File 04:背理に抗う天秤(08)-当否-
三件の犯行現場から杏病原体の試薬反応が検出されたことを踏まえ、本件が侵蝕者により引き起こされている犯罪であることが明確になる中。ここ数日で被害に遭った深山家からそう遠からぬ場所に、虐待の噂で持ち切りの家庭があるとの情報を、僕達第一部隊は入手した。逸早く情報をキャッチした矢先で、レンさんは一刻も早くこの対象者に近付き、見張り兼護衛を立てることで犯行を未然に防ぐという算段を立てていた。そのためにはまず犯行対象になり得るであろう一家の協力が欠かせない。助力を仰ぐためにも、対象一家への接触は必要最低限の要項であろう。
三渡柊司とその一家、それが今回の接触対象であった。
深山家の一件から、近隣住民への聞き込み調査が今回の事件捜査において大いなる援助になるという、ことの重大性を再認識した僕達第一部隊は、捜査に着手し始めた時と同様、現場付近の近隣住民に三渡家に纏わる事情聴取も行った。
そこで返ってくるのは、「一家の大黒柱たる父親は、社会的に地位のある人間だが、家庭内暴力を振るう人格破綻者」だの「父親にはさしたる地位も名誉も持たない田舎臭い地域の住民達を見下すような嫌らしさがあった」だのと、止め処ない悪評が溢れ返るばかり。
中には「あの家の娘を見たことがない」という情報も数多に渡って聞こえてくるが、年齢で言えば14歳になる一人娘が通学している気配もなく、通学先の中学校も心配の声を上げていると言うのは、やはり三渡家に暗雲が立ち込めているように思えた。
一通りの情報収集を終えた後、僕達四人は到頭三渡家に突撃した。夜の帳が下り、空は文目も分かぬほどの射干玉の闇に浸かっている。時刻として午後十時。訪問するには聊か失礼な時間帯ではあるものの、最後の犯行から三日経過している現状として、犯行が四~五日以内に連続する点を踏まえれば、事態はそう易々と楽天的に思考している場合ではない状況にあった。すぐにでも警邏を配備し、一家の身の安全を最優先にした護衛体制に入らねばならぬほど、いつ襲撃されても可笑しくはない一刻を争う時分なのだ。
「こんな夜更けに一体何用ですかな?」
当然夜も遅い時間の訪問に対し、傍迷惑そうにインターホンのカメラ越しから顔を覗かせた男は、不機嫌そうな声を上げる。画面に登場した彼は、少しきつめの印象を与えるつり目をしており、オールバックで固めた髪型に、バッチリと高そうなスーツを着熟す、如何にもプライドが高そうな風姿だ。その人物こそ間違いなく【三渡柊司】――彼の男であった。
失礼は重々承知だが、僕達が一連の連続殺人に纏わる事件を追っている軍属の者であること、見渡家に人命が掛かった一大事が迫っていることの二点を真っ先に伝えた。すると、彼もこちらの剣幕に只事ではないと察知したのか、数秒経った後に玄関の扉を開けた。
「次の犯行の標的に我が家が入っているとは、どういうことでしょう?」
彼から疑問が浮上するのも当然だった。玄関口ではそれくらいことを急くように口早く、手っ取り早い説明しかしなかったのだから。一家が生命の危険に曝されている、なんて口上で始まる謁見の要求など、通常ならば断れるはずもなかろう。
しかし厄介だ。今日得た諸情報によれば、犯行対象となるのが虐待などの横行した家庭であることは確かなのだが、それを三渡氏本人に率直に伝える訳にもいかない。それを伝えたところで、三渡氏が「では護衛をお願いします」と快諾すると言うのは、虐待の存在を僕達に明け透けにするも同然であるからだ。そんな自らの家庭の汚点を曝すほど、彼も馬鹿ではないだろう。
