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第61話: ページなき魔導書と星屑のティラミス

 ——午前九時五十五分。魔術師団長室。


 夜通し作業をしていたクロエ・ワークライフにとっては『三十三時五十五分』でもあった。


(準備だけ、と思っていましたが

 結局朝になってしまいました。

 ——とっとと報告を終えて

 一旦シャワーを浴びたいところです)


「——以上が、昨晩観測された王立禁書庫ビブリオテカ・プロヒビタ

 おける未知の魔力パターン及び

 微細な法則異常に関する

 初期分析結果とそれに基づく推奨対応プランです。

 

 私の計算によればこのプランを

 本日中に実行することで

 潜在的リスクの98.7%は排除可能

 であり、かつ関連部署の業務効率を

 平均15.3%向上させることが期待できます。


 詳細はこちらの報告書をご確認ください。


 全358ページ。

 添付資料及びシミュレーションの

 データも記載してございます」


 クロエ・ワークライフは昨日予告した通り、山のような報告書を若干やつれた顔の団長のデスクに、ドン! と音を立てて置いた。


 データで送ることも考えたが、一周回って物理的な羊皮紙というトラディショナルな媒体を選んだ。


 もちろんクロエ流の「やった感」の演出である。


 彼女の翠色の瞳は徹夜明けにもかかわらず、完璧な業務を遂行した達成感とこれで約束された、至福のアフターファイブ(といっても数時間後だが…)への期待で、微かに輝いているように見えた。


「わ、ワークライフ君…

 今回もまた、その…感謝する…。

 君のその迅速かつ的確な対応が

 なければどうなっていたことか…」


 団長はその報告書の分厚さと、クロエの(いつもながらの)超人的な仕事ぶりに若干引きつつも、安堵の表情を浮かべる。


 禁書庫の異常は、クロエが分析のついでにやっておいた初期対応によって小規模な範囲に封じ込められ、原因究明のための具体的な調査対象も特定された。


 とはいえそんな『緊急対応』だけでは、異常の「本質」や不正アクセスを試みた者の正体など、多くの謎はまだ残されたままだ。


「いえ、当然の職務を遂行したまでです。


 それでは私はこれにて。

 とうに定時を過ぎておりますので。


 ……あ、念のため申し添えますが

 今回の調査分析業務に関する

 深夜割増及び危険手当含む

 時間外割増手当の請求書は、後日、法務部を通じて

 正式に提出させていただきますので

 漏れなきよう、ご対応をお願いいたします」


 クロエは優雅に一礼すると今度こそ本当に、団長の引き止める声を背中で聞き流しながら、足取りも軽く団長室を後にした。



 昨晩の緊急対応とそれに伴う報告書作成という名の追加業務を、午前中に完璧に完了させて仮眠をとった後、定例業務をこなし完璧に業務を遂行したクロエ・ワークライフ。


 寸分の狂いもないスケジュール管理。今日もまた彼女の信条たる「定時退社」は、揺るぎない現実として達成されようとしていた。


「本日割り当て業務、完了。

 追加依頼資料の精査、及びそれに基づく魔力効率改善

 シミュレーション、完了。


 緊急性の低い問い合わせへの一次回答、完了。


 王立禁書庫ビブリオテカ・プロヒビタ異常事態に関する

 追加報告、送信済み。

 業務日報、送信済み。——特記事項なし」


 クロエは脳内でタスクリストの最終項目にチェックを入れ、シャットダウンシーケンスが静かに進行する端末から意識を切り離した。


 デスクの上は、彼女が着任した日の朝よりも整然としているかもしれない。愛用のオプティマイザー・ロッドは所定の位置に。予備の魔力カートリッジも満タンだ。立つ鳥跡を濁さず、というが、クロエの場合はむしろ周囲を浄化して去る勢いである。


