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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者——File 02
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File 02:首輪に従う黒狗(03)-開廷-

 第四隊舎を後にして十分くらいしたところだろうか。一つの大きなドアの前で男の足がぴたりと止まったのは。


 厳かな造りをした扉は、先まで冷やかしの単語を飛ばすガヤの跋扈していた一帯と異なる。それは、森閑とした浩蕩たる廊下の内壁に(そび)え立つ。その向こう側に、如何(いか)にもお偉方が着座していると思わせる。——それほどの荘厳っぷりであった。


 しかし、権力者が控える場としては、(いささ)か無防備でもある。護衛や監視などの人目が感じられない景色は、事前に人払いを済ませた意図的な策略をも匂わせる。未成年と言えど、一応こちらも不法侵入を犯した身の上だ。そんな僕の到着を、(あたか)も「待っていました」と言わんばかりに単身で待ち構える。——そうしたのは、あちらに最低限の手勢で面会を完結させたい理由があるからであろう。最低限の手勢である白髪の男が、確実に侵入者を制御し切れる技量を備えている。そのような、絶対的な信頼を置いているからこそ、為せる目論見だ。


 様々な思考を巡らせた末、僕は漸くここが終着点なのだと深く息を呑む。己の罪状がここで暴かれ、判決が下るものだと思うと、心臓が早鐘を打った。


「もう喋ってもいいぞ、ハチ」


 右肩から僕を下ろすと、男は発声の許可を出した。長らく無音声を強要された反動から、「ふうー」と大きく息を吐いているところ。男は飼い犬を褒める飼い主の如く、「グッドボーイ」と頭を撫で回してくる。突然のことで、一体彼に何をされているか、訳が分からなかった。だが、顕著に馬鹿にされていると理解した瞬間に、依然として掻い撫でる男の手を、容赦なくバシッと叩き落とした。彼としては、茶化したつもりなのだろうが、こちらとしては虚仮(こけ)にされた気分である。明確な不機嫌を露わにする僕に、「つれねえな」と一笑して済ませようとする男の姿は、何とも憎らしく見えた。


「新しい玩具(おもちゃ)を見つけたみたいに、僕で遊ばないでくださ、いよ——つっ!!」


 軽く弄ばれたからとて、一時の感情に身を任せて、会遇当初のように好き放題言い返せる訳ではない。胸の内では、あの悪魔のような怪物がまた再来するのではないかと、密かに怯えていたからだ。但し、抗議だけはしなければならなかった。このまま好きなように遊ばれてしまっては、憤懣遣る方ない。これは最低限の感情表現なのだと戒めて、僕は男に弓を引いた。

 ところが、抗言の最中で足に力を入れた瞬間に、例の銃撃で負傷した太腿の弾痕が酷く痛んだ。ふらりと足元が覚束ないことに、ふと気付く。そうだ。あの時応急処置をされたとはいえ、一応自分は大怪我を負った重傷患者であった。そう思い出すのと同時、痛みが疼き出す。怪我を負った当初は、アドレナリン放出のお陰で我慢に堪え得る痛みであったもの。それが、今や立っていることすらも酷く辛いほどの疼痛へと変移していた。このまま総括官様にお目に掛かるのは、極めて困難だ。何しろ両足が上手く機能しない。

 言葉も途切れ途切れに、痛みに眉を曇らせる。そうしていると、それを察知した男が、無言で右肩を貸してくれた。「命令とはいえ、こんな深手を負わせて済まない」などの謝罪の言葉こそなかったものの。これから始まる重大な謁見で、生傷を負った身体を支持してもらえるのは、幸いであった。


「これからハチです。って名乗るのか……」


 今一度【名前(ハチ)】について考える。どうやらこの名称は固定のようだ。もっと実用に堪える渾名であればと、名付け親たるコールマン中尉に内心毒突くものの。男の認識は既にハチで固着されているので、どうしようもない。大体何であの時、秋田犬の面をするよう強制させられていたのか。それさえなければ、これほど屈辱的な命名などされなかったはずだ。そう不本意に彼辺此辺(つべこべ)言っても、最早後の祭り。何より自身が、名無しの権兵衛(ジョーン・ドゥ)のままでは不便だと思っていた。だからこそ、周囲にハチと呼ばれること自体、半ば諦めに近い心持ちで了承していた。


 格好の付かない渾名に溜め息を()いていると、隣からくつくつと笑いを(こら)える声が聞こえてきた。またもや愚弄されたのだと捉えて、僕の機嫌は急降下する。


「何笑ってんですか。あんただって名高い狼【ルディ】なんですからね!」


 笑われ者となったことを許した訳でない。故に、男に対して「他人(ひと)のことを言えるものか」と、透かさず噛み付くことも忘れない。


「ルディの意味まで分かるとは博識じゃねえの。ま、でも俺にはお前と違って本名があるからなあ。ハチしか名前を持たないお前に比べたら、そりゃ大したことじゃない。名付けてくれたコールマンに感謝しろよ——ブフッ」


 今度は盛大に吹き出す男。「何て失礼な奴だ」と腹を立てるが、本名を持つ・持たないの大きな差が付いている事実を、真正面から突き付けられる。ぐうの音も出ない状況に追い込まれ、地団駄を踏む。苦虫を噛み潰したように渋い顔をする隣で、男は大人気もなく、ただ一人ゲラゲラと大笑いしていた。一方的に笑い者にされることに耐え兼ねた僕が、「全然笑い事じゃない!」と猛攻を見せる。しかし、男は殊更(ことさら)抱腹絶倒する。秋田犬の面で覆われた僕の表情は、彼には少しも見えていないはずなのに。彼が未だ人目も憚らず笑い転げているのは、【僕が面の下で(しか)めっ(つら)をしている】と想像してのことなのだろう。


(さて)、ここから先は総括役直々(じきじき)の尋問だ。俺みたいな拷問染みた暴力は発生しないが、適当な強弁が通用する相手でもない。無論一つでも発言を失敗(しくじ)れば、お前自身の首を絞める形となるだろう。これから行われるのは最高裁判だ。後には引けない」


 散々腹筋を鍛えた男が、漸く落ち着きを取り戻すまでに、三分は掛かった。

 先ほどとは打って変わって、冷静に忠告し始める男の言葉一つ一つに重みを感じる。控訴が一切通用しない、最終判決が下る——謂わば最高裁判所だ。その証言台に立つ以上、気を引き締めて臨まなければ。


「無実を証明し切るとは言いませんが、何としても生き延びて見せますよ」


「そうか。その腕前のほど、篤と拝見させてもらおうかね」


 二人して顔に付けた面とガスマスクを外し、入室の準備を整える。ギイ、と古めかしく軋む音を立てて、儼乎(げんこ)たる開き戸が動き出した。その向こうには豪華絢爛な執務室が広がっている。そして、その部屋の一角にある重厚な執務机には、こちらに背を向けて座す男性の後ろ姿があった。


「失礼致します、桐生(きりゅう)閣下。本日〇八〇〇(まるはちまるまる)、第七師管区ラナンキュラの遠征任務より帰投致しました、ルベルロイデ中佐であります。加えて、先ほど確保した第一級接触禁忌種厳重管理区域の侵入者を、ご命令通り、お連れ致しました」


「やあ。先の遠征任務はお疲れ様だ、中佐。そして——」


 くるりとオフィスチェアを回しこちらを向いた壮健な初老の男性が、柔らかな笑みで僕達二人を迎え入れた。手を組み、机に肘を付く——その細部に至るまでの所作は、まるでどこかで見たことのある紳士そのもの。


「初めましてだね、子犬のような坊や」

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