09)確定するカタストロフ
莫大な探求心と微量の矜持が、自力で深奥を暴きたいという本懐を未だ囁き続けている。だが、悪辣なまでの困憊が全身を弛緩させ、思考の糸を千々に裂く。残酷な現実が、僕の傲慢な望みを容赦なく押し潰した。状況にそぐわない自尊心と、真相への渇望が鬩ぎ合い、屈辱による隔靴搔痒としたもどかしさに表情を歪ませる。僕は、この場で唯一真実の片鱗を握る識者へ縋りつく決断を、ついに下した。覚悟を決め、疑問の奔流を擲つべく喉から声を絞り出す。生存率を向上させるための活路を求めるその震えは、敗北を喫した羞恥と、窮地からの救済を懇願する弱音を孕んでいた。
「ああ、もう結構です! 恥を忍んでお聞きしますよ。結局、この場所は何を【禁忌】として閉じ込めているんですか? 外は空虚な白砂ばかりだというのに、空気だけは誰かの視線で濁っているようで反吐が出そうだ。……僕の頭が可笑しくなっていないという保証があるなら、今のこの意味不明な状況にせめて名前くらい付けてくださいよ!」
言った。ついに言ってやった。赤恥に塗れる中、妙な戦慄が胸を満たす。それはまさに、ちっぽけな矜持を踏み躙られながら、目的を達した者のみが享受し得る、不協和音の響く歪んだ達成感であった。
堰を切ったように言葉の矢を隈なく連射する。鋭利な問いの俄雨に晒された男は、少々面食らったように、柘榴石が煌めく一対の玉眼を瞬かせた。しかし、男の瞳はやがて諦観を湛えた遠い光を宿した。淡泊でありつつ冷厳さを秘めた真紅の眼差しが、こちらを凝然と見据える。——否、違う。彼の視線が真に捉えていたのは、僕ではない。その視線は僕を通り越し、背後の閉ざされた窓帷の奥を深く射抜いていた。
「……何だ。窓の向こう側にある【碌でもない真実】を拝んじまったのか?」
男は身を乗り出すことはせず、静かに座したままであった。けれどその佇まいは、正確な返答を強いる重圧を纏い、冷酷に僕を問い質してくる。
「窓の外、ですか? すみません、僕にとっては注釈に値しない些事だと思って、あえて説明の目録から除外していました。……僕が無益だと断じたその空白に、何か重大な意味が隠されていたんですか?」
こちらの返答を耳にした男は、重厚な嘆息を漏らすと、緩速に瞼を閉じて天蓋を仰いだ。顔を覆う指の隙間から、わずかに横顔が覗く。そこに浮かぶのは、隠しようのない軽蔑だ。「何と愚劣な」と、僕の所業を激しく糾弾しているような面立ちだった。
「侵入者なんて大層な肩書きを付けてやりたいが、実態はまだママのミルクが恋しいクソガキだ。黙って消えてりゃ見逃してやる慈悲くらいはあったんだがな。今となっちゃ完全な手遅れだ。監視官のスポットライトは既にお前を射抜いてる。せっかくの脱出路をドブに捨てて死に急ぐとは。地獄の最前列がお似合いだ、この救えない大馬鹿野郎が」
男の口元から零れ落ちる言葉は、深い憐憫の色を湛えていた。それは断罪でなく、過酷な運命に翻弄される者への追悼の念に近い。かすかな溜息を伴う声には、今までの彼からは想像もつかない、細やかな慈悲が含まれていた。
僕は半ば口を開いたまま、男の言辞を咀嚼できずに瞬きを繰り返した。彼のその言葉は、僕の稚拙な思考の枠組みを遥かに超越していた。侵入者、監視の目、助かる道——それらが点在する情報が織り成す意味の連鎖は一向に繋がらない。脳裏が事象の連結を試みようと空転し続けるものの、総ては徒労に帰す。動揺に打ち震える僕は、頼りなく上擦った声で反問を絞り出すのが精一杯だった。
「……は? 何を言ってるんですか?」
咽頭で閊えていた言葉がようやく捻出されたが、それは非情にも空虚な闇の中へと吸い込まれていった。紅蓮の瞳を覆う瞼が、厳粛な幕が上がるかのように緩徐に持ち上がった。白百合の睫毛に縁取られた鋭利な眼差しは、僕が抱える困惑と不審を寸分違わず射抜いている。一点の揺らぎもないその視線は、彼自身の言葉が瞞しなどではなく、厳然たる真実であることを言外に告げていた。
「第一級接触禁忌種の創造主様。聞こえはいいが、その実態は全能神を気取ったビビりさ。土を捏ねたまではいいものの、仕上がった傑作の顔色を伺ってガタガタ震えながら鍵付きの部屋に捩じ込むしか能がねえ。自分の影に怯えて夜通し泣き喚くガキと変わらねえってこった。創造主ってのは、いつからこんなに臆病者の代名詞になったんだろうな」
