第63話: 囁く肖像画と、暴露される王宮の秘密
自動書記人形の暴走事件から数日後。クロエ・ワークライフの元に、またしても厄介な案件が舞い込んできた。それもまた、彼女の貴重な定時退社を脅かしかねないものだった。
王宮の歴史資料館に展示されている、数代前の国王の肖像画。それが夜な夜な訪問者に不気味な囁きをするという怪事件が発生したのだ。
囁かれる内容は王国の過去のスキャンダルや宮廷内の封印された秘密。果ては国王の個人的な趣味嗜好といった、極めてセンシティブな情報だという。
王宮からはこの件を内密に、かつ迅速に処理するよう魔術師団に極秘の依頼があった。そしてその白羽の矢が、なぜかクロエに立てられたのである。
「……肖像画が囁く、ですか。
実に、非科学的な現象ですね。
私の専門は魔力効率学であり、オカルト現象の解明や
王家のゴシップ処理ではありません。
本来であれば丁重にお断りしたいところですが……」
クロエはクライン新課長代理から渡された事件概要の羊皮紙を一瞥し、深いため息をついた。そもそもなぜこの時代にまだ手書きの報告書が存在するのか、クロエには永遠の謎だ。
本日のアフターファイブの予定は、新しく発見された古代カルドニアの超難解な魔導パズル。完成までに平均百時間はかかると言われている代物だ。その解析と解法アルゴリズムの構築。そのための貴重な思考時間が、またしても無駄に消費されようとしている。
と言いつつ資料に目を通すが、事件資料の末尾に記載されていたある情報に気づいた時、クロエの表情が僅かに変化した。
その曰く付きの肖像画は、クロエの専門分野である「古代魔力効率学」の創始者と極めて深い関わりのあった宮廷魔術師によって描かれたものだったのだ。
その魔術師は晩年、その革新的すぎる研究と思想が異端と見なされ、アカデミーから追放されたという曰く付きの人物だった。
「……なるほど。
これは、少しばかり興味深い。
私の研究テーマと
僅かながら接点があるかもしれませんね。
彼のその『異端』とされた思想の中に
もしかしたら、
現代の非効率な魔術体系を打破するヒントが
隠されている可能性も……
まあ、万に一つもないでしょうが、
ゼロではありません」
クロエの知的好奇心がほんの僅かだが刺激された。この厄介な案件を迅速に解決し、アカデミズムの闇に葬られたかもしれない「効率的な真実」の欠片を発見できれば、それは彼女自身の研究にとっても有益だ。
結果として、今後の彼女の定時退社ライフのクオリティ向上に繋がるかもしれない。——全ては、より完璧なアフターファイブのために。そう考えてクロエは渋々ながらも、この事件の調査を引き受けることにした。
ただし条件は当然「本日中に、可能な限り効率的に解決すること」。
◇
王宮歴史資料館は荘厳だがどこか埃っぽい、古い時代の空気が漂う場所だった。クロエ、リリィ、そしてアラン・クルツの三人は、問題の肖像画が展示されている薄暗い一室へと案内された。
リリィは古代文献の知識を買われ、クロエのサポート役として同行している。アランは今回の事件の王宮側担当者であり、騎士団情報部にも籍を置いている。彼は王宮の警備体制と過去の機密情報へのアクセス権限を持つため、この調査には不可欠な存在だ。
肖像画に描かれていたのは、威厳のある、しかしどこか憂いを帯びた表情の初老の国王だった。その画風は写実的でありながら、どこか見る者の心に直接語りかけてくるような不思議な迫力を持っている。
「これが、問題の『囁きの肖像画』だ。
ここ数週間、夜間警備の者や、
一部の遅くまで残っていた職員が
この絵から不気味な声が聞こえてくる
と報告している。
内容は、国王陛下が生前に隠していたとされる秘密や
宮廷内の確執。
果ては、陛下が密かに収集していたという
いささか風変わりなコレクションの詳細まで……
実に下世話で、
そして王家の権威を著しく傷つけるものばかりだ」
アランが苦々しげに説明する。彼の額にも心なしか疲労の色が浮かんでいる。おそらく連日、この肖像画の「おしゃべり」の後始末に追われているのだろう。
「なるほど」と思いながら、クロエはアナリティカル・レンズで肖像画を詳細にスキャンした。
「ふうむ……
この肖像画には、
対象の記憶や感情を微弱な魔力パターンとして
絵具に定着させる古代の特殊な技法が
使用されていますね。
特定の条件下、例えば特定の月の満ち欠け、
あるいは周囲の魔力周波数の変化などで
それを音声情報として再生する。
囁きの正体はおそらく、
この国王が生前に抱えていた秘密や後悔。
あるいは誰にも言えなかった個人的な愚痴などが
長年の間に絵具の中で『熟成』され
一種の『情報残留思念』として
漏れ出しているものでしょう」
クロエの冷静な分析に、アランとリリィは感嘆の声を漏らした。
「だが、それだけでは説明がつかない点がある」
アランが続けた。
「最近になって、この囁きの内容がより具体的、
かつ悪意に満ちたものへと変化しているのだ。
例えば現王政を痛烈に批判するような内容や、
特定の貴族を名指しで糾弾し
その失脚を狙うかのような巧妙なデマ情報が
囁きの中に混入し始めている。
