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第62話: 暴走オートマタと情報を汚染する魔法

 ページのない魔導書事件の翌週。クロエ・ワークライフの完璧な定時退社ライフは、早くも新たな非効率の脅威に晒されようとしていた。


 魔術師団庁舎の第三課オフィスに、けたたましい金属音と、何やら焦げ臭い匂いが漂い始めたのだ。


「……この異音と異臭。

 私の計算によれば、本日導入された

 新型の自動書記人形の試運転中に発生した

 想定外のシステムエラー、

 あるいは物理的な故障である可能性が97.8%——

 実に、嘆かわしいです」


 クロエは手元の報告書から顔を上げることなく、冷静に状況を分析した。本日のアフターファイブの予定は、先週入手したばかりの、超希少な夜光苔を用いたテラリウムキットの組み立て。


 そしてそれに最適な照明環境の魔導的構築。そのための思考時間は、一秒たりとも無駄にできない。


 (くだん)の自動書記人形は、クライン新課長代理が「業務効率化の切り札」と称して導入したものだったが、どこぞの魔道具メーカーからリベートを受け取ったのではないかと、もっぱらの噂だ。


 その人形が膨大な文献の筆写やデータ入力を自動で行うという触れ込みだった。しかし、クロエの事前シミュレーションでは、初期不良と現場オペレーションの混乱により、むしろ全体の業務効率を平均12.3%低下させるという予測結果が出ていた。


 クロエの予測通り、オフィスの中央に設置された優美な出で立ちの女性を模した自動書記機械は、突如としてその動きを停止させた。そのうえ、頭部からカチカチという異音と、焦げ臭い煙を噴き上げ始めたではないか。


 ——次の瞬間。


「赤キ月ノ夜、賢者ノ塔ハ崩壊シ

 失ワレシ言葉ガ世界ヲ覆ウ……

 ソノ時、効率ノ化身ハ涙ヲ流ス……


 本日ノ最高気温ハ摂氏二十五度

 降水確率ハ十パーセント……


 ニンジンハ細カク刻ンデ……」


 自動書記人形は美しい合成音声で、謎めいた情報と無関係な情報を話し始めた。意味不明だがどこか不気味な「預言」とも「警告」ともつかない。


 時には日常の些細な情報、天気予報や料理のレシピの断片などを混入させている。そのようなことを際限なく、喋るだけでなく高速で羊皮紙に書き殴っている。まるで、『何かを聞きながら、それを口に出しつつメモを取っている人』のようだ。


 そんな様子を見た人たちによって、庁舎内は瞬く間に混乱の渦に叩き込まれた。


「な、なんだこれは!? 人形が、狂ったぞ!」


「おい、誰か止めろ! 

 このままでは、機密情報まで無茶苦茶にされる!」


 同僚たちの悲鳴が飛び交う中、クライン新課長代理が真っ青な顔でクロエのブースに駆け込んできた。


「わ、ワークライフ君! 見ての通りだ!

 君のその卓越したトラブルシューティング能力と

 魔道具に関する深い知識をもってすれば

 この程度の不具合、すぐに解決できるだろう!?


 これは君の得意分野のはずだ!

 今日中に、何とかしたまえ!

 これは、業務命令だぞ!」


 またしても丸投げ。そして責任の所在を曖昧にするための、巧妙な、と本人は思っているのだろうが、クロエから見れば稚拙極まりない言葉遣い。クロエは内心で深いため息をつきながらも、冷静に返答した。


「承知いたしました、課長代理。

 状況の早期解決に、最大限努めさせていただきます。

 ただし原因究明と対策には、

 相応の時間とリソースが必要となります。


 私の定時退社時刻までに、

 全ての作業が完了するという保証は致しかねますが、

 よろしいですね?」


「も、もちろんだとも! 君を信じているぞ!」


 クラインはそう言い残すと、そそくさと現場から離れていった。おそらく責任を全てクロエに押し付け、自分は安全な場所から高みの見物を決め込むつもりなのだろう。


 クロエは暴走を続ける自動書記人形の前に立ち、アナリティカル・レンズを装着してその魔導回路とプログラムの解析を開始した。傍らでは、リリィ・プランケットが心配そうな顔でクロエの指示を待っている。


「リリィさん。

 この人形が筆写していた文献のリストと

 その内容を可能な限り詳細に調査してください。


 何か、異常な魔力パターンや、

 情報汚染を引き起こす可能性のある記述が

 含まれていないかという観点で、重点的に」


「は、はい、先輩! すぐに!」


 リリィが震える手で資料の山に取り掛かる。一方、バーンズ・ゲイルはいつものように「こんな鉄クズ、俺の魔法で一発で黙らせてやるぜ!」と息巻いていた。


 ——と言いながら人形に殴りかかろうとしていたが、クロエの一言で渋々動きを止めた。


「バーンズさん。殴打は魔法ではありません。


 その行動によって、

 さらなる予測不能な事態を招く可能性があります。


 現状維持、及び周囲の安全確保に専念してください。

 あなたのその有り余るエネルギーは

 後ほど、もっと有効な形で

 活用させていただくかもしれませんので」


 クロエの解析が進むにつれて、奇妙な事実が明らかになってきた。人形の魔導回路や基本的なプログラムには、表向きの異常は見当たらない。しかし、リリィが調査していた文献の中に、極めて気になる記述が発見されたのだ。


「せ、先輩!ありました!