僕から窓かけの彼方へと視線を移す男の瞳には、興醒めした怨色が宿っていた。自らの手で生み出した脅威に怯える創造主——人間共への痛烈な皮肉。己が蒔いた種に戦くその愚昧な様を冷ややかに見下ろす男の目は、まるで彼自身が【創造された側】に寄り添っているかのようであった。
「要するにここは、さっき説明した第一級接触禁忌種って化け物共を、厳重かつ効率的に飼い殺すための最高級サロンって訳さ。窓の外のホワイトアウトした景色を見な。そうさ、あれこそ一望監視施設の正体だ。ハーフミラーとモニターで固めた、神様気取りの悪趣味野郎が集る覗き部屋だよ。構造が構造なだけに並の知能じゃ一生気づかねえが、ここまで普遍的な白さは偶然じゃあない。監視員共が獲物を観察するため、最もスマートに誂えた人工的色彩ってカラクリだ」
おもむろにソファを立ち、窓際のベッドへと歩み寄る男。彼は蠟色に染まったダマスク柄のカーテンを一挙に引き開け、何も映さぬ窓硝子へそっと掌を預ける。そして続け様に、真っ白いエリアの存在について静かに説き始めるのだった。
男の背後には、相反する二つの色が滲んでいた。創造物に怯える人間への哀憐と、その愚かさを根底から嫌忌する軽蔑。傲慢な創造主を見下ろす【被造物】の優越を物語るような佇まいに、僕が言いようのない違和感を覚えたのは言うまでもない。
「それにしても大したもんだ。あっちのクソッタレ共が送る、あの背中が痒くなるような視線をよくもまあ拾い上げたもんだぜ。どこのどいつがどの方角から自分を品定めしてるかなんてのは、地獄の最前列にでも座らなきゃ身に付かない特技だ。反吐が出るほど上等な勘だな」
無意識下で監視官の視線を察知していようとは、露ほども思わなかった。事実を告げたことが果たして失策であったか。一抹の懸念を覚えつつも、僕は真相を掬い取るべく彼の言葉に神経を研ぎ澄ませた。
男は小さく言葉を継いだ。「奴らがどんなに手の込んだ偽装を決め込もうが、こっちの視界は一点の曇りなく明瞭さ。端から丸見えなんだよ。逆探知されてることに気づかないのは、どこのどいつだろうな?」と。The watcher is also watched——その言葉を体現するような男の胡乱な嗤笑に、僕は拭い去れない奇怪な引っかかりを覚えた。これは、ただ単に隔離された者の吐く言葉ではない。彼は監視を容認しているのではなく、暗に「監視者のことをもこちらは常に見ている」と告げているのだ。それは、見守る者と見守られる者の立場が消失する、相互監視のパラドックスを提示しているも同然である。
男の言葉の節々に覗く、人間への強烈な嫌悪も見過ごせない。彼は、第一級接触禁忌種を隔離し制御せんとする者達を、哀れみ、嘲り、蔑んでいた。それは対象への擁護などでなく、彼自身が【人の手により創造された存在】であるからこそ抱かざるを得ない根源的な憎悪であった。
加えて、彼は自ら名乗りを上げてはいないが、紛れもなく【小説の所有者】でもあった。この【扇状の造りをした室内】が彼の私室であるならば——そこまで思考を巡らせた瞬間、推測は揺るぎない確信へと昇華した。
「も、もしかして……。第一級接触禁忌種って、貴方ですか——?」
「正解だ、お利口さん。少しばかり時間はかかったが、いい推理だった。……そう、その通りだ。ここで厳重に鍵をかけられ、世界から爪弾きにされてる第一級接触禁忌種の正体は——。ああ、今お前の目の前にいる、この俺のことさ」
「……どうして? どうして、今になって本当のことを話したんですか?」
「何故真実を答えるか、か。哲学的な問いだが、回答は至極単純だ。そんなクソッタレな秘密、もう隠しとく義理がねえんだよ。情報のバーゲンセールだ、好きなだけ持ってけよ。どうせ全部手遅れなんだからな」
真実は、あまりに唐突だった。何故、それほど無造作に。何故、これほど容易く。彼は衝撃的事実を明け透けにしたのだろうか。物憂げな瞳の奥で彼が何を思索しているかなど、僕には知る由もなかった。
しかし不思議でならない。白子という様相を除けば、彼は至極真っ当な人間のように目に映る。何故、これほどまでに厳重な隔離が必要なのか。稀有な存在とはいえ、そこまでの危険性が彼にあるとは到底思えなかった。先刻、蛇の如く睨め回した眼光と、その奥に秘めた攻撃性。それが危険性の根拠だという推測は、十分に成立し得る。それでも、これほどの隔離を強いるのはあまりに針小棒大ではないだろうか。
「け、けど……!! 僕みたいな路傍の石に等しい侵入を許しておきながら、警笛一つ鳴らないなんて、所詮はその程度の脆弱な設備だってことでしょ!? 監視官の目に留まる価値さえない僕が、こうして容易く潜り込めている事実こそが、この場所が目も当てられない笊である何よりの証明じゃないですか!!」
