File 02:首輪に従う黒狗(13)-話術-
「軍管区の狙いは恐らく二つ。彼らは、【敢えてハチが監査官であると真実を明かすことで、第三師管区がどのような反応を示すか試そうとした】だけでなく、【ハチを切り捨てる選択肢を取るより、将来ハチに戦略的再利用の価値があると判断し、回収を選択した】。現に、軍管区はこちらに秘密監査を送り込んだと明言した上で、何事もなかったかのように急ぎハチの生存確認を取ることを指示し、そして生存していた場合の身柄保護と引渡しを要求してきたんだからね。面の皮が厚いとはこのことさ」
任務遂行を最優先事項とするためならば、一軍人を駒扱いすることすら止むなしと割り切る冷淡さ――それを唯一有する社会が、この世界の軍事組織である。冷淡無情を地中深くに根差す組織が、一人の軍人に執着するなんて、「余程【ハチ】は類稀な人材だったのか」と考えずにはいられない。
もしも【ハチ】が任務実績に優れた腕の立つ稀有な存在だったと仮定したら。彼に絶大な信頼を寄せる軍管区の上層部は、長期間に渡って音信不通を貫く異常事態から、【ハチ】が第三師管区の隠蔽工作や内部抗争に纏わる重要情報に接触して拘束された、或いは生死に関わるトラブルに巻き込まれた、と疑う姿勢を強めた可能性も高くなる。これまで高度な隠密性を要求される数々の任務を熟してきた部下が、今更ヘマをしたとは、上層部の面々もそう考えるまい。となれば、軍管区にとって【ハチ】の回収は、相当有意義な価値を齎してくれる可能性を秘めた、極めて高い実行優先度を持つ作戦へと吊り上がる。怪しい動きを見せてきた第三師管区の内情を探りつつも、今に至るまで打開できなかった膠着状態に、一石を投じる最高の存在となり得るのであれば、見す見す【ハチ】を失うなど論外であろう。
「直接下知された僕は、当時既に監査室の部下から侵入者の報告を受けた直後だった。嫌な予感を覚えながら直ちに現場に向かったが、到着した時は思わず血の気が引いたよ。何せ、軍管区から提供された監査官の外見情報と、中佐からの手厚いもてなしを受ける瀕死の少年の姿が、見事に合致してしまったんだから」
僕が中佐の私室で窓を覆うカーテンを初めて解放した時、監視室の者は皆、突如姿を現した僕に驚愕を示したはずである。何しろ、監視対象である中佐の居ない部屋を、真面目に観察し続ける酔狂な暇人など居るはずもない。長期の遠征任務で部屋を不在にする中佐を免罪符に、彼の私室とその近辺に設置された監視システムの復旧活動を疎かにした監視室は、見事に不意を突かれて、衝撃的な事実を目の当たりにしたのだ。
どうやら桐生氏は、丁度その時離席中だったようだが、最低限徹底された報連相が功を奏して、最悪の事態を防ぐに至った。
「上の命令通り、僕は監査官に対する中佐の暴力行為に停止を命じ、即座に緊急回収する選択肢は取ったが、流石に【ハチ】の身柄をそのまま軍管区へと譲渡する訳にはいかなかった。君の侵入を許した管理体制の甘さ、過剰な暴力行為による非人道的な規律の存在、軍管区お抱えの役人に与えた傷害の事実……。これらが軍管区に丸ごと露呈すれば、第三師管区は当然窮地に立たされると予見した。だからこそ、何としてでもそれだけは阻止する必要があった」
世界各地に点在した師管区総司令部を牛耳る、軍事組織の最頂点・軍管区総司令部。そこが下した命令に背く選択肢の採択は、桐生氏にとって苦渋の判断だったであろう。しかし、【ハチ】の身柄を引き渡して監査官の事実報告を看過するただの従順な軍人であり続けることを優先すれば、軍管区に付け入る隙を与えてしまい兼ねない。
報告を受けた軍管区は、きっと秘密監査を行ったことを公に認めると同時に、第三師管区が起こしたあらゆる問題事象を証拠として利用し、更なる圧力を掛けるだろう。その筆頭に来る要求には、現在隠蔽している全ての未開示情報の公開と、内部抗争を企んでいない証明として確たる根拠を提示することが含まれる。
一見、軍管区に対する第三師管区の不信感を煽るだけと思われた【ハチ】に関する情報下知は、実は第三師管区に対する軍管区の牽制の一環だったという訳だ。
