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第69話: アカデミーの禁断講義と失踪した天才講師の末路

 模倣犯事件の後始末に追われ、クロエ・ワークライフの完璧な定時退社ライフはここ数日、またしても危機に瀕していた。


 理由は主に魔術師団内部の情報セキュリティシステムの全面的な再構築と、何度も開かれている「関係者の事情聴取」という名の責任追及会議へのアドバイザーとしての強制参加だ。


(私の手元計算によれば

 この非効率な残業スパイラルが継続すると

 私の年間平均アフターファイブ満足度は

 前年度比で17.3パーセントも低下します。


 その結果、他の業務の効率にも悪影響が及び

 さらなる残業を招くという

 負の連鎖に陥る可能性が極めて高い。


 これは早急に断ち切らねばならない悪循環です)

 

 クロエは魔導端末に表示された自身のストレスレベルと、予約済み新作スイーツの発売日カレンダーを交互に見比べながら、本日何度目かの深いため息をついた。


 そんなクロエの元に、今度は極めてデリケートな案件が舞い込んできた。それは名門・王立魔導アカデミーの学長からの、内々に極めて緊急性の高い調査依頼だった。


 ノルテンヒュッケ=パシャール学長はクロエの学生時代の恩師の一人だ。クロエの才能を高く評価しつつも、その極端すぎる効率主義と人間関係の希薄さを常に心配している人物である。


「ワークライフ君、久しいな。

 君の活躍は遠くアカデミーにいても

 聞こえてきているよ。


 ……さて、単刀直入に言おう。

 実はアカデミー内部で

 少々看過できない問題が発生していてね。


 君のその卓越した分析力と

 そして何よりもその『公平無私な視点』に

 力を貸してもらいたいのだ」


 学長のその言葉には、普段の温厚さからは想像もつかないほどの深刻な悩みの色が滲んでいた。


 話によれば、アカデミーの一部の特に優秀とされる学生たちの間で、禁断とされている古代魔法の理論を秘密裏に研究し、あまつさえそれを実践しようとする危険なサークル活動が横行しているというのだ。


 例えば魂の構造に直接干渉するような危険な降霊術や、異世界の法則を現実に無理やり持ち込もうとする制御不能な召喚術などだ。


 その活動を主導し、学生たちに歪んだ選民思想を吹き込んでいるのが、エリアス・ノードグレンという人物。アカデミーでも将来を嘱望されていた、若くカリスマ的な魅力と天才的な頭脳を持つ古代魔法理論の専門講師だ。


 誤った選民思想というのは——


「我々のような選ばれた才能を持つ者だけが

 真の叡智に触れる資格があるのだ」


 ——といったようなものらしい。


 だが、(くだん)のエリアス講師は数日前からアカデミーへの出講を突然取りやめ、現在完全に行方不明になっているとのこと。ますます何か怪しい。


(……アカデミーの禁断講義、ですか。

 確かにそれは放置すれば

 第二、第三の『兄弟団』を生み出しかねない

 危険な火種かもしれない——)


「学長、概ね分かりましたが

 なぜこの案件を騎士団の調査部門等ではなく

 私個人に依頼されるのですか?


 それに……アカデミー内部にも

 優秀な調査能力を持つ魔術師は

 数多くいらっしゃるはずですが」


 と言いつつ、クロエは学長の依頼の裏に何か複雑な事情が隠されていることを察知した。


「……うむ。

 実はエリアス講師は

 アカデミーのいくつかの有力な派閥から

 その才能を高く評価され庇護を受けていたのだ。


 特に古代魔法の復興を強く主張する

 保守派の重鎮たちからのサポートが厚い。


 もしこの件を公にすれば

 アカデミー全体を巻き込む深刻な内部対立と

 そして何よりも取り返しのつかないスキャンダルに

 発展しかねん。


 だからこそ誰にも知られず、内密に、迅速に

 事の真相を究明し、穏便に解決できる人物……


 そう。君のようなしがらみを持たず

 そして何よりも『効率的』に問題を処理できる人間に

 頼るしかなかったのだよ」


 学長のその言葉は、アカデミズムという一見華やかに見える世界の裏に潜む、醜い権力闘争と隠蔽体質の闇を雄弁に物語っていた。


(なるほど。

 つまり、これはアカデミー上層部の

 『非効率な内輪揉め』の後始末を

 私にこっそり始末させようという

 極めて巧妙で悪質な

 『丸投げ案件』というわけですね。


 ですが……)


 クロエはエリアス講師が過去に発表したいくつかの論文を思い出した。その中にはクロエ自身の研究テーマである「魔力効率の極限」と僅かながら関連性のある興味深い考察が含まれていた。