淀んだ空気を振り払うべく、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。耳の奥で、喧しくさんざめく予兆が響いていた。この場を支配する不吉な閉塞感。それは、今にも形を変えて襲いかかってくるかのように不穏だった。
「世界最高峰の鉄壁と謳われるシステムを、こともあろうに穴だらけの襤褸雑巾扱いとは。お前のその傲慢な言い種は、税金泥棒の監視官共に言わせりゃ、首を吊りたくなるような特大の侮辱だぜ。いいか? 警報器が黙りこくってるのは、システムが死んでるからじゃない。ベルを鳴らす間もなく俺とお前がこうして面を突き合わせちまったからだ。あそこでおねんねしてるお役所連中は、檻の中のお宝が不埒な侵入者を自ら血祭りに上げるのを高みの見物してるって訳さ。要は鳴らす手間が省けただけだ。安心しな、機械に不具合はねえよ」
男は緩慢な動作でレッグホルスターから拳銃を抜き放ち、カウチソファに座したままの僕へ照星を合わせた。銃身の延長線上に、僕の命が固定される。安全装置は既に解かれた。いつでも撃てる状態にある。銃口の深淵が、これほどまでに冥暗を湛えていようとは知りたくもなかった。剣呑な気配の奥に身を潜めていたのは、やはり彼の内にある真性の魔物性だったのだ。
一望監視施設——そう称されるからには、囚人収監所と同然の不自由さを想像していた。だが現実は、これほどまでに生活の潤いに満ちた自由を許容している。拘束も抑圧もない。彼らには縛り付けるほどの脅威など存在しないのではないか。己に都合の良い生温い推測を抱かざるを得なかった。
実際は違った。豹変した彼の瞳は冷徹を極め、その口元には嘲笑が刻まれている。地獄の門が開く様を暗示するかのように、その相貌は惨憺たる変貌を遂げていた。「誰だこれは」と認識を疑うほどに、先刻まで言葉を交わしていた男の面影は微塵も残っていない。
「一応再確認させてくれ。俺はお前に一連の経緯を吐き出せって要求したよな? それと、親切にも尻の穴から逆算して再度話し直せという注文を付け加えた訳だ。賢明なお前なら、この手順についての記憶がまだ脳味噌に残ってるんじゃねえか?」
「その話なら、覚えてますよ……。けれど、あの論理は僕の証言が真実であるという仮説の上に構築されたはずです。僕が記憶喪失という喜劇的な欠陥を抱えていることを前提に、僕達は一時的な平和条約を締結したはずですよね?」
「一度片の付いた案件を何度も穿り返すのは、俺の美学じゃ三流のすることだ。だが今の状況は、そんな潔癖さを許しちゃくれないらしい。いいか? 質問ってのはな、何も言葉のキャッチボールだけで成立するもんじゃない。例えばそう——」
衝撃。右頬が弾け、視界が揺らぐ。拳銃を握った男の左手で殴り飛ばされ、僕はカウチソファへと深く沈み込んだ。倒れ伏した肉体の重みを受けて、座面のスプリングが小さく、悲鳴のような音を立てて軋んだ。
「な、に……?」
痛い。未知の衝撃。未経験の烈痛に、顔を顰める余裕さえも剥奪される。前触れもなく振るわれた実力行使。口内に広がる鈍痛と、蔓延する血の匂い。しかし、戸惑いの正体はそれらではない。生じた事態の本質を、理性が何一つ捉え切れていないのだ。
ソファに俯したまま、僕は手の甲に落ちる赤い雫を凝視していた。点々と数を増す斑紋は、裂けた口腔から滴る僕自身の血液だ。たった一撃でこれほどの出血を招くのか。想定を超えた出血量に、僕はただ驚愕する他なかった。腫脹しているであろう右頬を撫でれば、指先は異様な高熱を帯びた皮膚へと触れる。じんじんと拍動を刻む熱に、名状し難い不安と焦燥が迸った。恐る恐る口内の粘膜に舌を這わせると、ぱっくりと裂けた損傷部が露わになる。傷口に触れたその刹那、鋭い電撃のような痛みが脳髄を駆け抜けた。
数秒を経てようやく頬の感覚が戻り、なるほど銃床で殴打されたのか、と場違いに冷静な分析を下した頃。今度は背後を占拠する圧倒的な重量感を知覚した。背に乗る男を恐る恐る振り返り絶句する。そこにあるのは、肉食獣のごとく獲物を射抜く真紅の炯眼。鋭い一閃は、言葉を失う僕を繁々と見下ろしている。瞬ぐことさえも忘れた双眸が三日月状に歪むのを目にした瞬間、僕の肉体は防衛本能のままひたすら竦み上がった。
「——物理的な説得、つまり【暴力】ってのも立派な言語の一種なのさ」




