0-4 二人暮らし
頭や手から出血し、殴りつけたことによる返り血も受け、ボロボロの服が血まみれになっている少年。
本人は気付いていないのか、ごく普通の態度で少女に手を伸ばすが、彼女は眼前にいる異常な姿の少年に感謝より先に恐怖が身体に出てしまい、後ろに身を引いてしまった。
少女の態度に一瞬動きを止める少年だったが、顔をしかめつつ腕を伸ばして少女の腕を勝手に掴み、強引にこの場から彼女を連れ出した。
「ちょ、ちょっと!!」
「逃げるぞ」
少年は血まみれの身体をそのままに少女を連れて走り出し、この場を後にした。
当然ながら今の彼の姿は周囲から見てとても目立つものの、彼自身は気にする様子もなく来た道を戻っていく。確実に人の目のつかない場所となると、自分達が元いた家屋のある場所しか知らなかったためだ。
走っている速度も大怪我を負っているとは思えない程に速く、軽やかな流れで誰ともぶつかることがなく進んでいった。
この現象に後ろを走る少女はもちろん、先導している少年自身も驚いていたが、彼はこの感情を心のうちのママに落ち着いて行動できていた。
(何がどうなってんだ俺の身体は? さっきから脚が……ていうか、身体が軽い。俺、こんなに足速かったっけ?)
自分の状況に戸惑うところがありつつも足を止めない少年。流れるような動きは人の流れを円滑に抜けていき、いつの間にか二人は元いた場所にまで戻ってきていた。
ここまで来れば安心だろうと判断したのか少年は掴んでいた手を放すと、少女は左腕の掴まれていた部分についた血液を取り除こうとするが、固まってしまった血は擦っても中々に落ちない。
あっという間の出来事ながら、見知らぬ大人に拉致されかけそれを救出された少女は、目先に見える相手に対し恐怖は拭えないながらも感謝の気持ちを伝えないといけないと重い、声に出した。
「あ……その……ありがとう……助けてくれて」
混乱が残っていたためか、少女の声は途切れ途切れな上、徐々に小さくなっていく。少年は顔も向けずに返事もしてこなかった。
段々と目が慣れてきた少女は血まみれの少年に対してもゆっくり近付いていき、右手を彼の左肩に置く。
「ねえ、聞いてるの?」
ここまで近くにまで来ても少年が彼女の台詞に答える様子はない。
微かな恐怖が苛立ちに変わっていく中、反応のない少年に面と向かおうと彼の正面にまで移動しようとしたそのとき、突然少年が前方に倒れた。
「ちょ! ちょっと!!」
少女がまたしても唐突に起こった出来事にどうすれば良いのか焦りかけたが、よく見ると少年の胸辺りが膨らんでしぼみ、微かながらいびきのような音が聞こえている。
「何よ、寝ちゃったの?」
つい突っ込みを入れてしまう少女だが、考えてみれば当然だ。
少年はただでさえ重症状態の身体でこの世界へ転移してきたところに、起きていきなり病み上がりの身体を押して激しい運動をしたのだ。いつ意識を失ってもおかしくはない。むしろここまで持っていたのが奇跡だった。
少女はその場にしゃがみ、少年の顔を近くで見る。
「ホントに、何がコイツをそこまで駆り立てるんだか」
会って時間は短いながら、深く関わった少年に対して少女は彼がどんな人物で、何があったのかが気になってきた。
しばらくして少年が再び目を覚ますと、またしても家屋の中にいた。二度目に見る同じ天井に運ばれたことを自覚した。
「ここは……戻ってきたのか?」
「ええ、また私がここまで連れてきて上げたわ」
また寝ている上から少女が顔を覗かせてきた。しかし今回は我に返った状態だったからかまた首を絞めるなんて事はなく、冷静に話を繋げていた。
「そうか、迷惑かけた」
冷静に立ち戻って素直に謝罪の言葉を口にする少年だが、これを受けた少女はあの荒れ具合が変化したことを逆に気持ち悪く思って顔をしかめてしまった。
「何だその顔」
「いや、急に素直になるから気持ち悪くて」
「殴り飛ばしてやろうか」
少女が顔を下げると、少年は目が覚めてすぐの身体でありながら上半身を起き上がらせようとする。
重症のはずの身体でありながら、意外にも普通に動き起き上がることが出来た彼だったが、やはり多少の痛みは残っているようで起き上がってすぐに顔をしかめた。
「ちょっと起きないでよ! また飛び出されたら大変だわ。それと、その……」
少女は話をしている途中に頬を赤くし、ふと視点を少年からずらした。
しかし彼女にとって、この言葉はちゃんと面と向かってしっかり伝えなくてはならないと思うところがあったようで、どうにか視線を少年に合わせながら小さな声で口にした。
「助けてくれて……ありがとう」
「あ? 何だって?」
「何でもない!!」
あまりに声が小さくなったために台詞は届いてなかったらしく、聞き返されたことに少女は怒って反論しながらその場から放れていこうとした。
「……どういたしまして」
少女が振り返り少年から離れていこうとしたときに耳に入ってきた小さな返事。彼にはさっきの感謝の言葉がちゃんと届いていたようだ。
嬉しく、同時に何処か恥ずかしい少女は、平然とした顔を取り繕って振り返り、さっきの仕返しをしてやった。
「え? 何か言った?」
