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第105話: やっぱり定時で帰る魔法使い

 今日のクロエの最大の目的——それは、ヘキサグラマトン騒動のはるか前から予約し、世界的規模の壮大な残業とその後の地獄のような報告書作成業務を乗り越えてようやくその手に入れることができた、超限定、幻の究極のスイーツだった。


「ああ、ようやく奇跡に出会うことが出来ました」


 クロエをしてそう言わしめるもの。それは「時の結晶パフェ~永遠の一瞬を閉じ込めて~」だった。


 保冷剤と共にテイクアウトし、アジトに戻っていそいそと箱を開ける。

「まず見た目が素晴らしい」


 スプーンを取り、慎重に一口めを口に運ぶ。


「ああ、名前の通りです。

 『永遠の一瞬を閉じ込めて』。


 まさに一口食べただけで

 訪れた至福のあまり

 時間が止まったかのように感じられます。


 ——これはもはや芸術」


 その夜こそ、そのまま夢見心地で眠りについたクロエだったが、次の朝、魔術師団に出勤すると、平穏な日常に忍び寄る新たな「非効率」の種は、次々と芽吹き始めていた。


 それは例えば——カシャン……お気に入りのマグカップを流し台に落としかけてしまった。その瞬間に、クロエは感じてしまう。


「これは不幸の予兆——!」


 デスクに戻るとその予感は早速当たってしまう。


 クロエの元に届いたのは、あのクライン元課長の近辺で頻発する事故の再発防止策のプランニング依頼。


(度重なる不祥事で完全に失脚したのち

 今は王都から遥か遠くの

 雪に覆われた北方にある『国立魔獣素材研究所』の

 所長補佐代理心得という

 ザ・閑職に左遷されていたはずですが——)


 そう。クライン所長補佐代理心得は、最新ヒヤリハット事例では、絶滅危惧魔獣の餌の配合比率を間違えて研究所をパニックに陥れるなど不祥事に事欠かず、詳細な顛末と再発防止策の立案依頼が、なぜか巡り巡ってクロエの元にまで届いたということらしい。


 クロエの脳裏に、クラインのべったりと粘つくヘアスタイルがよぎる。


(——悍ましい)


 サッとその依頼書をデスクの片隅に追いやると、今度はバーンズ議長の「業務効率化委員会」の知らせが顔を出した。


(——今度はバーンズ()()ですか)


 こちらはクライン元課長と違って、以前よりは格段にマシになったが、やはり時折、根本的な部分で迷走しクロエに「効率とは何か」という哲学的な問いを投げかけてくる。


 そんな些事を片付けながら、アランからもたらされたルヴァリア皇国の不穏な情報を思い出していた。


(ルヴァリア皇国——

 かの地で一体、何が起きているというのですか)


 それだけではない。シオン・アークライトが時折姿を現しては置いていく、世界のどこかで起こり始めている新たな「法則の歪み」の兆候。


 さらにその背後に蠢く「ウロボロス」と呼ばれるカルト組織の噂。


(太古の時代から世界の裏で暗躍し

 星の生命エネルギーそのものを喰らう——

 そんなことが「都市伝説」のように語られていますが

 実態は不明……とされています)


 いずれにしてもあのシオンが目を付けたのだ。極めて危険なことは間違いない。が、クロエの知的好奇心を不本意ながら刺激する情報でもあった。


「私としたことが

 こんなことに気を取られるなど——」


 などと思っていると、シオンは必ずフラッとやってきては、楽しげに、そしてどこか挑戦的に告げる。


「やれやれ。

 この世界という『書物』は

 どうやら君が読み終える前に

 次々と新しくて、より小難しい章が

 追加されていくようだね。


 クロエ。

 君の『定時退社』という名の平穏な日常は

 もはや風前の灯火だ。


 だがそれもまた

 君という『イレギュラー』が生み出す

 新たな物語の始まりなのかもしれないね」


 しかしクロエも慣れたもので。


「どんな困難な残業もどんな世界の危機も

 どんな非効率な上司や同僚も

 アフターファイブのスイーツタイムから見れば

 些末な隠し味のようなもの。


 幸福に満ちた日常と

 私の完璧なアフターファイブを守るためなら

 何度でも立ち向かい

 必ずや勝利を掴み取る。

 ——それだけのことです」


 クロエはいつものように静かに、確固たる決意を込めて呟いた。


「さすがだよ、クロエ。

 ——と、いいのかい? それ」


 その瞬間、クロエの魔導端末にアランから緊急度の極めて高い秘匿通信が入った。


(——!)


『クロエ、大変だ。

 ルヴァリア皇国でついに

 『ウロボロス』が動き出した。


 世界各地の龍脈エネルギーを強制的に集約し

 星の生命そのものを脅かす

 何らかの儀式を開始した模様。


 またしてもカルドニア王国だけの問題ではない。

 世界全体の危機だ。


 ウロボロスの計画を阻止できる可能性があるのは

 恐らく王国最強の魔法使いである、君だけだ』


 クロエはオフィスの天井を一瞬だけ仰ぎ見て、深いため息をついた。


「ああ——」


 翠色の瞳には、決して尽きることのない『この世界の理不尽』に対するプロフェッショナルとしての怒り、そしてふと思い浮かんだ『仲間』への絶対的な信頼が宿っていた。


「……どうやら早くも

 私の完璧なアフターファイブと

 世界の平穏を守るための戦いの火蓋が

 切られたようですね——。


 本当にこればっかりは、何度でも

 懲りずに新しいステージへと進むようです。


 ですが……

 どんな非効率な未来が待ち受けていようと

 どんな強大な敵が現れようと


 私の十七時のチャイムは誰にも

 そして何者にも絶対に止めさせません!」


「クロエ。

 ひとたび戦いが始まれば

 徹夜続きじゃないか——」


「シオンさん。水を差さないで結構です」


「ふふ。そういう所、嫌いじゃないよ」


「ひとまず、今日のところは

 景気づけにスイーツタイムです。

 定時で帰れる日は、定時で帰るに限ります!」


 こうして、新たな世界の危機に対する揺るぎない決意とほんの少しの期待を胸に、クロエは夕暮れの街へ颯爽と歩き出すのだった。

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