File 04:背理に抗う天秤(06)-動機-
家庭内暴力、育児放棄、校内の虐め、匿名の誹謗中傷。それが深山家に蔓延る悪習の実態だった。まるで【因果応報】とでも言うべき侵蝕者による制裁行為は、途轍もなく人間臭さの残る犯行とも言える。
殆ど無理強いに等しい事情聴取で、嫌な記憶を呼び起こすような真似をしたことを詫びるレンさんに、筧婦人は首を横に振る。寧ろ大人気もなく感情的になった自身を恥じているようにも見えた。
「深山家が殺害されて三日経ちます。貴方は、波沙さんは今平穏な学校生活を送れていますか?」
少女の現状を気遣ってそう問えば、彼女は過剰に重かった肩の荷が下りたかのように、安穏に「まあね」と微笑んだ。波沙にとっての深山紫という存在は、途方もなく大きな障害であり、人生における最難関の壁の一種であったことは間違いない。一つの命が潰えたことによって、平穏を掴む人間が登場するという現実の有様は、何とも腑に落ちないが、今は波沙が穏やかに笑んでいる結末を素直に受け止めるとしよう。
ただ、報われないのは深山紫だ。実の両親から虐待を受けながら、その憂さ晴らしのために幼馴染を標的とした彼女の心は、一体何を映していただろうか。幼少期は仲が良かったと言う波沙と紫の間に築かれた純粋な絆。それを踏み躙るところまで精神的に追い込まれた紫の心情は、計り知れないものがある。
「実際のところ、紫のことは許していないけど恨んでもいないんだ。幼い頃の私達は、確かに親友だったから」
かつての親友にそう想って貰えることこそ、今は亡き紫にとって、不幸中の幸いであろう。
確かに虐めという行為自体は、どんな理由があろうとも正当化できるものではない。しかし、極限まで追い込まれた人間は、きっと自分より不幸な人間がいることに安堵感を得るものだ。だからこそ、紫は本来であれば望まない手段に手を染めてしまったのかもしれない。そう思えば思うほど、虐めは彼女にとっての必要悪だったのだろうと、不憫に思わざるを得なかった。
彼女自身殺されてしまった今、僕達にも筧親子にも、紫本人をどうこうする手立てはない。唯一、彼女が安らかな死後を迎えていることを、心から願うばかりである。
もしも、もしもだ。今回討伐対象とする侵蝕者がそう言った不遇な目に遭っている者達を救うべく、加害者側を意図的に屠っているのだとしたら。だとしたら犯行現場の生存者が恐怖を口にしながらも安堵や愉悦しているという状況に、俄然納得が行く。何故なら彼らは悲惨な情景を目にして恐怖心を煽られつつも、自らを虐げて来た人物達の死により、今後も訪れるはずだった惨劇から解放されたと言っても過言ではないのだから。
確証を得た訳ではないが、推論を共有するのはありだろうか。下手に憶測を混ぜた情報を教えたことで、部隊内の混乱を招く結果になりはしないだろうか――そう危惧するも、一人で抱え込んでも仕方がないと割り切り、僕はレンさん個人に向けて一つの仮説が立ったと、そっと小声で囁く。
万一これが真実であれば、決して真っ向から向き合いたくない仮説だ。目を背けるように、どこか他人事のように僕は事務的に伝達する。
「本当に初任務とは思えないほど利口な発想だな。お前の仮説は存外間違ってない」
レンさんはマスクの下でどんな顔をしていただろうか。したり顔をしているような予感を覚えながらレンさんを眺めていると、彼は筧家の玄関口で話し込んでいた親子の前で踵を返す。
「有益な情報提供に感謝致します。それでは我々はこれにて失礼する。貴方達家族に、今後幸多からんことを」