 この人形が暴走直前に筆写していた文献の中に……

 昨日、私たちが関わった『ページのない魔導書』に

 酷似した記述が……!


 それに、古代の『情報汚染系魔法』に関する

 極めて危険な文献の断片も……!」


 情報汚染系魔法。それは情報そのものが意思や呪いのような性質を持ち、それに接触した対象の思考や精神、あるいは機械の論理回路にさえ影響を与え、汚染するという禁断の古代魔法の一種だった。


「……なるほど。

 つまり、この人形は筆写業務の過程で

 禁書庫から流出した別の危険な魔導書の

 断片的な情報に無意識にアクセスした。


 あるいは、その情報が持つ

 『見えない力』のようなものに触れたのか……


 その結果、論理回路が『汚染』されて

 暴走を始めた……というわけですか」


 クロエは暴走する人形が生成し続ける支離滅裂にも見える文章の中に、自身の過去の研究テーマや、かつて所属していた「王立先進魔導研究所」で扱っていた機密情報に酷似した、いくつかのキーワードやフレーズが混じっていることに気づいた。その瞬間、彼女の表情がほんの僅かだが硬直した。


(この感覚……まさか……あの時の……?)


 それはクロエの心の奥底に封印されていた、悲しい記憶の断片を不意に呼び覚ますかのようだった。だが、クロエはすぐにその動揺を押し殺し、冷静な分析を再開した。


 この人形の暴走パターンは単なるランダムな情報の羅列ではない。そこにはある種の「アルゴリズム」が存在する。それは無秩序に情報の断片を繋ぎ合わせながらも、最も人間の不安を煽る。


 かつ、特定の個人、この場合はおそらくクロエ自身だが、その深層心理やトラウマに響くようなキーワードの組み合わせを優先的に出力するという、一種の「効率的な情報テロリズム」とも言うべき悪質なプログラムではないだろうか——。


「……と仮定するなら、対処法は一つ。

 そのアルゴリズムの逆を突くことです」


 クロエはオプティマイザー・ロッドを構えると、人形の魔導回路に直接アクセスし、彼女自身の膨大な魔力を通じてある情報を高速かつ大量にインプットし始めた。


 それは「最も平凡で、退屈で、何の価値もない情報」だった。例えば羊の数を延々と数え続ける音声データ。円周率を小数点以下数万桁までひたすら読み上げるテキストデータ。あるいはカルドニア王国の過去百年間の、最も退屈で代わり映えのしない日の天気予報の記録。


 その圧倒的なまでの「無価値な情報」の洪水が、人形の汚染された論理回路を徐々に「希釈」し、その狂ったアルゴリズムを中和していく。


 やがて人形の動きは緩慢になり、その口から発せられる不気味な音声も徐々に途切れ途切れになり、そしてついに完全に沈黙した。


「やはり、仮説の通りだったようですね。

 ……システム、正常化を確認。

 情報汚染レベル、許容範囲内まで低下。

 これにて、一件落着ですね」


 クロエは額の汗を僅かに拭いながら、静かにそう宣言した。


「情報の価値とは何か。

 そしてその取り扱いには最大限の効率と

 そして何よりも高度な倫理観が求められます。


 特に、個人のトラウマに関わるような

 デリケートな情報は。


 今回の事件は、その教訓を我々全員に

 改めて突きつけたと言えるでしょう」


 クロエのその言葉は、どこか遠くを見つめるような、複雑な響きを帯びていた。



 事件後、自動書記人形の本格導入はもちろん一時見送りとなった。クロエはクライン新課長代理に報告書を提出した。


「結局、人の手による作業が最も確実で効率的です。

 ただし、それは私の手作業と、

 そして適切な情報管理体制が前提となりますが」


 ——と、丁寧な、しかし皮肉のこもった内容だった。


 そしてアフターファイブには、王都の老舗パティスリーが限定販売する新作「禁断の果実のコンポート~賢者のささやき風~」を、いつもより少しだけ味わい深く堪能するのだった。


 リリィはこの事件を通じて、禁書庫の資料管理の危険性と情報汚染の恐ろしさを改めて認識し、自身の研究テーマに新たな視点と使命感を見出そうとしていた。——が、その前にクロエに報告すべき違和感を見つけていた。


「先輩……実は自動書記人形の暴走メモの中に

 ちょっと気になるものが——」


「なんです?」


「これ……まるで何かの印のように、

 一つ目のフクロウと開いた本を組み合わせたような

 奇妙な図形がいくつも描かれているんです。

 何かの秘密結社のシンボルのような……」


「確かに、偶然にしては意味ありげです。

 気になりますね……調べておいてください」


 この時はまだ、この模様の意味を二人は理解していなかった——。 

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