File 01:昼中に墜つ白烏(05)-釈弁-
しかし、ちょっとした意趣返しのつもりで叩いた軽口でも、彼の秀麗な顔はそう簡単に崩れやしないらしい。喜怒哀楽のどれに染まろうとも、乱れることのない目鼻立ち。その事実が何だか癪に障る。
一方で、あまり刺激し過ぎるのも良くないだろうと。心のどこかでそう予見はしていた。吹き付ける木枯らしのような寒々しさが横切る——そんな気配があったからだ。
若干行き過ぎた感も否めない自分の発言に、「ヤバいかも」と多少焦るものの。既に口を出た言葉を引っ込める術はない。調子のいい言葉も、ここまでにしなければ。
「何だこのクソガキ。さっきまでビビり散らかしてた癖に、途端に飄々とした態度に一転しやがって。気に食わねえな。——いっそ思いのまま殺すか?」
ほら、【触らぬ神に祟りなし】とはよく言ったものだ。僕のしょうもない戯言に対して、彼から放たれる少しピリついた空気を感じ取る。これ以上徒に揶揄ってしまえば、彼自身の機嫌を酷く損なうかもしれない。——そんな可能性を察知したのは、一概に間違いではなかったのだ。否、機嫌を損なうだけならまだしも、攻撃性を含んだ雰囲気を発していることに、本能的な危機感を覚えたのだろう。
「いやいや、ただの戯れで一々人の命奪わないで下さいよ。人類根絶やし待ったナシじゃないですか」
「さっきから随分とお喋りな奴だ……ったく。まあいい」
怒りに任せた暴挙に出ることなく、眉根を寄せる程度に済ませてくれた。——彼のこの行動は、今の状況において最も幸運な救済措置だったのだろうと思う。くだらない仕返しを済ませたあの刹那、間違いなく場の凍て付くような緊迫感が漂っていた。小洒落た室内には不似合いな戦慄が、あの瞬間、疑いの余地なく走っていたのだから。
そこから間を置かずして、萎縮しそうな雰囲気は雲散霧消する。男は険しい表情で軽く溜め息を吐く。そして、未だカウチソファに着座する僕の隣にどっかと腰を下ろし、長い足を組んだ。これまでの言葉遊びを尊大に、鷹揚に、清算するという発言と共に。
「お前の言う通り、今回売られた喧嘩は水に流してやる。——但し、これまでの言動全てがタダで帳消しになるとは思ってくれるなよ」
お咎め自体は、一旦保留してくれるようだ。がしかし、この一連の茶番の最中においてなお、本筋を解き明かす態勢を崩すつもりは微塵もないらしい。獲物を逃がすまいとする炯眼そのものは、まるで蛇。重要な話題を引き出すまで離すまいと言わんばかりの執着と暗晦は、蛇によく似ている。
その蛇に睨まれた蛙宜しく身を竦ませ、玉桂の子の第二巻を抱いたままの僕。気不味い思いをしつつ、「今後の言葉遣いに気を付けた方がいいのかもしれない」と、改めて立ち振る舞いを戒める。これから起こる何事も、彼の求めに一片の虚飾なく応じなければならないと。
「条件がある。今までの茶番を綺麗さっぱり水に流してやるためのな」
それ見たことか。これまで諧謔を弄した清算は条件付きで、という意味だ。
「俺が求めるのは、今お前がここにいる理由の詳細な説明、だ」
しかしまあ、ことの次第の把握はそう難しいことでもない。十中八九、彼はここの家主。そして、事態の真実を知らない彼にとって、僕は不法侵入を犯した不審人物に該当する——というプロセスだ。
何にせよ、この男は、邂逅直後から強大な猜疑と些少な憤懣を宿した眼光を放っていた。不審者相手なら、獣のように威嚇するのも当然か。
闖入者を相手取ってなお、全く恐怖心を抱かない点が心做しか疑問ではある。が、彼のその右腿に装着されたレッグホルスターに収まる黒い拳銃を見る辺り、腕に覚えでもあるのだろうと。——己の中の問を完結するのは、正に必定だった。その場合は、僕自身の身の危険も問題として浮上するのだが……。しかし、今は考えずともよかろうと、一旦目を逸らしておく。
そしてこれは、世辞にも好ましいとは言えない最悪のエンカウント。疑惑を晴らすためにも、ここはまず説明義務を果たすべきだろう。
「弁明する前に、最初にお伝えしておきたいことがあるんですけど。一応僕は、この通り至って頭は正常なので、『それ前提で』説明させて頂けますか?」
「ほう、他人に向かって神様だのと抜かした奴がよく言うね」
「そ、それは忘れてください。僕だって詐欺に遭った被害者の気分なんですから」
「何の被害だ。ま、聞くだけなら聞くさ。嘘偽りなく、詳細に、教えてくれるんだろう?」
背凭れから背を離して膝の上で手を組む姿は、聊か偉そうだが、話を聞く気にはなってくれるらしい。男の眼差しは真剣そのものだ。
彼のレッグホルスターに収納された拳銃をちらりと眺めつつ、「下手を打てば殺される」なんてことも想定範囲として。遂には順序立ててことの顛末の弁疏を始めた。
一時間ほど前、ベッドで目覚めたことを皮切りに。