第五話 嘘と諍い
僕が目を開けると、視界に映るのは真っ白な天井だった。
横を見ると、窓の隙間から入る風に揺られる白いカーテン。
おそらく、保健室であろう。
僕は授業の途中で意識を失い、保健室に運ばれていたのだ。
しばらくすると、保健室の扉がガラッと開き、誰かが入ってくる。
僕はベッドから起き上がり、扉のほうを見ると慌てた様子の綾間がいた。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。ところで、いまって何限目かな?」
「いま授業が終わったところだよ」
「ほぼ一日寝てたのか……」
「誰かが倒れたって聞いていたけど、それが洸太くんだったからびっくりしたよ」
「ごめん、迷惑かけて」
「それは、私かも。無理にお仕掛けたり、学校に来させたりしてストレスを与えていたのかもしれないから」
「それは違うよ。嫌だなんて思ってないよ」
「そうならいいけど……。無理はしないでね」
「けど、どうやって僕はここに」
「石黒くんが抱えて、ここまで運んでくれたらしいよ」
「……。そうなんだ」
「優しい人で良かったね」
「そうだね。会ったら感謝を伝えなきゃ」
僕たちが話していると、また一人保健室に入ってくる。
保健室に入ってきたのは、ちょうど噂をしていた石黒だった。
石黒は、すこし驚いた様子でこちらを見てくる。
「ごめん、お邪魔だった?」
「あっいや、大丈夫だよ」
「洸太くんの知り合い?」
「この人が石黒くんだよ」
「そうなの!? はじめまして〜、綾間です」
「はじめまして、石黒です」
「洸太くんから話は聞いてるよ」
「ちょ、ちょっと綾間さん……」
「悪い噂とか? 笑」
「いいほうだよ」
「ふたりともやめてよ……」
「体調はどう?」
「問題ないよ。あっ、そうだ。ここまで運んでくれたみたいで、どうもありがとう」
「いやいや。けど、急に机ごと倒れるからびっくりしたよ」
「そうだったんだ。迷惑かけてごめん」
「大丈夫だよ。じゃ、問題なさそうだし俺は、そろそろ行こうかな」
「もう行っちゃうの? 二人で話すなら私が出るよ?」
「大丈夫。ちょっと、やらなきゃいけないこともあるし」
「そう。じゃ、また学校でね」
石黒は僕の様子を見にきて、すこしだけ話しをすると保健室をあとにする。
急ぎの用事だったのか、なんだか慌てた様子だった。
その後は、僕たちも保健室を出て、学校をあとにする。
靴を履き替えるため、下駄箱を開けると再び紙くずが入っていた。
綾間に動揺している様子を見せないようにするため、ここでは平常心を保つ。
僕は急いでポケットにしまい、綾間と一緒に学校をあとにした。
僕は歩いている最中に、今日の会議をするのかを綾間に聞く。
「今日も、このまま会議場所に行く?」
「なにバカなこと言ってるの? 今日は家に帰って休みなさい」
「じゃ、今日は解散か」
「家まで送っていくわよ」
「いや、そこまでしなくても」
「途中で倒れたりでもしたら大変でしょ」
「……。あんまり考えたくないけど」
僕は綾間に自宅まで送ってもらうことになり、途中で倒れることなく帰宅することができた。
だが、内心は情けない気持ちでいっぱいになる。
普通は男子がするようなことを女子にさせてしまっているからだ。
(恥ずかしいな……)
(女子に送ってもらうなんて)
帰宅すると、ポケットにしまっていた紙くずを取り出し、見てみることにした。
内容は前回と同じだが、一文だけ足されている。
(次も綾間さんと一緒にいるのを見たら二人とも容赦しないよ)
紙には脅しのような文言が書かれていた。
僕は不安と恐怖が重なり、紙くずを急いでゴミ箱に投げ捨てる。
(なんで、こんなことに……)
(やっぱり、綾間さんとは距離を置いたほうが……)
一緒にいたら自分も含め、綾間の身になにかが起きるかもしれない。
綾間のためにも離れるべきだと思ってしまう。
なんで、僕がこんな目に合わなきゃいけないんだと考えてしまった。
考えたら考えた分だけ、心に傷がついていく。
僕は朝日が登るまで、ひたすら考えてしまっていた。
外が明るくなっても、どうすれば正解なのかわからなかった。
その後、いつものように朝ご飯を食べていると家のチャイムが鳴る。
扉を開けると、綾間が笑顔で立っていた。
いつもなら綾間の笑顔を見て嬉しくなるが、その笑顔を無くしてしまう可能性を考えると嬉しい気持ちにはならない。
「おはよう。体調どう?」
「……。えっと」
「体調悪い?」
「そうなんだ。今日は休もうかと」