少年はさっきの自分の意地悪をそっくりそのままやり返されたために何も言い返すことが出来ず、眉にしわを寄せて少女とは反対方向に顔を向けていた。
少女はこれ以上何も言わず家屋の外に出ていった。その表情は明るく、可愛らしく少し舌を出していた。
しばらくした後、呆然と座って外の景色を見ていた少女の隣に、ベッドから起き上がって出てきた少年が座った。
少女は特に警戒はしなかったが、彼がここまで身体を動かしていることが気になった。
「もう大丈夫なの? 二度も気絶したのに」
「ああ……よく分からんが、普通に歩くのは大丈夫みたいだ」
「そう……」
少女は前回起きたときと違って落ち着いた様子になっている少年に、彼が来てからずっと気になっていたことを質問した。
「アンタ、そんなに帰って何がしたいの?」
ここまで走り回っていた間の少年は、少女から見てただ混乱しただけにしては済まされない程に尋常な焦りや激情に駆られていた。並大抵なことではない。
無言のままでいる少年にやはり嫌なことを聞いてしまったのはないかと謝罪するべきか悩んだが、隣にいる彼は視線を少し下に下げつつ口を開いた。
「殺したい奴らがいる」
「ッン!!」
少女は予想外の返答に息を呑んで驚いた。たった一言ながら、彼の口調には冗談とはとても思えないような重みがあったからだ。
少女はこの一言を聞いて、ソコまでの思いで元いた世界に帰ろうとしていたはずの少年が何故自分を助けてくれたのか気になった。
「よく分からないけど、必死なのは分かったわ。でも、ならどうしてさっき私を助けてくれたの?」
少女からの問いかけに、彼は顔を前に向けたままうつろな様子で返答する。
「俺にもよく分からない。ただ目の前で襲われそうになっている奴をほっとけなかっただけだ」
「なによそれ」
問答が終了してしまい少し沈黙が流れたが、少年はこの流れで別の話題を口にし始めた。
「なあ、一つ頼んで良いか?」
「ん?」
「お前の言うとおり、俺は今この世界から帰る事が出来ない。だから帰る方法が見つかるまで、ここに居候してもいいか?」
「エエッ!?」
少女は大きく顔を引きつった。
「ここは私がちびちび時間をかけてようやく完成した一人暮らしの住まいよ! それをいきなりやって来て無条件に住まわせろだなんて、そんな無茶苦茶!!」
「何が一人暮らしだ。ようは家出だろ」
少年に図星を付かれた少女は更にきつい表情になって立ち上がり、彼を上からの位置で怒鳴りつけた。
「家出なんかじゃないわ! ちゃんとした自立よ! ちょっと他の人より早いってだけ!!」
「それを家出って言うんだろうが」
「なによ押しかけの分際で!! それ以上反論するなら本当に出て行って貰うわよ!!」
「それ住むこと認めてないか?」
少女は待たしても言葉の綾を指摘され、混乱しながら両手で頭をかきむしると、ムシャクシャした気持ちを叫んで発散させた。
「あぁもう!! 分かったわよ!! また何処かに出て暴れられても困るし、しばらくは暮らすのを許して上げるわ」
半ば諦めるような形で承諾した少女。少年はこれを聞いて突然立ち上がり、彼女に顔を向けてテンションを上げながら反応した。
「良いのか!? ありがとう!!」
「これからは二人暮らしかぁ……まあいいわ、よろしく……」
少女の台詞が途中で止まった。ここに来てあることを聞いてなかったことに気が付いたからだ。
「そういえば、名前は?」
「名前?」
「アンタの名前よ! そういえば聞いてなかったから」
少年の方も彼女に言われて初めて気が付いた。
「そうだったな。いるか?」
「いるに決まってるでしょ! これから一緒に暮らすんだから!!」
少女の強気な態度に押し通しに折れた少年は、少し考えた様子になりながらもゆっくり自己紹介をし始めた。
「ラン……『将星 ラン』だ」
「しょうせいらん……日本人ってことは、しょうせいがファミリーネームね」
少年の名前を初めて知って何処か喜んでいる少女に、彼は当然の質問を飛ばした。
「そういうお前は?」
「え?」
「え?じゃない。お前も名前も教えろ。なんて読めば良いのか分からないだろ」
少年の問いかけに少女は笑顔が打って変わって青い顔になり、視線を揺らしながら困っているような様子になった。
彼女は姿勢を低くし、何故か少年から顔を離してボソボソと独り言を呟きだした。
「ど、どうしようかしら? なんて言えば……えっと……マリ……ユリ……」
「ユリ?」
少女は今の小さい独り言を聞き取られたのかと声が止まって驚いたが、台詞からして一部しか聞こえていないことを良い方向にとらえ、顔を至近距離にまで近付けてハッキリ聞こえるよう伝えてきた。
「そう『ユリ』! 私は『ユリ』!!!!」
「お、おう……分かった」
ゴリ押しで誤魔化された感が大いにあった少年ことランだったが、彼女にも事情があるのだろうとここで聞く事はやめにした。
ユリは顔を少し離し、微笑ましい笑顔になって挨拶をしてきた。
「これからよろしくね、ラン」
ランもこれに口角が少し上がりながら優しく返答した。
「おう、よろしくな。ユリ」
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