まるで誰かが意図的に
この肖像画を利用して王宮内に不和の種を撒き
混乱を引き起こそうとしているかのようだ」
アランは騎士団情報部の調査で、最近王宮内部で不審な動きを見せる反体制的な思想を持つ貴族のグループが存在することを知っていた。
そして彼らが、過去に異端として追放された魔術師たちの思想を密かに研究しているという情報も掴んでいた。その中には、この肖像画を描いた魔術師の思想も含まれていたのだという。
「……つまり、誰かがこの肖像画の
『情報残留思念』のメカニズムを悪用している。
そこに新たな情報を『上書き』
あるいは『混入』させることで
王宮内の情報操作と政治的な混乱を画策している
ということですか。
実に悪趣味なやり方ですね」
クロエの翠色の瞳が鋭く光った。これは単なるオカルト現象ではない。巧妙に仕組まれた情報戦の一環である可能性が高いということだ。
クロエは肖像画にさらに接近し、アナリティカル・レンズの解析深度を最大に引き上げた。そして絵具の表面に、肉眼では到底感知できない微細で幾何学的なパターンで刻まれた新たな魔術的な紋様を発見した。
それは対象の記憶情報に干渉し、特定の情報を選択的に増幅、あるいは改竄するための古代の「情報改竄術式」の一種だった。
「……見つけました。
これが囁きの内容を操作している『犯人』ですね。
この術式を無力化し
これを仕掛けた者の正体を特定すれば
この騒動も終結するでしょう」
クロエはアランとリリィに、術式の構造と、それを仕掛けたであろう犯人の魔力パターンの特徴を説明した。極めて微弱だが、特定の周波数帯に偏りが見られたため、王宮内でその魔力パターンに合致する人物の特定を依頼した、という寸法だ。
数時間後。アランの部下からの報告で犯人はあっけなく特定された。王宮書庫官の一人で、例の反体制派貴族グループに所属し、古代の異端魔術に傾倒していた若い男だった。
彼の自室からは情報改竄術式に関する研究資料と、肖像画に細工を施すために使用したと思われる特殊な魔導具が発見された。
そして——先日リリィが発見した「一つ目のフクロウと開いた本を組み合わせたような奇妙な図形」が記された羊皮紙も発見されたことで、共通する「何者か」が存在していることが強く疑われることとなった。
いずれにせよこれで事件の黒幕は捕らえられた。アランがその男の身柄を確保し、騎士団の情報部へと連行したため、じきに解明されることだろう。
したがって残っているのは、この「おしゃべりな肖像画」をどうやって無害化するかということだった。
「術式を完全に除去するのは
肖像画そのものを損傷させるリスクがあります。
かといってこのまま放置すれば
また誰かが悪用するかもしれない。
ならば……」
クロエはふと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「この肖像画の絵具に使われている
古代魔力パターンの
ある種の『論理的なバグ』を利用しましょう。
特定の情報を延々と
極めて非効率で冗長な美辞麗句で
ループ再生させるように
囁きの内容を『最適化』して差し上げるのです。
そうすれば誰も、この絵の囁きを
真剣に聞こうとはしなくなるでしょう。
ある意味では、
国王陛下の偉大さを永遠に称え続ける
忠実な『肖像画』へと
生まれ変わるかもしれませんからね」
クロエはオプティマイザー・ロッドを使い、肖像画に仕掛けられた情報改竄術式を、さらに巧妙に「上書き」した。
◇
翌日から、歴史資料館の「囁きの肖像画」は、以前とは全く異なる内容を囁き始めた。
「おお、我が偉大なる王国よ!
その栄光は天に輝く太陽よりも眩しく
その歴史は深海に眠る真珠よりも尊い!
特に我が治世において達成された
ジャムの瓶の蓋の統一規格化は
後世永遠に語り継がれるべき画期的な偉業であった!
また我が愛したペットのポメラニアン
ポン吉三世の、あの愛くるしい寝息!
それはまさに天使のハープの音色にも等しく
私の心をどれほど癒してくれたことか!
ああ、ポン吉!
そして我が考案した
靴下の左右を間違えずに履くための
画期的なマーキングシステム!
これは全人類の
日常生活における非効率を劇的に改善する、
まさに画期的な発明であったと
私は自負しておるのだ!
さらに言えば……」
以下、延々と、どうでもいい自画自賛とペット自慢、そして日常生活の些細な発明に関する、極めて冗長で退屈な独白が一日中繰り返されるようになった。
その結果、資料館の職員たちはあまりの退屈さと馬鹿馬鹿しさに、もはや誰も肖像画の囁きに耳を傾けなくなり、事件は、ある意味で、完全に解決した。
クロエはこの「効率的な無害化」の成功に満足した。そしてアランから王宮御用達のパティスリーの新作「王家の秘宝」を奢ってもらった。
それは何層にも重ねられた、食べるのが非効率——とは言わないが、非常に複雑な構造と複雑な味わいのフルーツタルトだった。
しかし彼女の知らないところで、例の「一つ目フクロウと開いた本を組みわせた紋章」の組織の影は確実に、そしてより深く、カルドニア王国の闇へと忍び寄っていた。




