第102話: クロエからの贈り物
ヘキサグラマトン事件の公式な調査報告書がまとまり、クロエ・ワークライフとその仲間たちの英雄的行為がカルドニア王国から正式に認められた。
王宮からは改めて叙勲や多額の報奨金、さらには魔術師団内での特別昇進といった破格の待遇が提示された。
しかしクロエはそれらの申し出をいつものように、しかし以前よりも少しだけ丁寧な物腰できっぱりと辞退した。
「詳細な内訳を記載した数百ページに及ぶ請求書は
別途提出済みという認識なのですが……
そこにあります通り
私の働きに対する正当な対価が
私の指定する期日までに
私の指定する方法で支払われれば
それ以上の栄誉や地位は結構です」
「しかしクロエさん……
こう言っちゃあなんですが
我々からの申し出を辞退するとなりますと
失礼だと思う貴族連中——
貴族の方々もいらっしゃると思いますよ?」
「それを何とかしていただくのは
皆さんの業務なのでは……?
それよりも私の貴重なアフターファイブの時間を
恒久的に確保するための具体的な業務効率改善策を
王国全体で講じていただく方が
よほど建設的かと存じます」
「あっ、ええと、あの……で、すねえ……」
あまりにもクロエらしい返答に王宮の使者は呆れながらももはや何も言い返せなかった。
一方でクロエは、クロエなりに今回の事件解決に命がけで貢献したかけがえのない仲間たちに対して、それぞれの貢献度を完璧に査定した上での「報酬」と「評価」を用意していた。
(ふふふ……我ながらこれは良い提案だと思います)
◇
その週末。クロエは仲間たち全員を王都でも最高級と名高いレストラン「ガストロノミー・ステラ」の個室へと招待した。
「皆さん。
本日は私の個人的なプロジェクトの成功を祝う
『打ち上げ』にお集まりいただき
ありがとうございます。
これは皆さんへのささやかな報酬です」
クロエはそう言うと一人一人に丁寧にラッピングされた包みを手渡していった。
「リリィさん。
あなたには今回の作戦におけるMVPとしてこれを」
「——先輩! これは……!」
「ええ。
あなたが長年探し求めていた超稀覯な古代文献
『音なき民の言語体系に関する原初的考察』の
現存する唯一の初版本です。
もちろん禁書庫の再編作業中に私が『偶然発見』し
正規の……しかし極めて複雑怪奇な手続きを経て
合法的に入手したものです」
「先輩……ぃ!」
リリィは夢にまで見た古文書を手に、感極まって言葉も出ない。
「それとこちらが
あなた専用に私がカスタマイズした
最新型の超高性能情報解析用魔導端末
『リリィ・カスタム』です。
これであなたの禁書庫での業務効率も
飛躍的に向上するでしょう。
……もちろんアフターサポートと
OSのアップデートは有料となりますが」
「えっと、ええ——ありがとうございます」
リリィは、こうして感極まった直後に現実に高速で戻ってきた。
「バーンズさん。
あなたの見事な防御能力に敬意を表しこれを」
「なんだ…あ?」
「あなたの魔力特性と
今後の成長ポテンシャルを考慮して
私が特別に設計・チューニングした
新型の魔導戦闘グローブ
『イグニス・ガーディアン』です。
防御力と攻撃力、そして何よりも
魔力効率が理論上は現行のあなたの能力の
150%に向上します。
……ただし一定時間以上の連続使用で
強制的に冷却期間に入る
『定時退社モード』が
搭載されていますのでその点はご留意ください」
「おぉん?
よくわかんねえけど、なんかすげえんだろ?
