第66話: 魂なきマリオネットと盗まれた叡智
王立禁書庫での「叡智探求の兄弟団」との最初の衝突から数日。クロエ・ワークライフは依然として山積する通常業務と、先の事件の後処理に追われていた。
主に禁書庫のセキュリティ強化案の再々々々々修正と、シオン・アークライトという謎の存在に関する極秘調査報告書の作成だ。
(ぬぬぬぬぬぬ……)
完璧な定時退社ライフとは程遠い、ストレスフルな日々を送っていた。
(私の計算によれば、このままの業務量と
上層部の非効率な意思決定プロセスが継続した場合
私の平均睡眠時間は4.7時間を下回ります。
パフォーマンスは最大で32.8%低下。
そうすると、誠に嘆かわしいことに
新作スイーツの発売情報をチェックする時間的余裕が
完全にゼロになるという
致命的な事態に陥る可能性があります。
これは早急に改善すべき、極めて深刻な問題です)
クロエは魔導端末の画面に表示された自身のバイタルデータと業務進捗予測グラフを睨みつけながら、本日何度目か分からない深いため息をついた。
そんなクロエの元に、またしてもクライン新課長代理から新たな案件が持ち込まれた。十中八九、非効率で面倒なものだろう。
——今回はまず、王都の有名な魔導人形工房で、熟練の職人が心血を注いで製作し、完成間近だった自動人形が何者かに盗まれたのだという。
それはまるで生きているかのように精巧な一体だったが、なんとその人形がここ数日、夜な夜な王都の貴族街や富裕層の屋敷に忍び込んでは『特定のジャンルの書物』を次々と盗み出す——という奇妙な連続窃盗事件が発生しているらしいのだ。
『特定のジャンル』というのは、古代魔法や錬金術、あるいは王家の秘密に関わる稀覯書や機密文書といった、極めて価値の高い情報が編纂されたものだった。
「ワークライフ君。
この事件、君のその卓越した分析能力と
魔道具に関する深い知識をもってすれば
すぐに解決できるだろう?
なにしろ、盗まれたのが『人形』なら
盗んでいるのも『人形』だからな。
君の得意分野のはずだ。頼んだぞ。
これは王宮からの
極めて強い要請でもあるということを
念頭に置いておくように」
クラインは相変わらずの丸投げ精神と、どこかクロエを試すような、あるいは困らせることを楽しんでいるかのような嫌味な笑みを浮かべて、ベタついた七三分けを撫でながらそう言い放った。
(……またしても、私の専門分野とは
微妙に異なる案件ですが、放置すれば
『継続的残業生産案件』になりかねません。
手口が『非効率なほど巧妙かつ大胆』であり
狙われている情報に『一貫性が見られる』のは
確かに興味深くもあり——
あるいはこの事件の背後にも
あの『兄弟団』の影が潜んでいる可能性も……?)