 他にも、彼が専門としていた「古代言語の真名詠唱による、存在定義の書き換え」という極めて異端で危険な魔法理論の存在も。


 それらを思い出し、またしても不謹慎ながらもほんの少しだけ知的好奇心を刺激された。


(このエリアスという男……

 もしかすると「叡智探求の兄弟団」と

 何らかの接点を持っている可能性も

 否定できませんね。


 彼が研究していたという古代魔法の理論は

 「兄弟団」の指導者である

 賢者ヴァイスクの計画の核心に迫るための

 新たな手がかりとなるかもしれない……)


 といった思惑もあり、クロエはこの厄介な調査依頼を渋々ながらも引き受けることにした。


 条件は「調査期間は最大三日間。その間、私へのいかなる干渉も行わないこと。調査結果の公表と、その後の対処については私の一存に委ねていただくこと」。


 学長はそのあまりにも一方的な条件に一瞬顔を顰めたが、他に頼る当てがないのか、あるいはクロエの能力を信頼しているのか、最終的にはそれを了承した。


 クロエはリリィとバーンズを伴い、王立魔導アカデミーへと向かった。


 リリィはやはり資料に詳しく、バーンズはいつもの「万が一の際の物理的な戦闘引き受け係」と、何よりもツンツンさせている赤毛が目立つので、敵の注意を引きつける「陽動」担当として、役に立たなくもないだろう……というクロエの計算と合理主義の終着地点のような差配である。



 アカデミーの構内は、表向きは平穏そのものだった。学生たちはそれぞれの講義や研究に勤しみ、若者らしい活気に満ち溢れている。


 しかしクロエのアナリティカル・レンズは、その平和な風景の裏にいくつかの不穏な魔力の流れと、一部の学生たちの間に漂う、どこか排他的で選民思想的な歪んだ熱気を確かに感知していた。


 クロエたちはまず、行方不明となったエリアス講師の研究室を調査した。そこは几帳面に整理されてはいたが、いくつかの重要な研究資料や個人的な記録などが意図的に持ち去られたか、処分されたかのような不自然な空白が見られた。


「……やはり、彼は自らの意志で失踪したか

 あるいは何者かによって『処理』された可能性が

 否定できませんね。


 この部屋に残された微弱な魔力残滓……

 これは、先日我々が禁書庫で遭遇した

 『叡智探求の兄弟団』のメンバーのものと

 酷似しています」


 聞き取り調査やアカデミー各所の魔力の残滓を追跡するなどして調査を進めると、クロエの推測通り、エリアス講師は兄弟団の思想に深く共鳴していたことが判明した。


 特に賢者ヴァイスクの唱える「停滞した世界を、選ばれた叡智によって進化させる」という過激な選民思想に心酔していたようなのだ。


 その思想に従って、アカデミーの優秀な学生たちを「新世界の選ばれた担い手」として秘密裏に勧誘。彼らと共に、アカデミーの地下に存在する忘れられた古代遺跡の一部を改造した『秘密の実験場』で、ある実験を行っていたらしい。


 その実験というのが——兄弟団から提供された古代の魔導書の記述を実践しようとするものだったが、彼らの未熟な知識と技術では到底制御できるものではなかった。


 単なる失敗に留まらず、制御不能な異次元の存在をこの世界に召喚してしまったのだ。それは低級なものではあったが、周囲の空間を歪ませ、接触した者の精神を汚染し狂わせるという極めて危険な性質を持っていた。


(そんなことが起きていたとは——

 講師だけでなく生徒まで巻き込むとは

 「兄弟団」の思想は危険すぎますね……)


 さらに、エリアス講師自身もその影響で精神的に不安定な状態に陥り、兄弟団からも「期待外れの失敗作」として見捨てられた可能性があり、どこかへ逃亡したか、最悪の場合秘密裏に処分された可能性があった。


「……急ぎましょう。

 もしその『異次元の存在』がまだ

 完全に処理されておらず

 アカデミーの地下に潜んでいるとしたら

 この学園全体、そして王都をさえも脅かす

 時限爆弾のようなものです。」


「アフターファイブの危機、ですね」


 リリィが口をはさんできた。クロエは微笑んで——


「リリィさん。

 そういうことです。

 こんなことの後始末に

 我々の時間が費やされることになるのは

 断じて避けなければなりません」


「ああ、ここで片を付けてやろうぜ!」


 そういうと、バーンズはいつものように拳を掌に当てた。


「ええ。そうと決まれば——」



 クロエたちはエリアス講師が残した暗号化された研究日誌の断片を手がかりに、アカデミーの地下に広がる秘密の実験場へと急行した。もちろん、クロエがリリィの助けを借りながら数分で解読し、判明したものだ。


 実験場は想像以上に広大で、禍々しい魔力と異次元の気配が渦巻く危険な空間だった。実験の失敗によって暴走した古代魔法のエネルギーが壁や床を歪ませ、空間のあちこちに不安定な次元の裂け目のようなものがゴゴッゴゴッと音を立てながら開閉を繰り返している。


 その中心には、数名のまだ若い学生たちが恐怖と絶望に顔を歪ませながら、異次元から漏れ出してくる「何か」に怯えパニックに陥っていた。


 彼らはエリアス講師の甘言に乗せられ、この禁断の実験に加担した哀れな犠牲者たちだった。


「皆さん、しっかりしてください!