ありがとな!」
バリバリと包みを乱暴に開けながらも、バーンズは自身の拳に吸い付くようにフィットする美しいグローブを見て子供のように目を輝かせている。
「ふぉお! すげえぞこれ!」
「それからあなたが密かにショーウィンドウの前で
毎日涎を垂らしながら眺めていた
伝説の鍛冶職人が作ったという
一点物のバトルアックス。
——の、完璧なレプリカです。
もっとも素材は私が開発した
最新の魔導合金ですので
切れ味と耐久性は本物以上ですが」
「マジか! サンキュ!
お前、これを商売にしたほうが
“効率的”なんじゃないのか?」
「いいのです」
バーンズは、グローブを着けたままバトルアックスをその場でブンブン振り回している。「危ないですって」とリリィが至極真っ当に諫めている。クロエはもちろん「まあ、こうなるでしょう」という面持ちだ。
「さてアランさん。
あなたの冷静な判断力と情報収集能力がなければ
この作戦は成り立ちませんでした。
あなたには騎士団情報部の
あまりにも非効率な業務を劇的に改善するための
私が開発した最新の情報分析・共有システム
『アルゴス・アイ』の無償トライアル権
一年分を贈呈します。
……もちろんその後の年間利用ライセンス料は
きっちりと騎士団の正規予算に対して
請求させていただきます」
「これは——すごいじゃないか!
すごいぞ、クロエ」
アランはデモ画面を一瞥しただけで、あまりにも革新的な機能に驚きを隠せない。
「それとこれは個人的な贈り物です。
あなたが好むと私が勝手に判断した
極めて入手困難な秘境の蒸留所で作られたという
シングルモルトウィスキーの古酒です。
情報収集の過程で『偶然』入手したものですが
お口に合えば幸いです」
「おいおいクロエ。
これはもうほぼ現存していないと言われている
『飛竜の涙』じゃないか……
これもすごいぞ。
いやむしろこれがすごい」
「例には及びませんよ。
……さて、次はあなたです。シオンさん」
クロエは一瞬だけ考える素振りを見せた。
「なんだい? クロエ」
「あなたの予測不能な行動と意図の読めない情報提供は
私の計算を何度も狂わせましたが
結果的に作戦成功に貢献したこともまた事実です。
……報酬として私が最近ようやく解読に成功した
異次元の超古代文明が遺したとされる
解読不可能と言われた究極の暗号パズル
『コズミック・キューブ』の完璧な解答データ」
「……解答は遠慮しとくよ」
「——の、ほんの僅かなヒントと
もし私が別の『世界の非効率な謎を探求する冒険』に
出かけることがあれば
その際に優先的に同行できる権利を与えます」
「……その権利も遠慮しとくよ」
「ただし経費は全てあなた持ちで
かつ私の定時退社を妨害しないことが絶対条件です」
「——ますます遠慮しとくよ」
そう言いながらも、シオンは心の底から喜んでいる様子だ。やはり何ともクロエらしい「報酬」は、シオンの胸のど真ん中を貫いたようである。
「ふふふ……
君との次の冒険が今から待ちきれないなあ」
仲間たちは皆、クロエからのどこかズレてはいるが、それぞれの特性と貢献を的確に評価した心のこもった「報酬」に呆れながらも、心からの感謝と喜びの表情を浮かべていた。
「まあ、これでこそクロエだぜ!」
「——ああ」
その夜は久しぶりに全員で最高の料理と美酒を囲んで他愛のない会話と穏やかな時間を楽しんだ。
「やはりどんな困難な業務もどんな世界の危機も
この一口の至福と皆さんと過ごす、この——
ある意味では非効率でありながら
何物にも代えがたい心地よい時間のために
あるのかもしれませんね」
クロエはそう呟き、僅かに酩酊してワインを口に運んだ。
そして彼女はこの豪華なディナーの費用の全てが王国への膨大な請求書の中の「福利厚生費及びチームビルディング研修費」という項目に、きっちりと、そして巧妙に上乗せされていることを仲間たちにはもちろん黙っていた。
「な、なんだ、この高額な研修費用は!?」
後日、王宮が騒然となったのは言うまでもない。