 周囲の喧騒は、クロエの聖域たる定時退社へのカウントダウンを彩るBGMに過ぎない。


 キーボードを叩きつけるような音。羊皮紙が絶望的な音を立てて擦れる音。そしてパーティションの向こうから漏れ聞こえる、疲労と諦観に満ちた同僚たちの囁き。


「今日のノルマ、まだ半分も終わってないよ……」


「また徹夜か……会議資料の修正、

 新課長代理からまた追加指示が……」


 「新課長代理」とは——あの、かつて第三課を数々の非効率な指示で混乱の坩堝に叩き込み、ヴァロワール元宰相に取り入ろうとしては見事に梯子を外され、魔術師団から追放されたはずのクライン。その人であった。


 一体全体、どのような魔法を使ったのか、あるいは単に上層部の記憶力が「三歩あるけば忘れる」系の鳥類並みなのか、彼が『新課長代理』などという、またしても部下に無駄な残業を強いる権限を持ちかねない役職に返り咲いているという事実は、クロエにとって世界の法則が乱れるよりも不可解な現象だった。


 それゆえその名は非効率と理不尽の代名詞として、クロエの脳内ブラックリストの最上位に燦然と輝いている。


 彼の管理下で費やされる残業時間は、王国全体の魔力損失率よりも深刻な問題だと、クロエは本気で考えていた。


(重要課題ほど会議が長引き、

 結局何も決まらず次回持ち越し、ですか。

 実に典型的。


 あの会議に費やされた時間を

 私に与えていただければ、 

 王国の年間魔力消費量を0.5パーセントは

 削減する改善案を提示できるのですが)


 彼女の視線が、壁掛けカレンダーの一点を捉える。今日の夜。それは一ヶ月前から予約システムにおける熾烈な競争を勝ち抜き、ようやく確保した至高の逸品と邂逅する、運命の夜。


 パティスリー「メイルシュトローム」の超限定新作スイーツ『純白のティラミス・アルビレオ~星屑の囁きと共に~』。


 その名を口にするだけで、舌の上に芳醇なマスカルポーネの香りと、ほろ苦いココアパウダーの記憶が蘇る。


 この完璧なアフターファイブのためならば、いかなる非効率な業務も、理不尽な上司の横槍も、クロエ・ワークライフの超絶技巧の前には些細な障害でしかない。


 ふと、最近王都で囁かれている不穏な噂が、クロエの思考を僅かに掠めた。原因不明の小規模な魔力異常とポルターガイスト現象。


 大方の魔術師たちは、インフラの老朽化か偶発的なシステムエラー程度にしか捉えていないようだが、クロエはそこに、無視できない「非効率なパターン」の存在を感じ取っていた。単なる偶然にしては、あまりにも作為的な気がする。


(いえ、いけません。

 今は『純白のティラミス・アルビレオ』のことだけを

 考えるべきです。


 私の完璧なアフターファイブ計画への潜在的脅威と

 なり得る情報は、今は思考の外へ。

 それが最も効率的な精神管理術です)


 十六時五十九分三十秒。


 クロエは、愛用の白金色の円盤型清掃魔法ゴーレム「ダスト・イーターMarkⅢ(クロエ・カスタム)」にデスク周りの最終清掃を指示。髪留めを外し、コートを羽織り、鞄を手に取る。完璧な流れだ。


 その時だった。


 けたたましい警告音と共に、シャットダウンしたはずのクロエの魔導端末が、強制的に再起動した。ディスプレイには赤文字で「緊急指令」の文字が明滅している。


「……また、ですか。このタイミングで。

 彼の非効率性は、自然の法則すら捻じ曲げている。

 ここまでくると、変数ではなく()()なのかもしれません。」


 クロエの呟きは、誰にも聞こえないほど小さかったが、その声には鋼鉄を思わせる冷たい怒りの響きが、僅かだが確かに込められていた。


 クライン新課長代理から押し付けられたのは、王都の片隅で発生した、古物商所有の奇妙な魔導書盗難事件だった。その直後から周辺で微弱な魔力異常やポルターガイスト現象が頻発しているという、第三課に回されてきた雑務案件だ。被害は軽微。