「軍管区との関係性がこれ以上険悪なものへと発展しないよう彼らを納得させるには、まず【ハチ】の身柄譲渡に遅延の正当性がある論拠を明示しなければならない。そこで僕は、事実に嘘を絡めた情報を流すことにした」
最初に軍管区に与える情報として最も適しているのは、【ハチが記憶喪失に陥っている事実】だろう。現に重度の記憶喪失によって、ハチが第一級接触禁忌種に纏わる情報や監査の詳細を一切思い出せない状態にあることは、嘘偽りない事実なのだから。更に信憑性を増大させる材料として、至急でっち上げた医療記録と専門家の診断書を提示した。軍管区側が【ハチ】から直接情報を引き出す目的を持っている場合、以上の情報提示は、軍管区に「目的達成が困難になった」と納得させる材料として十分な効果を発揮する。また、記憶喪失が心理的要因や環境的要因による一時的なものだと付随的に説明し、回復の可能性を曖昧にすることで、軍管区に【ハチ】の即時回収は無駄な行為と認識させ、引渡しの緊急性を下げることも可能である。締め括りとして、【ハチ】の状態を医療上の保護が必要な状況と位置付ければ、第三師管区が人道的な対応をもしているアピールの完成だ。
そして次に与えるものとして挙げられるのは、【第一級接触禁忌種厳重管理区域にハチが侵入した事実】だ。ここでは敢えて【ハチ】の侵入を許した管理体制の不備を誤魔化すことなく認める必要があるが、その一方で既に内部調査を開始して再発防止策を講じていると弁明する。【ハチ】の侵入経路については目下調査中とし、詳細を曖昧化してしまえば、軍管区の追及を免れることも可能となるだろう。更に、【ハチ】の即時引渡しを管理責任の一環という名の下に明確に拒絶し、引渡しまでの保護管理を第三師管区に委ねるべきだと主張する。この行動は軍管区の不信感を和らげ、関係悪化を防ぐ一端を担う布石として機能するであろう。また、軍管区に対して「今後の第一級接触禁忌種厳重管理区域のセキュリティ情報を部分的に共有する」と、新たな約束を交わし協力姿勢を示すことも忘れてはいけない。この譲歩こそが、第三師管区が軍管区からの必要最低限の信頼維持を繋ぎ留めることに、大きく寄与するのだから。
これと最後に【現場の危険子排除システムによってハチが発見・攻撃され、重傷を負ったという虚偽】の伝達も欠かせない。この捏造は、中佐によって展開された人道に悖る行いの実存を上手く隠蔽するだけに留まらない意図を孕んでいる。それは第三師管区が軍管区所属の役人と気付かぬまま【ハチ】に重傷を負わせてしまった原因と、保護した該当人物の身元確認が遅れてしまった原因の一端に、秘密監査官たる【ハチ】の秘密主義に片寄った性質、並びに軍管区からの不十分な情報提供が関与していると、暗に責任転嫁する策略であった。更に前述した記憶喪失が複雑に絡み合い、身元確認が現在難航した状況にあると付け加えたなら。第三師管区は、軍管区側に万が一でも監査官と異なる人物を引き渡してしまわないよう、引渡しの前に当該者の正体と意図を完全に把握しておく必要性があると主張するための合理性をも獲得し得るのである。仕上げのトッピングに、【ハチ】の健康状態と治療の必要性を挙げれば、上々の出来映えだ。現在第三師管区の医療施設で専門的治療を受けていることから、移動を伴う即時引渡しが【ハチ】の生命や健康を危険に曝すと脅し文句を投げ付ける遣り口は、軍管区に【ハチ】の安全を優先すべく即時引渡しを諦めさせるための納得感を与えるに相応しい正当化と言えよう。
無粋な容喙さえ許さない情報と見解の提供を受けた軍管区が、果たして【ハチ】の即時回収の強行選択肢を採択するか?――そう問われれば、可能性は極めて低いことが想定された。実際僕は、桐生氏から参謀長直属の密偵として雇われの身となることを要求されたばかりである。このことを踏まえれば、既に軍管区との問題は決着しているのだと確信した。軍管区をも容易に丸め込む桐生氏の雄弁さに、僕は思わず舌を巻いた。




