File 02:首輪に従う黒狗(15)-入営-
ものの数十分。たったそれだけで今後の道筋が確定してしまった。衝撃的なこともあれば、絶望的なこともあり、気持ちは大きく揺さぶられたが、世界の裏側の一面を耳にし、その裏世界から逃れる手段が奪われている点により僕の意思は固まり始めていた。監視官総括役による裁判を切り抜けた今、ただ生き残る。その術を身に付ける――それだけだ。
「訓練にあたって、まずお前が配属されるK-9sの隊舎へと案内する。第十部隊は医療特化型の部隊でな、そこで最先端の治療を施す。そうすりゃ、俺が与えたお前の傷跡は綺麗さっぱり元通りになるはずだ。記憶喪失についても、奴は心療内科・精神科・神経科を自家薬篭中のものとしている。教えを乞えば、最低でも何か価値ある見識を一つは得られるだろう。その後、我が第一部隊隊員達と対面を済ませる。部下達には協力を仰いで、座学・実技で知識・技能を身に付ける予定だ。――扠、隊舎は離れにあるから、また顔隠しが必要になる。準備しろ」
またあの秋田犬の面とガスマスクをした二人で、野次の飛び交う中歩いていくのかと少しばかりげんなりしながら、顔隠しを用意して待つ。それに加えてそろそろ痛みで足が限界を迎えているので、「俵担ぎでも何でもいい、歩行の援助をして欲しい」と中佐に懇願した。中佐は嫌々ながらも「種を撒いたのは俺自身だからな、仕方ねえか」とガスマスクを装着してフードを被ると、ひょいと軽々しく右肩に僕を担いだ。自分は年齢的な平均体重はあると思うのだが、それを難なく片腕で持ち上げるとは、やはりこの人は軍人なのだなと再認識する。担がれていた側としても、彼の筋肉質な身体の剛健さは伝わっていた。
「第十部隊のクンツロール中佐はレディには優しいが、野郎には手厳しいのが難点でな。閣下のご命令だから適切な処置はしてくれるだろうが、消毒や包帯の処置は野郎が苦痛を感じるように嫌がらせしてくることもあるだろう。その時は俺に言え、奴の眼鏡を搗ち割ってやるぜ」
移動を開始しながらからからと笑う姿を見るに、「ただ単純に中佐がクンツロール中佐の眼鏡を打ち壊したいだけでは?」とふとした疑問が沸き上がるが、その争点についてはご割愛だ。ルベルロイデ中佐と件のクンツロール中佐の関係性は、どちらの人間性も知らない以上、想像しても無駄というもの。ただこの言葉からクンツロール中佐が女誑しに近しい性格をしているという情報だけが、何となく伝わって来た。
執務室までの移動時間は無言を貫いていたのにも拘らず、今はやけに雑談を仕掛けてくる。その変化に不思議と違和感を感じたので、「今僕ら普通に会話してますけど、道中また無言の荷物を演じる必要性が?」と問えば、返ってくるのは「いや、小声で会話する程度なら問題ない」とあっけらかんとした声。
「じゃあ、先に一つだけ質問です。またガヤガヤしたところで聞くのは憚られるので今聞きますが、貴方の名前を教えて頂いても?」
K-9sに配属される以上、各部隊長は皆中佐階級なのであろう。先ほどの桐生氏との会話で把握したため、中佐呼びは人物を特定し難い。然りとてこの男をルベルロイデ中佐と呼ぶのも堅苦しいし、何よりカタカナの羅列が呼び辛い。そう苦渋の末に提案したのが、氏名の公開だった。彼は「俺の本名は無駄に長いから省略するが……」と少し気が進まない様子で述べた上で自己紹介を始めた。
「レンハルトだ。レンハルト・ルベルロイデ」
「あー、短い方でも長いのでレンさんと呼びますね」
物覚えの良い方ではないので軽くそう返せば、彼は目をパチクリさせ驚いていた。何しろ、未だに軍人基質とは程遠い人間故、今更正体が軍管区の監査役でしたなどとカミングアウトされても、そう簡単に畏まった態度に即座に切り替えられるほど器用ではないからだ。レンさん本人も嫌な顔一つせずにそう呼ばれることを承諾していたから、半ば呼び名はこれで決定だろうと確信していた。
「変に畏まった態度で距離を置かれるよりは、まあまだマシか。呼び方も本来ならばルベルロイデ中佐と呼ばせたいが、この変梃な関係上、そこまで規律正しくある必要性もあるまい」
