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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者——File 02
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File 02:首輪に従う黒狗(12)-才子-

 まず、自身は何者であるか――この問の答えが【軍管区総司令部所属の秘密監査官】であることは言うまでもない。そして客観的な情報整理によれば、以下二つの出来事の発生は疑いのない事実である。

 一――第一級接触禁忌種厳重管理区域にて、管轄対象の隔離室を含む一帯的な監視システムが、何者かの手によって人為的破壊を施された。

 二――システム完全復旧に至るまでの修復期間中、軍管区より第三師管区へ向けて派遣された、事前告知のない秘密監査を担う役人が、偶然ながら厳重管理区域の残存包囲網を突破し、禁域に入り込んでしまった。


 これらを踏まえた上で、理路整然とした違和感のない筋書きを作り上げるのならば、「かつて凄腕の潜入監査官であった【ハチ】が、派遣から間もなく第一級接触禁忌種厳重管理区域の監査システムに何らかのクラッキングを施した末、目的地へ侵入した」という、桐生(きりゅう)氏により暗示された推察が最も説得力に優れている。禁域とされる隔離施設をピンポイントに狙った【ハチ】の行動も、計画的な実行であった可能性が高い。つまり、第一級接触禁忌種厳重管理区域に的を絞って部下を直接潜入させた意図が、少なからず軍管区側にはあるということだ。

 更なる考察を続けようではないか。第一級接触禁忌種厳重管理区域に潜入を命じる意義について推論を立てるとしたら、それは一体何なのか?――真っ先に想像し得る仮説として、【軍管区側が第一級接触禁忌種に纏わる情報を直接探っていた】潜在性が浮上するだろう。では、本来二つの陣営で共有されているはずの機密情報を、何故軍管区が強行的に深掘りしたのか?――この問から導かれる説はこうなるに違いない。軍管区は第三師管区と第一級接触禁忌種の関連情報を部分的に共有はしていたものの、全貌までは知らされていなかった。要するに、第三師管区が故意に情報開示を制限し、かつ全容を明らかにすることを拒んだのである。無論、軍管区は第三師管区が作為的に未公開情報を固守していることに気付いており、【現状第三師管区の在り方に嫌疑を掛けざるを得なくなってしまった】という流れは辻褄が合う。


 事実と推測を織り混ぜた、長い長い考察に浸った後、ふっと一息吐く。

 そして自らが若くして有能な監査官に登り詰めた軍人であるという事実は、まるで現実味がなさ過ぎて失笑してしまった。今やこんな碌でもないポンコツ兵士へと成り下がったというのに、どこにそんな頭脳型な要素があったのか甚だ謎である。

 明確な真実を獲得できた訳でもないのに、会話の内容は想定よりもすんなりと腑に落ちた。それは与えられた事実と導かれた推測に矛盾がなく、最終的に妥当性のある考察に辿り着けたお陰だろう。ただ、ここまで先導してくれたのは間違いなく桐生(きりゅう)氏である。上手いこと掌の上で踊らされているだけかもしれないが、首尾一貫して他者を導く淀みのない話術は、正に軍の先導者たらしめる御業に他ならない。

 これまでに出会ったことのない知恵者――()の者が燦然と照らす道筋を「もう一度歩んでみたい」なんて、手前勝手な願望が先走る。再び才物の叡知に触れたいと願う身体は、無意識的に手を伸ばしていた。軍師・桐生(きりゅう)少将閣下に対して聊か過分な態度であるが、彼を試すような口振りで、僕は二問目を投げ掛けた。


「じ、じゃあ。軍管区が僕の状態を把握していなかった根拠については、どう説明を付けるんですか?」


「単に状態把握の必要がなかったからじゃないか? 飽くまで一監査役に過ぎない君の健康状態を、軍管区側が逐一捕捉すべき必須事項に組み込んでいるとは考えにくい。監査業務で重視されるのは過程でなく結果、という点を念頭に置くべきだ。命を下す立場として言わせてもらえば、基本上官はノイズになり得る不要な情報は可能な限り排除すべきだと考えるし、最低限の情報以外を必要としない。僕が君に監査を命じた上官であったなら、真っ先にこう考えたはずだ。まあ、真相は誰にも分からないがね」


 容易に正解を与えず、しかし巧妙な誘導で関心の途絶を許さない。桐生(きりゅう)氏の振るう妙技に魅せられた僕は、胸の内でやんややんやと巻き起こる喝采に呑み込まれそうになりながらも、少しずつ気持ちの昂りを落ち着かせた。

 考えてみれば、確かに参謀長殿の仰る通りだ。軍管区が喉から手が出るほど欲しているのは、第三師管区の堅守している未開示情報と、第三師管区に内部抗争の引き金を引く実害性がないと確信できる絶対的証拠。第三師管区の有益性を評価する上で、その他の些事は余すところなく不要なものなのだ。

 そして軍管区の上層部は皆、監査役により公平に精査された報告書が届くのをただ待っている。報告内容から対象の処遇決定を下すのが、彼らの主体的業務だからだ。それ故、報告書が上がるまでの過程で、監査役が健在であるかどうかについて、逐次安否情報を確認する必要はない。(むし)ろ、取るに足らぬ末梢的情報でしかないのである。

 だが、穴を突く余地はまだあった。疑念を残したままこの場を立ち去るのを極めてナンセンスに感じた僕は、完璧な説明で解決し得る全ての問を拭ってしまおうと計画を立てる。全てはスッキリした後味を味わうため、僕は更なる問を投じた。


「例え報告を待つだけの上官であったとしても、【直属の部下が派遣先で何の音沙汰もなく行方を晦ます】なんて異常事態を看過するものでしょうか。安否確認のために、新たに調査員を派遣したりする方が余程現実的ではないですか?」


「それは任務による。秘密監査官とは謂わば隠密だ。派遣先で正体が露呈するなんてことはまず以て許されない。故に、監査役に見張りを付けて進捗調査を行う二重潜入は、素性の発覚リスクの増大に繋がることから、行わないことが暗黙の了解とされる。万一監査業務の続行が危ぶまれた時、本来上官はその監査役を回収するのが当然だと思うだろう? だが、残念ながら君の脳裏に過ぎったであろう体の良い期待は、高い確率で泡沫と消える。上層は送り込んだ監査官の元締めであるという事実を隠蔽するためなら、監査官を切ることすら辞さないんだよ。蜥蜴の尻尾切りみたいにね」


「となると、僕は軍管区からお払い箱にされた訳ですか……」


「いやいや、今話したのは飽くまで典型例さ。今回はそうとも限らない。何せ軍管区は君の存在を僕に打ち明けている訳だからね。上層が完全に君のことを切っていたのなら、今頃君は第一級接触禁忌種厳重管理区域の監視業務規定に従って、中佐に嬲り殺されていても可笑しくはない」


 滞ることのない問答の末、自身が意図的に軍管区から救い出された事実を知る。

 大元である軍管区の意向が今一つ掴めない。通例に従って、任務を失敗(しくじ)った【ハチ】の存在など躊躇なく切り捨ててしまえばいいのに、価値もない役立たずを救うために、敢えて秘密監査の存在を第三師管区に公開し、第三師管区から不信感を招くリスクを、軍管区は敢えて選んだのである。意味が分からないという心理が、表情に反映されていたのだろうか。桐生(きりゅう)氏は僕の心を読み取ったかのように、続きを紡いだ。

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