File 03:練兵に倣う灰滅(14)-戦術-
そうしてティムさんの実践訓練を毎日繰り返し、時折ルカさんの座学で新しい知識を取り入れながら、目紛るしい成長を遂げ二十日が経過した頃。僕の身の熟しは初期と比べれば極めて熟達したものへと変貌していた。シャトルランの最高値247段階目も無事達成。最高難易度に設定した大怪我不可避の模擬戦においては、特に痛手を負うこともなく、立ち開かる立体映像相手に百人斬りも完遂していた。
そして、ティムさんとの鬼事。こればかりは、惨敗続きであった。逃げ回るティムさんの【捕獲】を前提とした勝利は、結果的に掴み取れはしなかったのである。だが、【掠る】までには至った。それ自体は、僕にとって大きな前進であった。
「これなら実戦に出ても大丈夫ですかね!?」
肩で息をしながらも、訓練の成果に手応えを感じていた僕は、息巻いてルカさんとティムさんに尋ねる。二人は、直ぐに首を縦に振ることはしなかったが、その表情はどこか満足げでもあった。
まるで二人の大尉から少し認めてもらえたような感覚に陥っていると、「ここまで急成長したハチに、隊長から豪華スペシャルプレゼントも用意されているようだ」と、ティムさんが気拙そうにかつ気の毒そうに引き攣った笑顔で弱々しく僕の肩を叩いた。その表情はプレゼントという割に質実な面持ちだ。欣喜すべき速報のはずにも拘らず、雰囲気はどこか他所他所しさを醸す。正直プレゼントなのだから、満面の笑みや柔和な情調で渡してもらえないのかと小さな疑問が芽生える中。不吉なプレゼントの予感に嫌な汗を流しながらも、何が起きるのかをじっと待った。
そして結果的には、長らく座学と実践の現場監督が如く、ずっと実見を決め込んでいた、あのレンさんがゆるりと腰を上げたのだった。
「今日から第二部隊との合同任務の決行日までの間、俺が鬼役を務める鬼事の相手をしてもらう。何、ティムとの鬼事を経て実力は付いてるはずだ。今回はその延長線と思えばいい。もちろんその現場には最高難度の立体映像も用意した上で、お前はホロを倒しながら俺から逃げ回ると言うのがルールとなる。そこらに蔓延るホロ達がお前に害を為そうとすることは今まで通りだが、そこに対人戦訓練として俺がお前を殺しに行く勢いで鬼事に加わることで、お前の瞬発力と咄嗟の判断力、そして内に秘めた潜在能力を引き出す。これがお前を任務地に連れていくにあたっての最後の試練だ」
K-9s隊長直々の手解きとは光栄の至りなのだが、「今彼は間違いなく、殺す気で、と言ったよな?」と過剰な不安が過る。何と言っても、僕はこの狼藉者に一度半殺しにされているのだ。確かに彼と会った当初は、抵抗の術すら持たない赤子同然だったのが事実。それでも、今はルカさんとティムさんの教育により、戦略を立て襲い来る侵蝕者達を上手く往なす水準までには成長した。対人戦の戦術と技術も着実に経験値を積んでいる。とは言え、レンさんが鬼役となると話は別だ。彼に及ぶほどの精度はまだまだない。それを痛いほどに理解しているからこそ、何か彼の予期せぬ目論見で、上手く逃げ切る戦略を模索しなければならない。
未だ模擬戦闘訓練室に佇む僕とティムさん。ティムさんはレンさんの言葉を聞くや否や、彼と場所を立ち替えた。あの時――邂逅当初と違うのは、レンさんは何も装備していないということ。拳銃も、血晶刃でさえもぶら下げていない、正真正銘の素手。そんな丸腰で僕を捕えようとしているのだ。「大した自信だ」なんて思わない。彼と僕の力量差はまだまだ大きくて深い溝のように遠く及ばないのだから。一瞬で背後に回り込んで羽交い締めにされる未来など、容易く想像できるくらいには。
彼はポケットに手を突っ込んだ。たったそれだけの動作にも拘らず、若干身構えるのは、きっと気後れしているからだろう。開幕から攻撃や陽動の類でも噛ましてくるのかと思いきや、そこから出てきたのはただの一枚の銅貨。瞬時に安堵するが、同時に気を抜くなと己を警醒する。
「このコインが床に落ちたら手合わせの始まり、いいな?」
コクリと頷くと、レンさんの手に収まっていたコインがピンと弾かれた。
ベンチに座ったルカさんとティムさんに一瞬目を遣れば、真っ直ぐ逸らすことなくこちらを見ている。「己が学んできたこと全て活用して生き残れ」と暗に伝えているように思えたが、内心「こんな歴戦の化物相手に無茶なことを」と苦々しく笑わざるを得ない。
コインが落ちる。キンと高い金属音が室内に鳴り響いたと瞬きした矢先、レンさんの姿は既にそこにはなかった。刹那の出来事。焦燥感に駆られながらも、「彼はどこへ行った?」と四方八方に視線を巡らせる。相場として、上方・下方・後方から攻め込むというのが因習だと戦術学の一つとして学んでいるため、そこを重点的に細心の注意を払うが、しかしレンさんの姿はどこにもない。完全に視界から外れてしまった――開戦序盤からの失策。だが、後悔している暇などどこにもない。残影や足音、人の匂い、そして触れられた一瞬の掠る感覚などをフルに運用して、捕獲者からその身を躱していかなければならないのだ。
深く考えている余裕はない。何せ周囲には際限なく襲い来る侵蝕者の姿をしたホロが蔓延っているのだ。彼らの止まない攻撃の手を躱しながら、冷静にレンさんの動きを分析し、発見することなど適わない。
すると、辺り周辺からランダムに足音が響き渡った。軍靴が鳴らす音は、こちらに居場所を特定させないよう前後左右から反響する。恐らくは足音を殺した歩行と態と音を立てた歩行を、不規則に織り交ぜているのだろう。それも僕の視野が捉えることが難しいほどの高速移動を為しながらの技巧である。こんな技法を駆使してくるとは予想外であったが、いつ強襲されるかも分からない状況下で小難しいことを考えても一切無駄であろうことは何となく想像できた。
「訓練開始二十日目の初心者相手との鬼事で、マルカート歩行で混乱を誘うだなんて、隊長も意地の悪い。完全にハチは動揺してしまっている。ここからの攻撃なんて予測が付かない状態でしょうに」
「俺達でさえ隊長との試合でマルカート歩行を使われちゃ、その位置特定にはかなり感覚を研ぎ澄ませなきゃならんってのに、初心者がどうこれを凌ぎ切るっていうんだ。隊長は本当にハチを育てる気があるのか?」
これまでの実践訓練では、【考えて動く】ことで困難な状況を切り抜けられていた。戦況を把握して侵蝕者を倒し、戦略を駆使してティムさんを捕えんとする。まあ結果としてティムさんを捕える段階までは至らなかった訳だが。それに比べ、今はどうだ。座学で履修した基本的戦術しか知らない僕の考えが通用するような、単純な相手ではなく、天地の差があるほどの上手を前に逃げ切らなければならない――所謂強敵を前にした逃走技術の習得である。
これは考えて動くことに重きをおいても仕方がない。つまり彼が最初に言っていた通り瞬発力と咄嗟の判断力、潜在能力を試されているということなのだと。僕の中で一つの確証に至る。