片や総本部監査役(階級不明)と片やK-9s第一部隊隊長(中佐)では現状どちらが階級的に上か下かも分からぬため、双方合意の下軍人らしく取り繕うのは辞めようとのこと。今更どちらが上か下かを話し合っても、ただの水掛け論にしかならないのを僕達はお互いに理解していた。
「あ。あと、第四隊舎を通過した時に飛んできた【黒狗】って野次は一体何なんです? K-9sの別名義みたいなものですか?」
「ああ、あれはただの簡易的な嫌悪を表した異名だな。端的に言えば僻み。重要任務は八~九割方俺達K-9sに振られることが多い上、それを卒なく熟す俺達は奴ら一般の軍人にとって目の上の瘤らしい。黒い装束と上官の命令を忠実に成し遂げる軍用犬とでも解釈した上で生まれた造語なんだろう。だが、そういう野次を飛ばす奴ほど実力に乏しく、軍人性に欠けているのさ。相手取るだけ無駄だからな、無視だ無視」
「やっぱり良い意味ではなかったんですね。……それにしても、随分と達観した主観というか何というか」
「まあ、それなりに生きてりゃそうもなるさ。しかし中には尊敬してくれている奴もいる。そういう奴とは惜しみなく交流を取ると良い。良い教本になるだろうからな。手始めに付き合うならそうだな、せめてコールマン大尉レベルの士官にしておけ」
随分と蛋白に応えるレンさんは、最早その野次馬の誹謗に傷付くほどのデリケートさを失うくらい図太いだけなのか、しれっと答えた。それはまるで他人事のようで、まるで興味がないかのようである。
確かに他人の悪口ばかり言っている人に、実力が伴わないケースが多いのは分かるが、多少なりとも傷付いたり落ち込んだりするのが普通の人間である。だが、相手はあのレンさんだ。言いたい奴には言わせておけと、そうきっちり割り切れるのが彼の肝っ玉の据わった感性なんだろうと合点がいく。
「扨、第十部隊でさっさと傷の手当と記憶喪失の診察をしてもらったら訓練の開始だ。なあに安心しろ。今日は基礎体力増強から始めるつもりだから、まだ身構えなくても大丈夫だ」
否、身構えるに決まっているであろうに。世界一と謳われる歩兵部隊たるK-9s直々の訓練など、例え単なる基礎体力向上のトレーニングだとしても、過酷な鍛練であるに決まっている。何故そうだと分かるのかと問えば、それはこの短時間でレンさんと行動を共にしていたからである。軽口を叩いたりするものの、軍に対して生粋の軍人基質が備わっている――そんな人間が甘っちょろい訓練を用意するはずがないのだ。全国レベルの部活が取り組む練習並みのものであった方が、まだ可愛いというもの。「これから生傷の絶えぬ一ヶ月に明け暮れることになるのであろう」と思いつつも、この短期間で自身がどれだけの才腕に仕上がるのか、どれだけ実戦で役立てるのか、楽しみになどできる訳もなく。一抹の不安が胸を過ぎっていった。
「さあ、まずはK-9sの隊舎に向かうぞ」
僕を担いだままのレンさんは足早に執務室を後にして、どこぞにあるやも知れないK-9sの隊舎へ向かって歩を進めて行く。執務室から少し離れると、またけたたましい野次が飛び交い始めるが、先刻レンさんに言われた通り一々気にしても意味がないということで、僕もあまりそれらを気にしないように努めていた。
クンツロール中佐――果たして彼がどんな人物なのか皆目見当も付かないが、不安ばかり抱いても仕方ないと己を奮い立たせる。それなりに上手くコミュニケーションを取れればいいんだけど……と内心独り言ちつつも、事前情報として得た該当人物の為人からコミュ力に自信など持てるはずもなく、不安は募る一方だ。何しろ、この男――ルベルロイデ中佐には初回から手酷い歓迎を受けたのだ。医師とは言うものの、クンツロール中佐とて鯔の詰まりレンさんの同族。若干の臨戦態勢は否めない。とは言え、今はルベルロイデ中佐の後ろ盾があるからこそ、厄介な歓迎は受けないと思うが。
気乗りしないままの僕を連れて、レンさんはズンズンとK-9sの隊舎へ進んでいく。果たしてこれからどんな日常が待っていることやらと重苦しい嘆息を吐きながら、僕は今後の行く末を案じていた。