クロエは内心の焦り、苛立ち、好奇心を抑え、冷静に状況を分析した。この事件は単なる窃盗事件ではない。背後にはより大きく危険な何かが隠されている。
そしてそれを解明することが、結果的に平穏な日常を取り戻すための最も効率的な道となるのかもしれない。
(どうしていつもこうなるのか——)
クロエはリリィとバーンズを伴い、事件の調査を開始した。リリィはこの種の情報収集と古代文献との照合を得意としており、バーンズは万が一の物理的な戦闘と、そして何よりもクロエが調査に集中するための「壁」役として、意外と役立つことが稀にあるからだ。
最初の聞き込み先は、人形が盗まれた魔導人形工房。工房主である老職人マイスター・ゲペットは憔悴しきった様子だった。
盗まれた人形「ノーキアス」がいかに素晴らしい作品であったか、そしてまるで本当に魂が宿っているかのように人間らしい感情の機微さえ見せ始めていたかを、涙ながらに語った。
「あの娘は……ノーキアスは
わしの最高傑作じゃった……
ただの人形ではなかったんじゃ……
まるで、わしの本当の娘のように……」
クロエはその老職人の感傷的な言葉を悪気がないことを前提に効率的に聞き流しながらも、アナリティカル・レンズで工房内を詳細にスキャンして盗まれた人形の設計図の断片や、使用されていた特殊な魔導素材のサンプルを入手した。
次に、人形が盗みに入ったとされる貴族の屋敷をいくつか調査した。
いずれの現場も侵入の痕跡はほとんどなく、極めて巧妙な手口で行われていた。盗まれたものはやはり金品や宝石ではない。例外なく、その家が所蔵する最も貴重で秘密性の高い書物や古文書ばかりだった。
「事前情報の通りですが——
単なる物盗りの犯行ではありませんね。
明確な目的を持った、高度な情報収集活動です。
この人形の動き……
まるで誰かに遠隔操作されているか
あるいは特定の命令に従って
自律的に行動しているかのようです。
マイスター・ゲペットの話では
あの人形には彼の『魂の欠片』とも言うべき
長年の愛情と情熱が込められていました。
それが何らかの形で、この異常な行動の
引き金になっている可能性も……?」
クロエがそう呟いた時、リリィが震える声で報告してきた。
「せ、先輩……!
この、盗まれた書物のリストと
人形の行動パターン……
そして先ほどマイスター・ゲペットからお聞きした
人形に使われていた特殊な魔導素材
『パフュームオブソウル』に関する記述を
古代文献と照合した結果……
恐ろしい可能性が浮上しました……!」
「パフュームオブソウル。
それは確か——
故人の強い残留思念や魔力の痕跡が
生前の愛用品や縁の深い場所に宿り、
それを特殊な触媒や魔術で活性化させることで
その人物が生前使用した魔法や知識
思考パターンの一部を
限定的に再現・抽出できるという
失われた古代技術の一つ……でしたね。
まさか……」
「はい……!
おそらく犯人は、あの精巧な人形を
素体として利用し
そこに何者かの『パフュームオブソウル』を
動力源の一部として組み込んでいる。
そして、その残滓香に込められた特定の命令
あるいは情報収集のアルゴリズムに従って
この連続窃盗事件を
引き起こしているのではないでしょうか……!?
もしそうだとすれば
あのお人形さんはもはやただの人形ではなく……
まるで故人の魂が宿ったかのような
しかしその意思を持たない
哀れな操り人形と
化しているのかもしれません……!
それは、あまりにも……非人道的で
許されない行為です……!」
リリィはその技術の倫理的な問題点に気づき、青ざめた顔でクロエに訴えかけた。
クロエの表情も珍しく険しいものへと変わっていた。人の魂や記憶を道具として利用し、冒涜する行為。それは彼女の目指す「効率」でも何でもない、純粋な悪意の塊だからだ。
「……リリィさん。
その推測はおそらく正しいでしょう。
そして、この非道な技術を悪用しているのは
十中八九、あの『叡智探求の兄弟団』。
彼らならば禁書庫から流出した古代文献を元に
このような禁断の技術を再現し
そして平然と実用化することも十分に考えられます。
目的は——
おそらく我々がまだ知らない何か重要な情報を
この王都から効率的に収集すること。
そしてその情報が
彼らの進める『新世界創造計画』に
深く関わっている可能性が高い」
クロエはアナリティカル・レンズの追跡機能を最大にし、盗まれた人形が次に現れる可能性が高い場所をいくつかの候補として絞り込んだ。
