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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者——File 03
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File 03:練兵に倣う灰滅(13)-演習-

「水分補給をしよう。そうしたら休憩で俺と鬼事をするぞ」


 煌いた笑顔で告げる言葉に悪意はなくとも、「この人は僕を殺す気か?」と狐疑の皺を眉間に浮かべざるを得なかった。それほどまでのレベルで、全身が疲労を訴えていたのである。鬼事と名ばかりは可愛いものだが、実際は絶え間なく続く無限ループ式追いかけっこである。問題は、逃げ回るティムさん相手に僕が本気で鬼を全うしたところで、一向に捕まる気配がないことであろう。

 一見、「鬼役なのだから真剣にならずとも適当にダラダラして終わりにすればいいのでは?」という意見も出そうだが、「全力を出していないようなら、明日以降から基礎体力向上メニューを増やして教練の終了時間を後ろ倒しにするぞ?」と爽やかに脅されているため、そうも言ってられないのである。いくら何でもそんなのは御免だ。勤勉家と自負する僕ですら、正直言ってさっさと帰って休みたい。

 また、ティムさんを捕まえた報酬として約三時間早く訓練を切り上げることが条件に入っているのも、大きなアドバンテージだ。怠惰は時に人を強靭にするものである。何としてでも捕えてやる――燃え滾るその一心で、今僕は死に物狂いでティムさんの背中を追い回しているのだから。


「よし、今日の鬼事はここまで!」


 ティムさんが合図を出す。結果的に彼を捕まえるどころか触れることすら一度たりとも適わなかった。素速さ自体は本気を出していないのだろうが、身の(こな)しが尋常でないほど軽快であったため、「取った」と確信した時は華麗に後ろへと回り込まれており、「掠った」と錯覚した時は遠方から「惜しい惜しい」と笑う声が唐突に出現し、気付けば十メートルは離れた位置にいるのが基本的なオチ。こちとらあらゆる戦略を行使し角に追い詰めてまで飛び付いているというに、壁蹴りジャンプを決めて難なく躱されてしまった時など、単なる鬼事にしては前代未聞な逃走法ではないかと苦虫を噛まされる始末である。


「一度もティムさんのこと、捕まえられなかった……」


「初日で新人に捕まるほど俺もヤワじゃないさ」


 胡座を掻いて、右膝に拳を打ち付ける。圧倒的実力差を見せ付けられた僕は、息も絶え絶えに歯を軋ませた。こちらは汗だくだというのに、向こうは涼しい顔で汗一つ流していないというのが、これまた何だか悔しくもある。心中で、「ティムさんから一本取ってやるぞ」と密かな野望が生まれたのは、生来の負けず嫌いがひょっこり顔を出したからだろうか。しかし、一本取るにはどうすればいいか?――まずは綿密な戦略を練らねばなるまい、と一人思案する。


 次に始まるのは、対侵蝕者(イローダー)戦を意識した模擬戦。敵役をティムさんが務めるのかと思いきや、ここで模擬戦闘訓練室シミュレーションルームの真骨頂が露わになる。

 何と模擬戦闘訓練用標的シミュレーションターゲットに実寸の侵蝕者(イローダー)立体映像(ホログラム)が複数体映写され、それが襲い掛かって来るという仕組みだったのである。模擬とは言えど、侵蝕者(イローダー)の再現性は実に本物に忠実。人間の腐敗した姿が襲い掛かってくるという、所謂(いわゆる)ゾンビ相手に戦いを挑む陰惨さをまざまざと見せ付けられる。ゲーム感覚でズバズバ倒せばいいと考えていた安直な思考は一瞬で消失した。想像を遥かに超える動く腐敗死体のグロテスクさは、思わず目を背けたくなるほどで、激しい身体的損傷を抱えた姿は(ことごと)く人間と掛け離れている。歩行こそできていても、折れた骨相や(ねじ)れた四肢がまともな前進行動を取れる訳もなく、正しく異形と言わんばかりの動き――人間ならばありえない動きで、ウゴウゴとこちらに近寄ってくる。

 とは言え、ある程度各種侵蝕者(イローダー)のモーションパターンはルカさん担当の座学で頭に叩き込んである。あとはそこからティムさんが実演して見せてくれた刈り取る手技を発揮するだけ。しかし、元は人間である彼らを手に掛ける行為に多少なりとも躊躇いが生じた。立体映像(偽物)相手に何を感情的になっているんだと言われればそれまでなのだが、実際の戦闘では人間から侵蝕者(イローダー)に成り果てた『人間だったもの』を討伐する必要がある。言うなればこれも人殺しの一種なのだ。そんな躊躇でまごまごと気を抜いていた矢先、立体映像(ホログラム)の一体が僕の喉元に鋭利な刃物を突き付けていた。


「ハチ、気を抜くと戦場じゃ真っ先に死ぬぞ」


 ティムさんが真顔で冷たく言い放つ。途端に現実に引き戻された僕は、手に掛けるという気持ちに踏ん切りが付かぬまま、肉薄する立体映像(ホログラム)の一撃を間一髪のところで血晶刃(ブロッジ)で弾いた。若干頬を掠めたが、ギリギリのところで躱した後は、流れるような動きでその首を切り捨てる。


「ハチ、お前は侵蝕者(奴ら)を人間の成れの果てと過度に認識しているな。だが、一度こうなった人間を元に戻す術は今のところ確立されていない。同情的になるのは結構だが、それでこちらの生命が脅かされるようなことはあってはならない」


「……はい。十分分かっているつもりでしたが、元人間を手に掛ける状況を、上手く甘受できていなかった。まだまだ覚悟が足りない、証拠です……」


立体映像(ホログラム)相手にそんな姿勢でいるようなら、実物相手にした時の先が思いやられるな。現状のホロはまだレベルの低い疑似敵だから殺傷力も低いが、今後の訓練で挑むより高度な模擬戦(シミュレーション)では、大怪我どころじゃ済まない攻撃力を持つホロがうようよ湧き出てくる。生半可な感覚でやってると笑い事では済まなくなるぞ」


「戦場で役立つ以前に模擬戦(シミュレーション)で負傷することだけは避けたいです」


「なら、より一層の精進を欠かさないことだな」


 人を殺す――無縁だったとは言えど、この世界に足を踏み入れた以上、逆らえない鉄則である。上官の命令無視は罰則ものだ。記憶を取り戻すことと内通者を炙り出すことを課せられた身としては、禁を犯して罰則を受けている余裕はない。

 社会に仇なす危険種族を排除せんと行動するのは、害獣の駆除と一緒。例えそれが、過去通常の生活を営んでいた健全な人間だったのだとしても。そう自分を無理矢理にでも納得させる他に、辿る道は残されていないのだ。

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