 だが、クロエはこれを——


「非効率な事態の放置は、より大きな非効率と、

 何よりも私の完璧なアフターファイブ計画への

 潜在的脅威を生む」


 ——と即座に判断。ティラミスの受け取り時間に間に合わせるという絶対条件の下、調査に着手した。



 現場は、王都の旧市街、薄暗い骨董品通りに軒を連ねる古物商。店主の老人は怯えた様子で語る。


「あの気味の悪い本が盗まれてから、

 どうも店の品物が勝手に動いたり、

 変な音が聞こえたりするんです……」


 クロエはアナリティカル・レンズで店内をスキャン。確かに、微弱ながらも複数の異常な魔力残滓が検出された。ポルターガイスト現象の痕跡も散見される。


「リリィさん。

 この魔力パターン、何か心当たりはありますか?」


 クロエの呼びかけに、後方でメモを取っていたリリィ・プランケットがおずおずと顔を上げた。クロエの指示で、彼女もこの事件の関連資料の事前調査を担当することになったのだ。


「せ、先輩……

 この魔力残滓と、盗まれたという魔導書の特徴、

 つまり『ページがない』という点から推測するに……

 もしかしたら、

 古代の『願望成就系魔法』の一種かもしれません」


「願望成就系魔法、ですか」


 クロエは聞き返す。


「はい。使用者の想像力や願望を、

 魔力を触媒として現実世界に

 『概念レベルで上書き』する魔法です。


 ただし、術者の力量や理解度によって

 結果が大きく変動するという、

 制御が極めて困難で非常に危険なものだと、

 古い文献には記されていました。


 このような魔導書は、

 本来なら王立禁書庫ビブリオテカ・プロヒビタの最深部に

 厳重に封印されているはずなのですが……」


 リリィはそこで口ごもった。何かを言い淀んでいるようだ。


「禁書庫の資料管理が、少し……

 その『甘い』のかもしれないという話を

 聞いたことがあります。


 同様の魔導書が、

 未確認リストに多数記載されている、とも……」


王立禁書庫ビブリオテカ・プロヒビタ……

 またしても、非効率な情報管理が問題の根源ですか。


 私の貴重な時間を

 これ以上無駄にしないでいただきたいものですね)


 クロエは内心で毒づいたが、リリィの分析の的確さは評価した。彼女の古代文献学の知識は、確かにチームにとって貴重な戦力となり得る。


 クロエはアナリティカル・レンズの探知範囲を最大に広げ、盗まれた魔導書の行方を追跡開始。犯人はまだ、そう遠くへは行っていないかもしれない。魔力パターンから見るに、おそらくは素人。魔導書を完全に制御できているとは思えなかった。


 ——数分後、クロエの予測通り、犯人はあっけなく発見された。


 薄汚れた路地裏で、盗んだ魔導書を手に何やらぶつぶつと不満げに呟いているチンピラ風の若い男だった。


 周囲で、通行人のカツラが勝手にパンクヘアーになったり、犬猿の仲の隣人同士の家の表札が入れ替わったり、家の内装の一部、例えばテレビと冷蔵庫の位置までが入れ替わったりするという、コミカルだが極めて迷惑な現象が次々と発生していた。


「見つけました。目標捕捉。

 これより、速やかに無力化して魔導書を回収します」


 早速駆けつけてクロエが男に近づこうとした、その瞬間。男が突然、大きな声を上げた。


「ちくしょう! こんなチャチな魔法じゃねえんだよ!

 俺が欲しいのは、もっとこう……

 ドカンと一発、大金持ちになれるような、

 すげえ魔法なんだ!

 そうだ! 金だ! 金を出せ! この魔導書!」


 男のその短絡的で強欲な願望が、ページのない魔導書に流れ込んだ。次の瞬間、男の周囲の空間がぐにゃりと歪み、路地裏の古びた噴水が眩い黄金色の輝きを放ち始めた。


「おおっ! すげえ! 本当に金塊になったぞ!」


 男は狂喜乱舞し、噴水から溢れ出るように見える金の延べ棒に手を伸ばす。しかしその黄金は、彼の手が触れる寸前にボロボロの石ころへと変化してしまった。


「な、なんだよ! 使えねえな!

