第19話: 迫る危機と大胆なる一手
リリィが帰った後、クロエは再び私設ラボラトリーでの調査に没頭していた。
ヴァロワールと「王立先進魔導研究所」そして「黄昏の秘文字」の繋がり。その線は、徐々にではあるが確かな輪郭を現しつつあった。
しかし、決定的な証拠が掴めない。ヴァロワールは、自身の過去と現在の計画に関する情報を、極めて巧妙に隠蔽、あるいは改竄しているようだった。
そんな時、アラン・クルツから、例の特殊なプロトコルを用いた秘匿通信が入った。彼の声は、いつも以上に硬く、そして僅かに焦りの色が滲んでいるように感じられた。
『クロエ。
例の王宮内部の端末利用者の件だが、
ほぼ特定できた。
やはり、宰相府……それもヴァロワール本人か、
彼の極めて近しい側近の一人だ。
だが残念ながら、
現状では直接的な証拠としては弱い。
奴らは、我々の動きを完全に察知し、
警戒を強めている』
アランの声は、低いが明瞭だった。その刹那、通信機の魔導ランプの光が、彼の端正な横顔に影を落とし、その銀髪が一瞬、鋭く光ったように見えた。
「そうですか。
予想通りの反応ですね。
彼らがそう簡単には尻尾を掴ませない
であろうことは、織り込み済みです」
クロエは冷静に返した。
『問題はそれだけではない。
ヴァロワールは近々、お前を完全に社会的に抹殺し、
場合によっては物理的に排除しようと、
具体的な動きを見せ始めている。
私自身も、騎士団内部での立場が
かなり悪化しており、
自由に動ける範囲が著しく制限されてきている。
打つ手が限られてきているのが現状だ』
アランの言葉には、珍しく感情的な響きが含まれていた。それは、クロエに対する純粋な懸念と、そして現状への強い苛立ちの表れだろう。
「なるほど。
いよいよ追い詰められてきましたか。
ですが、それは同時に、
彼らが焦り始めている証拠でもあります。
ならばこちらから、
少しばかり大胆な『一手』を打つ
必要があるかもしれませんね」
クロエは、まるでチェスの盤面を眺めるかのように、静かにそう言った。
『……君は、いつもそうだ。
窮地に立たされれば立たされるほど、
その思考は冴え渡り、
より大胆な策を打ち出してくる。
まるで……昔、私が失った、
大切な相棒にどこか似ている』
アランが、ふと、個人的な感傷を漏らした。それは、彼らしくない、しかし人間味あふれる言葉だった。
クロエは、その言葉に少しだけ虚を突かれたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。
「アランさん。残念ながら私|た《・ちには、
感傷に浸っている時間は残されていません。
それよりも、具体的なプランについて、
ご意見を伺いたいのですが」
『…ああ、そうだな。すまない。
それで君の言う『一手』とは、一体何だ?
まさかとは思うが、
ヴァロワール本人に直接揺さぶりを
かけるつもりか?
それはあまりにも危険すぎる』
「ご明察です。
ですがハイリスク・ハイリターン。
成功すれば状況を一変させ、
彼らの計画に致命的な遅延を
生じさせることができるでしょう。
そしてうまくいけば
『黄昏の秘文字』の活動拠点に関する、
決定的な情報を掴めるかもしれません」
クロエはアランに、自身が立案した大胆不敵な共同作戦の概要を説明し始めた。それは、ヴァロワールが秘密裏に「黄昏の秘文字」の幹部と接触するであろう現場を特定し、その瞬間を強襲、証拠を押さえるという、極めて危険なものだった。
失敗すれば、クロエもアランも、ただでは済まないだろう。
アランは、クロエの作戦内容を聞き終えると、しばらく沈黙していた。そして深い溜息と共につぶやいた。
『……正気の沙汰とは思えんな。
だが今の我々には、
それくらいのリスクを冒さなければ、
状況を打開できないのもまた事実。
いいだろう、その作戦、乗った。
ただし細部については、
私にもいくつか修正案がある。
君のプランは、
あまりにも君自身への負荷が大きすぎる』
「ご懸念には感謝しますが、
私の計算では、
これが最も成功確率の高い最適解です。
あなたの修正案も参考にさせていただきますが、
最終的な実行判断は、私に委ねていただきたい」
『…分かった。
だが、決して無茶はするな。
君を失うわけにはいかない』
アランのその言葉には、単なる協力者としてではない、どこか個人的な感情が込められているように、クロエには感じられた。
二人の間には、ドライな利害関係を超えた、奇妙な、しかし確かな信頼の絆が、生まれつつあるのかもしれない。
「成功すれば彼らに一泡吹かせ、
我々が反撃に転じるための
大きな足掛かりを得られます。
失敗すれば……まあ、その時はその時です。
効率的に撤退し、
次のプランを考えればいいだけの話ですから」
クロエは、不敵な笑みを浮かべてそう言った。彼女の心は、既に危険な作戦の実行に向けて、静かに燃え始めていた。