僕達全員は同じどん詰まりに行き着き、純粋な質問の回答に考え捲ねた。煮え切らない様子の黒づくめの集団に、痺れを切らしそうになる三渡氏。そんな彼を他所に、廊下の奥から現れた娘らしき少女の存在に気付いた僕達は、一斉に動きを止めた。
食器を洗う時に出る陶器の擦り合う音色、テレビから聞こえる出演者の声、トイレの流水音。それらのざわめきが、一瞬氷の世界に閉ざされたように凍てついて静まり返る。近隣住民にすら影を認知されない少女が実在していたという事実が、正に強調された瞬間である。
「お嬢さん、こんばんは。夜分遅くに騒がしくして大変申し訳ない」
数秒の後、最初に意識を取り戻したレンさんが、奥でこちらをぼーっと眺める少女に声を掛ける。僕と彼の部下二人も次いで意識を取り戻すが、彼女の身窄らしい出で立ちに思わず僕の眉の根は寄った。遠目から見ても分かるほどの襤褸衣から覗く青痣や火傷、蚯蚓脹れ。夥しい量が刻まれたリストカットの痕跡の数々。包帯やガーゼで覆い隠そうとしたようだが、全体的に隠し切れていない状態が逆に痛ましくもあった。更に目に付いたのは、痩せさらばえた四肢。まともな食事に有り付けていないのではないかとさえ勘繰ってしまうほど、痩せぎすな少女の目はどこか虚ろである。そんな彼女の境遇を思えばこそ、虐待というものが、傍から見れば不愉快以外に表現しようがないことを思い知らされる。
娘に対するレンさんの挨拶から、辛くもその存在の登場に気付いた三渡氏は、ばつが悪そうに眉間に皺を寄せる。一目見ただけで虐待を受けているであろうことが瞭然である娘の容貌は、無論彼にとって打ち明けるには恥ずべき存在であろう。
「彼女、随分と酷い様相じゃないですか。学校にも顔を出していない様子、と伺っていますが、何か特別なご病気でも患っているので?」
態とらしくレンさんが追撃を噛ます。少女の姿を認識してしまった以上、三渡氏が僕達に虐待の存在を隠し立てするのが最早困難である状況下の、攻めの一手。秘密を暴かれた三渡氏がどういった言動に出るか、僕達四人は静観を決め込む流れに委ねた。すると彼は、打てば響く最悪な受け答えをしたのである。
「他人の家庭環境にまで口出しするほど、いつから軍人は偉くなったんだ?」
醜悪な返事に反吐が出る。よもや虐待が露見した今、彼――三渡柊司は、我々第一部隊全員に敵愾心しか抱いていないであろう。自分の置かれた立場が悪くなった時に汚い大人が使う自己正当化のための発言が、そこら中に蔓延していった。その響きは全く以て酷く耳障りであった。
「一連の殺人事件を引き合いに、我々三渡家が次の標的になるだなんて妄言を吐いて、我が家の家庭内事情を盗み見ようとした、薄汚い法螺吹き共め! さっさと立ち去れ、軍人風情の皮を被った悪趣味な覗き魔共が!!」
盛大な怒声と共に、僕達一行は直ぐ様野外へと追い出されてしまう。塩を撒かんとばかりに拳を振り上げ、青筋を立てた三渡氏。彼を一瞥しつつ、その場を立ち去った後に、僕達は道すがら護衛作戦が失敗に終わったことに天を仰ぐ。
「やれやれ。虐待の存在を白日の下に曝されてなお、命乞いを優先するみっともない三渡柊司を期待していたが、やはり人間の矜持というものが邪魔をしたようだな。……済まん諸君、これは屋外から三渡家を張るしかなさそうだ。一旦、作戦の練り直しといこうじゃないか」
一瞬、深山家に対して放った筧婦人の「あんな奴ら、死んで当然なのよ!」という台詞が脳内を疾駆して、三渡家を救うことを逡巡した。しかし、今回の犯行で確実に娘が生存者側になるであろうことは明らかだ。生存者達の流した涙を思い返せばこそ、やはり腐った一家であろうと護らねばならないのだと再認する。が、無事一家の護衛が完了したとて、その後も続くであろう虐待に苛む三渡家の娘を思えば、胸中穏やかでいられないことも確かであった。