僕は、初めて綾間に嘘をついた。
嘘をつかないと、綾間に迷惑をかけてしまう可能性があるからだ。
だが、ずっと嘘をついて綾間を避けても、綾間の心に傷をつけてしまう可能性もあるのは間違いない。
「そっか。ごめんね、体調悪いのに起こしちゃって」
「大丈夫だよ」
「今日は、ゆっくり休んでね」
「ありがとう。綾間さんも気をつけて行ってね」
「じゃ、また顔出すね」
綾間は僕に向かって手を振ると、そのまま学校に向かった。
僕は綾間を見送ると家の中に戻り、ご飯を食べながら再び考える。
(綾間さんに、近づかなければ学校に行くのは問題ないってことなのかな)
(けど、永遠と嘘をついて綾間さんと距離を置くのも……)
(学校以外で会えばバレないのかな)
(ただ、見られたりして、またなにかされたら……)
僕は、しばらく考えたが、まとまった答えは出せなかった。
時計を見ると時間は午後五時を回っており、すでに学校は終わっている時間だ。
本来なら会議場所に向かっているのだが、今回は体調が悪いていなので家にいることにする。
綾間も今日は、そのまま帰宅しているに違いない。
その後、綾間が家に来たりすることもなく、その日を終えた。
翌朝、いつものように朝ご飯を食べていると家のチャイムが鳴る。
扉を開けると、綾間が心配そうな顔をして立っていた。
「おはよう。体調は大丈夫そう?」
「……。おはよう」
(どうしよう……)
「ちょっと、まだ体調悪いから行けるタイミングで行こうかと」
「無理しないでね」
「……。うん」
「じゃ、来れたら来てね」
「わかった」
とりあえず、午後から学校に行ってみようかと考えた。
綾間と一緒に登校すれば、また嫌がらせが起きるに違いない。
また、しばらく綾間と一緒に登校するのを控えようとも考えた。
お昼を迎えると、僕は準備をして学校に向かう。
普段、綾間と一緒に登校しているため、一人で学校に向かうのは変な感じだった。
ちょうど、お昼休みのときに来たため、教室内は騒がしい。
自分の席に向かうと、石黒がこちらに気づき、驚いた顔で僕を見ていた。
「あれ、もう体調は大丈夫なのか?」
「あぁ、いまは平気だよ」
「ゆっくり休んでおけばいいのに」
「まぁ、そういうわけにもいかないと思って」
僕は、昨日から残っている紙くずを処理するため、机の中を見る。
たが、驚くことに机の中は綺麗に片付けられていた。
昨日の紙くずはなく、なにもない状態である。
(なんで、なにもないんだ……)
(誰かが処理してくれたのか)
不思議に思って固まってしまったが、隣に石黒がいるため、なにごともないように振る舞う。
その後、学校にいるときは、なるべく教室から出ないようにした。
綾間と遭遇して接していれば、大変なことになるかもしれない。
また、綾間が見えたときは姿を隠して、いないふりをした。
変な行動ばかりする僕を隣の石黒は不思議そうに見ている。
「どうしたんだ? やっぱり体調悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ。気にせず……」
「気にするだろ……」
僕は学校が終わると、すぐさま教室を離れた。
綾間が教室に来るかもしれないと思い、石黒に挨拶を済ませると急いで学校をあとにした。
一足先に学校を離れ、会議場所に向かってみる。
正直、綾間が来るかはわからないが待ってみることにした。
(ここまで来れば大丈夫だろう……)
(けど、ここでも誰かに見られたら、ほんとうにお終いだ)
僕は椅子に座りながら待っていると、後ろから誰かに声をかけられる。
びっくりして後ろを見ると、眉間にしわを寄せた綾間が立っていた。
すこし怒っているような表情にも見える。
「ちょっと!」
「は、はい……」
「来てるなら言いなさいよね」
「……。すいません」
「てっきり、今日は来てないと思ってたから」
「実は、午後から来たんだ」
「石黒くんに聞いたら、先に帰ったって言ってたから」
「ごめん、言い忘れてて……」
「まぁ、ここにいるんだろうなとは思ったけど」
「そっちの教室に行くのもって思ってたから」
「報告しなさいよ」
「はい……」
「体調は、もう平気なの?」
「まぁ、なんとか」
「それならいいけど」
「人生会議の前に、ちょっと相談があって」
「相談?」
「綾間さんは、毎日家に来てくれてるけど大変だと思うんだ。それに、僕はもう一人でも行けるから無理して来なくても……と思って」
「もしかして、迷惑だった?」
「そうじゃないんだ。無理しなくてもいいんじゃないかなと思って」
