心を少しだけ揺さぶった。


「…ちっ、お前の言うことなんか信じられるか。

 だが…まあ、試してやらんこともない」


 バーンズはぶっきらぼうにそう言うと、クロエが提示した改良版の術式をイメージしながら、右手に魔力を集中させ始めた。先ほどまでの力任せな魔力操作ではなく、術式構造の一つ一つの意味を確かめるように、慎重に。


 そして、彼は火球を放った。


 ゴォッ!


 放たれた火球は、明らかに以前のものとは違っていた。まず、魔力の消費感が格段に少ない。


 それなのに、ターゲットに命中した際の爆発の規模は、以前よりも一回り大きく、炎の色もより純粋な赤色を放っている。そして何より、火球が消えた後の熱量の残り方が、明らかに長続きしているのだ。


「な……!? なんだこれ……!?

 同じ魔力量のはずなのに、威力が……

 それに、この感覚……!」


 バーンズは自身の右手をまじまじと見つめ、驚愕の表情を隠せない。それは、彼がこれまでの訓練では決して味わったことのない、効率的な魔力運用の手応えだった。


 クロエは、その反応を見て小さく頷いた。


「ご参考までに。

 どんなに優れたエンジンも、

 適切なチューニングと効率的な燃料供給がなければ、

 その真価を発揮できませんから。


 情熱という名の素敵なエンジンを、

 非効率な運用で浪費するのは

 実に勿体ないことですよ」


 そう言うと、クロエは再び自身のトレーニングに戻り、何事もなかったかのように複雑な魔法陣の操作を再開した。


 バーンズは、しばらくの間、クロエが修正した術式と自身の右手を交互に見つめ、何かを深く考え込んでいるようだった。


 彼の心の中に、これまで絶対的なものだと信じていた「根性」や「気合」といった価値観とは異なる「効率」という新しい尺度が、ほんの僅かだが芽生え始めたのかもしれない。


 それは、彼にとって大きな変化の第一歩となるのかそれとも——


 いずれにせよ、クロエにとっては予定外のサンプルデータ収集ができた、有意義な(そして少しだけ面白い)午後のひとときであった。

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