(情報のジャンル的には——王立禁書庫に並ぶ
危険な書物がひしめく王立アカデミーの禁断書庫
あるいは王宮の機密情報アーカイブ……)
「バーンズさん、アランさん、そしてリリィさん。
これより我々は、
あの『魂なきマリオネット』を捕獲し
背後にいるであろう兄弟団の計画を阻止します。
ただし、ターゲットは
あくまで人形を操るシステムであり
人形そのものを破壊することは可能な限り避けます。
マイスター・ゲペットの
あの悲しい顔をこれ以上見たくはありませんからね」
そこに、アランがやってきた。この事件の重要性を鑑み、非公式ながらクロエたちの調査に協力してくれるらしい。
◇
その夜。クロエたちの予測通り、問題のマリオネットは王立アカデミーの禁断書庫エリアに忍び込んできた。厳重に警備されているはずの場所だが、まるで影のように侵入し、特定の古代魔導書を盗み出そうとしていた。
その動きは人間と見紛うほどに滑らかで、そしてどこか哀しげだった。
クロエたちは周囲を完全に包囲し、マリオネットの退路を断った。
「……そこまでです、魂なき人形。
あなたのその悲しい任務も
ここで終わりにして差し上げます」
クロエが静かに声をかけると、マリオネットは一瞬動きを止め、そしてゆっくりとクロエの方を振り返った。
その美しいガラスの瞳には何の感情も宿っていなかった。ただ、プログラムされた命令に従ってターゲットを排除しようとするかのような、冷たい光だけが灯っている。
次の瞬間、マリオネットはその華奢な腕から、目にも止まらぬ速さで数本の毒針をクロエに向けて射出してきた。
シュパパパパ……!
しかしクロエはそれを冷静にオプティマイザー・ロッドでカカカカカン! と弾き返し、同時にバーンズとアランに人形の動きを封じるよう指示を出す。
バーンズが炎の防御魔法で人形の退路を塞ぎ、アランが特殊な捕獲ネットでその動きを絡め取ろうとする。しかしマリオネットは驚くべき俊敏さでそれらを回避し、今度は、その小さな口から高周波の衝撃波を発して抵抗してきた。
「……やはり、戦闘能力も付与されていますか。
ですがその行動パターン、そして魔力反応……
完全にプログラムされたものです。
そこに、あなたの『意思』は存在していません」
クロエはマリオネットの攻撃を冷静に分析しながら、その制御中枢の構造と脆弱性を特定しようとしていた。「パフュームオブソウル」によって形成された、擬似的な魂のコアだ。
「この擬似魂は極めて不安定で
かつ限定的な情報処理能力しか持たないはずです。
ならば、それを『飽和』させて
機能をオーバーフローさせるか
あるいはその情報リンクを『遮断』することで
無力化できるはず……!」
クロエはオプティマイザー・ロッドの先端から特殊な干渉魔力波を照射し始めた。狙うは——マリオネットの胸部。そこに擬似魂のコアが存在すると予測されている。
精密に調整されたその魔力波は、物理的な破壊を伴わず、ただ擬似魂の機能を内側から「鎮静化」させ、その情報処理能力を麻痺させるための高度な魔術だった。
クロエの作戦が効いているのか、マリオネットの動きが徐々に鈍くなっていく。その瞳から冷たい光が消え、代わりにほんの僅かだが、戸惑いや解放を求めるかのような人間的な感情の揺らぎが見えたような気がした。
そしてついにマリオネットは完全に動きを止め、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
カシャン……
その内部の記録媒体からは、兄弟団が狙っていた稀覯書のリストが発見された。
その中には、兄弟団がその成就を渇望する、世界の法則すら書き換えると言われる謎の古代遺物『ヘキサグラマトン』の起動に関わる可能性のある文献も、いくつか含まれていた。
加えて、彼らが王都に複数設置しており情報中継地点としているらしい、小規模な秘密アジトの座標データもいくつか見つかった。
「……魂なき人形に、
魂の欠片を利用して知識を求めさせるとは……
どこまでも悪趣味な皮肉ですね。
ですが、おかげで貴重な情報を
入手することができました。
これで、彼らの計画を阻止するための
新たな手がかりを掴んだことになります」
クロエは機能を停止したマリオネットをマイスター・ゲペットの元へと返却する手配をしながら、次のステップとして、兄弟団の秘密アジトへの潜入調査計画の立案に早速取り掛かるのだった。