 私の指示に従えば、必ずここから脱出できます!」


 クロエは冷静に学生たちに呼びかけ、避難誘導を開始した。バーンズは暴走するエネルギーから学生たちを庇い、物理的な障害物を破壊して安全な退路を確保する。


「大丈夫だ! 俺たちが助けてやる!」


 しかしその混乱の中、実験場の奥深く、最も次元の歪みが激しい場所から——ついに異次元の存在がその完全な姿を現そうとしていた。


 定まった形を持たない黒い霧のようなもので、見る者の精神を直接蝕むようなおぞましい気配を放つ未知の生命体——もしくは何らかの概念が具象化したもののようだった。


 絶体絶命かと思われた、その時。


「やれやれ、これはまた随分と厄介な『お客様』を

 招き入れてしまったようだね。


 だが、心配はいらないよ。

 この程度の『空間のノイズ』なら

 僕の専門分野だ——」


 こういう時に頼りになるのは、やはりシオン・アークライトだ。まるで最初からそこにいたかのように、彼は異次元の存在を前にしても一切臆することなく、むしろ楽しげにその黒い霧に向かって何かを語りかけ始めた。


 誰も聞いたことのない、森羅万象が従うべき何らかの法則に語りかけるかのような不思議な言語だった。


「すごい——」


 リリィをはじめ、その場の全員が固唾を吞んでいる。


 シオンの言葉が続くにつれ、驚くべきことに、あれほどまでに凶暴で制御不能に見えた異次元の存在が、シオンの言葉に呼応するかのように徐々にその動きを鎮めた。


 そしてまるで満ち足りたかのように、ゆっくりと次元の裂け目の奥へと自ら姿を消していった。暴走していたエネルギーも収まり、実験場には静寂が戻った。


 するとシオンは呆然とするクロエたちに向かって、悪戯っぽく微笑んだ。


「まあ、ちょっとした『お掃除』だよ。

 それにしてもエリアス君も

 なかなか面白い『置き土産』を

 していってくれたものだね。


 だが彼もまた、知識という名の『パンドラの箱』を

 開けてしまった哀れな犠牲者の

 一人なのかもしれない。


 知識は諸刃の剣。

 使い方を誤れば自身も他者も滅ぼす。


 そして選ばれるかどうかは

 他人が決めることじゃない。


 君自身が何を選び取るか、だよ。

 ……そうだろ、クロエ・ワークライフ?」


 シオンのその言葉は、まるでクロエの心の奥底を見透かすかのように深く、そして重く響いた。


 失踪したエリアスはその後、実験場の近くの隠し部屋で、魔導捕縛で雁字搦めに拘束された状態で発見された。


 兄弟団によって「失敗作」として見捨てられて完全に精神が崩壊し、虚ろな目で「選ばれたはずの私が……なぜ……」と呟き続けている、哀れな状態だった。


 もはや誰の言葉も理解できず、ただ自身の才能と理想が無残に打ち砕かれたという絶望の中に永遠に囚われ続けることになっていた——。


 クロエはエリアスの末路とシオンの謎めいた言葉、そして兄弟団の非情さと選民思想の恐るべき危険性を改めて胸に刻み込んだ。


(兄弟団……一体、どこまで

 その悪意の根を広げているのでしょうか?)


 定時はもちろん、とっくの昔に過ぎていた。アカデミーからの帰り道、クロエは珍しく弱音とも取れる感想を漏らした。


「アカデミックな残業は肉体的疲労よりも

 精神的疲労の方が著しく大きいですね。

 その結果、報告書作成も全く筆が進まず

 通常業務の三倍は非効率になる。」


「先輩……」


「——ということは、やはりいかなる案件であっても

 疲労感を憶える前に、

 早急に対応してしまうべき、ということです」


「クロエ。お前にしては暴力的なロジックだな」


 という具合で、結局はリリィとバーンズも苦笑する程度には、クロエらしい効率論に着地するのだった。


 王都で一番濃厚でカフェイン含有量が通常の三倍はあると言われる高級チョコレート専門店の「真理の欠片」を自分への緊急報酬として購入した。


 ビターテイストでカフェイン三倍、ただし一個あたりの価格も通常の三倍だ。


 それを味わいながら、次なるアフターファイブの完璧な計画と、エリアス講師が遺した古代魔法理論のより詳細な解析に思いを巡らせるのだった。


「クロエ。これは食べ物なのか?

 苦さしかないぞ——」


「脳が喜んでいる声が聞こえないというのですか?」


「……」


 極めてオーソドックスな()()()()を食らったバーンズであった。

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