そう別れの言葉を交わして、筧家を後にする。後ろを振り返れば、僕達に向け軽く会釈をする筧婦人と、ふわりと笑って右手を振る波沙の姿。深山という巨大な支障が消失した今、後口の悪い蟠りは残るものの、彼女らならば今後問題なく長閑な日常を送っていけるはずだ。安心してこの場を離れられる。と、僕の胸の内はちょっとした安堵感で満ち満ちる。
本日回る犯行現場は三つ。そのうち一つの検証を終えた。残りの二つでどのような物的証拠・状況証拠を得られるかが今後の課題となる。まだまだ気は抜けないぞ、と密かに己を鼓舞する最中、僕は先ほどの推論について思考していた。
あの時推論を口にしたとは言え、果たして侵蝕者がそこまで人間染みた動機を持ち得るものなのか。僕はその点を疑問に感じていたが、レンさんがその仮説を否定しなかった点を踏まえれば、彼らには犯行の動機となる行動理念や活動根拠が存在し得るものなのだという信じたくない結論に辿り着く。
次の現場に足を運ぶ。とは言っても、頻繁に運行している交通機関があるほど交通網は完備されていない。次のバスが来るまでの間、僕は侵蝕者の犯行動機についての論議を繰り広げることにした。
「ルカさん。僕はこれまでの訓練期間で侵蝕者についての座学を受けていましたが、実際の犯行現場と住民の事情聴取を経て、新たな疑問が生まれました」
ルカさんは、次に訪れるであろう問を耳にしたくないといった雰囲気を纏いながら、「……何でしょう」と少し言い淀んだ。彼は僕がこれから質問しようとしている内容を感知しているのだと静かに悟ったが、敢えて明確な回答欲しさに僕は尋ねた。
「人間性を喪失した者――つまりヒト型の侵蝕者には、変異前の人格や、行動理念・活動根拠などが寄与して、選択的かつ意図的に標的を狙った犯行に及ぶ思考パターンがあるのでしょうか?」
「…………ええ、ありますよ」
長い沈黙の末、案の定、肯定の台詞が返ってくる。
ルカさん曰く、人の形を成した侵蝕者だからこそ発生する、特殊な例なのだそうだ。人間性を喪失していながら、人間だった頃の記憶を僅かに持つが故、犯行動機に偏りが生じるのだという。だが――。
「それってまるで――」
――【侵蝕者が人間であるも同意義】ではないか。意思を持って犯行に及ぶというのは、人間に許された意思という賜物が大いに関与する。第三者へと負の感情を抱くからこそ、犯罪が生じるように。
被害者を出さないためにも、人ならざる侵蝕者は排除すべきもの。無作為に人々を殺傷する者を好き放題にさせてはいけない。そうして身体に馴染ませた理論が揺らぐ。折角単なる人殺しとは隔絶して考えていたものが瓦解するような、そんな音がした。
「ハチ。僕は君の戦う信念を揺らがせないため敢えて侵蝕者の定義をここまで詳しく伝えなかった。でも、勘のいい君のことだから気付いてしまうだろうと薄々勘付いてもいた。それが間違いでしたね。……ごめんなさい。ヒト型の侵蝕者と一般的な刑法犯罪を犯す人間とでは、動機が発生することに何ら差異はない。と言うのが真相です」
「そ、……うですか……」
明らかになった真実に、つい言葉が詰まる。
彼が真実を隠していたことに怒りや恨みが生じる訳ではない。優しさから生まれた嘘に対する罪を嘆いて欲しい訳でもない。ただ、やはり僕の歩むべき道の上には純粋な殺人が付き纏うのだなと、再認識したまで。対侵蝕者戦も対人戦も、人の命を奪う行為に変わりはない。最早殺める者が人かどうかを鑑別するだけ時間の無駄であると、断念する。
「今回の侵蝕者の討伐の止めは、僕に刺させてください」
後に引けないように。彼ら第一部隊のメンバーと同じ土俵に上がるために。僕は腹を括ってそう進言したのだった。