 だったら俺を王様にしろ!

 そうだ世界で一番偉くて、一番贅沢できる王様だ!」


 今度は、男の着ていた薄汚れた服が一瞬だけ豪華絢爛な王様の衣装へと変化したが、それもすぐにボロボロの布切れに戻ってしまった。


 男の願望は暴走し、しかしその結果はあまりにも不安定で、そして滑稽なものだった。


「…なるほど。

 彼の深層心理は幼稚な承認欲求と、

 努力を嫌う怠惰な精神によって

 構成されているようですね。


 そしてその歪んだ願望が、

 魔導書の『概念上書き』の力を

 非効率な形で暴走させている。


 ——実に、分かりやすい構造です」


 クロエは冷静に状況を分析すると、一歩、男へと踏み出した。


「あなた。その魔導書は、あなたの手に余る代物です。

 そしてあなたのその願望もまた、

 あまりにも非効率で、持続可能性が皆無ですね」


「な、なんだとてめえ! 邪魔するんじゃねえ!」


 男が逆上してクロエに殴りかかろうとする。しかしクロエは、その動きを柳のように軽くいなし、逆に男の腕を掴んで体勢を崩させ、そのまま地面に、軽くではあるが確実に押さえつけた。一瞬の出来事だった。


「最も効率的に、かつ持続的に注目と富を得る方法は、

 地道な努力と自己投資です。

 さらに、SNSソーシャル・ネットワーキング・スペル等における

 適切な自己ブランディング戦略の構築と

 その継続的な実践も有効でしょう。


 あなたのその短絡的な思考では、

 たとえ本物の王様になったとしても

 数日で国を滅ぼすのが関の山ですね」


 クロエの冷徹で的確な論破、そして物理的な制圧。


 男は完全に戦意を喪失し、ぐうの音も出ない。


「そしてこの魔導書の力も

 ここで『概念的強制シャットダウン』を実行します。

 あなたのその非効率な願望そのものを

 『価値なし』と断じ、無力化させていただきます」


 クロエがオプティマイザー・ロッドの先端を、ページのない魔導書に静かに触れさせた瞬間。


 魔導書から放たれていた禍々しいオーラが、まるで霧が晴れるかのようにすっと消え失せた。男の周囲で起きていた不可解な現象も、ピタリと止んだ。



 事件解決。クロエの介入から約十五分。上出来だ。


 クロエは押収した魔導書と、しょげ返っている男を、応援に駆けつけた魔術師団の別部隊に引き渡すと、魔導端末で時刻を確認した。


 十七時二十八分。


(……よし。

 これならまだ『純白のティラミス・アルビレオ~

 星屑の囁きと共に~』の受け取り時間に

 ギリギリ間に合いますね——)


 クロエは安堵の息を漏らした。しかし、その時、アランからの秘匿通信が入った。彼の声は、いつもより僅かに硬い。


『クロエ。

 例の魔導書だが……先ほどの解析で、

 王立禁書庫から

 過去に不正に持ち出されたもののリストに、

 酷似した特徴を持つものが記載されていたことが

 判明した。


 どうやらこの事件、思ったよりも

 根が深いかもしれん』


「……やはり、そうですか。

 情報の管理体制そのものが非効率。

 これでは私の定時退社スケジュールが、

 いつ、どんな形で脅かされるか、

 分かったものではありませんね」


 クロエは深く、深いため息をつきながらも、その足は既に「メイルシュトローム」へと向かい、王都の石畳を軽快に踏みしめていた。



 その頃、王立禁書庫の薄暗い書庫の片隅。


 一人の初老の司書が、窓から差し込む夕日を浴びながら、誰にも気づかれることなくほんの一瞬だけ、怪しげで満足げな笑みを浮かべていたことを、クロエはまだ知る由もなかった。

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