「私がそうしたくてやってたわけで、無理してやってたわけじゃ……」
「なんか、ごめん」
「嫌ならハッキリ言っていいんだよ?」
「ほんとに、そうじゃないんだ。ごめん、なんて言えばいいか」
「私こそ、ごめんね。途中から迷惑になってたって気が付かなくて……」
「……。そうじゃなくて」
「友達もできたわけだし、この会議ももういらないよね」
「……。えっ」
「明日からは、洸太くんの言う通りにするから」
綾間は、急いで荷物を持つと悲しげな表情で、その場をあとにする。
予想していた展開ではなく、結果として最悪な事態になってしまった。
僕は、なにもすることができず、その場に座ったまま頭を抱える。
「僕のせいだ……」
「喧嘩して離れるなんて、望んでなかったのに」
「それに、友達もできたって……」
(友達ってなんだ。話しをしたから友達なのか、名前を聞けたら友達なのか)
(友達の定義っていったい……)
「僕には人生会議が必要なんだ。まだまだ必要なんだ……」
僕は、事情を説明するべきだったのかもしれないと考え、あとから後悔した。
説明していれば、すこしは違う展開だったかもしれない。
ため息ばかり出てしまい、次第に顔の表情が暗くなる。
急にドサッと音がして、何事かと思い地面を見るとバッグを落としていた。
僕は急いで、飛び出た教科書などを片付ける。
片付けていると綾間から貰った本も地面に転がっていた。
本を手に取ると、この場で本を読んだときを思い出す。
僕は本を開き、以前に読んだ箇所を再び読み返した。
(悩みは一人で抱え込んではいけない……人間関係を円滑にするには、友人に相談してアドバイスをもらうことも大切になる)
(友人関係で生じるさまざまな問題は、誰かに導いてもらわなければ対処しきれない)
「……。綾間さんに相談するべきだったのかな」
「一人で抱え込んでも解決にはならないだろうし」
結局、綾間を傷つけただけになってしまった。
僕の伝え方が悪く、そしてこれまでの偽りがこのようなことを招いたと実感する。
こんな結果なら、僕だけが傷つけば良かったと思ってしまう。
僕は後悔しながら、自宅までの暗い夜道を一人で歩いた。
翌朝、いつもなら朝ご飯を食べている最中に家のチャイムがなる。
しかし、今日はチャイムが鳴ることはなく、そのまま一人で家を出た。
登校中は、昨日のことを考えながら歩く。
どういう顔で会って、どう説明するかだけを考えていた。
だが、口をきいてくれない可能性もある。
考えれば考えるほど、不安な気持ちが増していった。
学校に着き、恐る恐る下駄箱を開ける。
すると、再び靴の中に紙くずが入っているのを確認する。
紙を開くと、書かれていたことに驚いた。
(昨日も会ってただろ、次に学校に来たときは容赦しないからな)
(……。昨日は、あの会議場所でしか会ってないのに)
(僕たちの後をついてきてたのか……)
僕は、会議場所までついてきていたことを知ると、非常に怖くなった。
教室に入ると、僕を見てくる人もいれば、関係なしに話をしている人たちで分かれる。
自分の席に着くと、石黒に声をかけられた。
「体調は、もう平気か?」
「あぁ、すっかり元気だよ」
「今日も綾間さんと?」
「いや、昨日から一人で来てるよ」
「えぇ!? なんでだよ」
「なんでって……。一人で来れるし」
「どうりで、いつも騒いでいる男子が静かなわけだ」
「騒いでるのは、僕のせいだったんだ」
「喧嘩でもしたのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
(実際は合ってるけど……)
「なんだ 笑 もし、喧嘩でもしたら相談に乗るぞ」
「あぁ、ありがとう」
(相談か……。いっそ、あの件も相談してみようかな)
二人で話していると、途中で先生が来てしまい話は途中で終わる。
授業がはじまるが綾間のことが気になり、授業には集中できなかった。
昼休みには廊下に出たり、綾間のクラスを通ったりしてみる。
綾間は友達と楽しそうに話をしていたりと、僕が入り込む余地はなかった。
午後の授業が終わると、僕は帰る支度をする。
石黒は予定があったみたいで、挨拶をすると急いで帰っていった。
いつもみたいに教室に綾間が来ることもなく、一人で学校をあとにする。
結局、綾間と話す機会はなく、校内で会うことはなかった。
僕は念のため、いつもの会議場所に向かう。
綾間が来る可能性は低いと思うが、とりあえず待ってみることにする。
しかし、しばらく待っても綾間が会議場所に来ることはなかった。