0-11 お兄様
煌びやかな宝石が周辺に見える美しい景色の外とは打って変わり、汚れの見える石段の壁に囲まれてあまり光の見えない空間。細かく区分された部屋には鉄格子が敷かれている。有り体に言うところの牢獄。
ユリが心配を向けるその少年は現在一人その鉄格子の奥に入れられていた。最も彼が大人しくこの場に捕まっているはずもなく、何度も鉄格子に殴り掛かりぶつかっては体中を傷付けていたが、それでも本人は意にも返さず乱暴な行為を続けていた。
「出せーーーーーー!! ここから出せーーーーーーーー!!!!」
既に拳は血まみれになり頭突きも繰り返したのか頭からも出血しているラン。失血と疲労から流石に息が荒くなり、よろめく形で鉄格子から少し後ろに身を引いて床に座り込んだ。
「クソッ……アイツ等俺を勝手に誘拐犯にしやがって……」
当然牢屋に捕まることは初めてなラン。普通の子供はこの暗闇や物々しい空気に泣き叫んでもおかしくないのだが、ランは一切恐怖を感じている様子はなかった。
だが強いて言えば一つ気になっていることはあった。逮捕された言われもそうだが、今一番思うのは今自分がいる場所についてだ。
ここが牢獄であることは間違いはない。牢獄というものは一つの区画に何人も、最低でも牢屋の中に複数人の囚人が一緒に捕えられていることが普通だ。
しかしどういう訳かランの周りの檻の中には人っ子一人も姿が見えず、ホテルの一階分の内一部屋しか埋まっていないようにすっからかんな状態だった。
「なんで周りに誰もいないんだよ? ここは牢屋じゃないのか? 静か過ぎて気持ち悪い」
ランはもう一度周辺に意識を向けるもやはり人の気配はない。違和感を感じたランだったがこれ以上待っていても何にもならないと立ち上がり、出血した血が乾いていない拳を再び鉄格子にぶつけて破壊しようと試みた。
「クソッ! 硬いな……これじゃ出るまでいつまでかかるんだよ」
ランの脳裏にレオトラから言われた台詞が思い出される。今の自分の身体が爆発しすぐに再生される。ランは願っているときにその現象が起きない現状に苛立っていた。
「何で爆発しないんだよ……そうすればこんなもの! すぐに壊して出てやるってのに!!」
怒りに任せてより強く拳をぶつけるも、結局爆発は発生しない。静かな牢獄の中では、ランが鉄格子に拳をぶつける音だけが甲高く響き渡っていた。
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一方のユリ。一度家出されたがために扉を挟んだすぐそこには何人もの使用人が二度とユリが城を無断で出ていかないように監視を強めていた。
窓の外からロープで降りようにも真下に監視員を配置する徹底ぶり。実質ユリは今部屋の中に閉じ込められている状況だった。
そんなユリが頭に思い浮かばせていた心配は、数日間一緒に暮らしていたランの事だ。
自分が一緒にいたためにランの身に何かあったのではないかと悪い予感がよぎるものの、自分には何もできないもどかしさから身体を重くしながら城の自室に籠らされ、ふてくされながらベッドに寝転んでいた。
「ラン……アイツ、何かしでかしてなければいいんだけど……」
自分で口ずさんだ途端に脳裏に浮かぶランの姿。それと同時に彼のこれまでの素行から嫌な予感がしてならなかった。
こうなるとユリはすぐにどうにかしなければならないとベッドから立ち上がり、使用人を誤魔化す言い分を考えながら扉にまで足早に向かった。
ユリがドアノブを掴もうと手を伸ばそうとするも、彼女が触れる前に部屋の外側からノックオンが聞こえてきた。
「マリーナ、いるかい?」
少年の少しだけ大人びたような丁寧な口調の声。ユリは自分の行動がバレてはまずいと咄嗟に手をひっこめつつ返事をした。
「はい。どうぞ……」
返事を受けた相手は扉を開きユリに姿を見せる。現れたのは彼女より少し身長のある、おおよそランと同じ背丈の少年だ。だが何より特徴的なのは、ユリと同じ黄緑色に輝く髪と瞳だろう。
「……お帰り、マリーナ」
「わざわざ部屋にまで来ていただけるとは、城を出た事といい、重ねてお詫びさせてください。お兄様」
少年の名前は『スフェー ルド ユリアーヌ』。惑星国家ヒカリ王族の一人であり、ユリの兄である。
「丁寧な口調はいい。誰が見ているってわけでもないんだから」
「ああ、それは失礼しました」
優しく話しかける相手に対し他人行儀な言葉遣いを崩さずに妙に視線をずらして身を後ろに引いているように見えた。そしてその理由は、部屋の扉が閉まった途端に露見した。
「マリーーーーーーーーーーナァーーーーーーーーーーーー!!!!」
扉の閉まる音が聞こえた途端に表情が凛々しいものから完全に力を抜いたような朗らかな顔に変化しプールに飛び込むようにユリに向かって飛び出したのだ。
一方のユリはスフェーのこれにノールックで左方向に移動し紙一重で回避。スフェーは部屋の奥の壁に激突してしまった。
ユリは再開してすぐのスフェーの行動に思わずため息をついてしまう。
「ハァ……数日で変わるわけないとは思ってたけど、実際見るとがっかりね」
呆れているユリにぶつかった個所から瞬時に立ち上がったスフェーが表情を急に真面目なもの戻して話を繋げた。
「何を言うんだ! たった一人の妹が突然姿を消したのだぞ!! 私がどれだけ心配に思っていた事か!! 本当に心から心配で心配で心配で心配で……帰って来たと聞いた途端に飛んで来たんだ」
このセリフを一切瞬きをすることなく全くハイライトのない瞳でユリの全身を凝視していた。
「いや心配の数多いわよ。そして一転集中してこっちを見るの止めて! 目の中に全然光を感じないから!!」
「そんな! 自分はただただ外で何か悪い虫でもついていないかと細かく確認しているだけさ」
「悪い虫って何よ!? 私は独り暮らしをしようとしていただけよ!! 男の人と関わるなんて……」
反射的に動かしていたユリの口が止まる。ユリは確かに一人暮らしをするために城を出ていた。しかし偶然のこととはいえ、そこに一人の少年が転がり込み二人で数日過ごしていたのは事実だ。
ユリが気付いて秒を過ぎるか否かのはやさでスフェーは目つきを鋭くさせた。
「うむ? マリーナ、君の身体から男の気配を感じ取れるよ。首に触れられたのか!? それと手を握られたのか!?」
「何でそんなピンポイントなの!!? 怖いわお兄様!!」
しかもスフェーの指摘する箇所は確かにランに触れられている。首に関しては触れられたというより締められかけただが。
だがスフェーはこれにより瞳のハイライトを暗くしながらユリに迫ると問い詰めていく。
「どういうことだマリーナ。城の外で危ない目に遭ったと聞いたが、まさかその時の奴に酷い目に遭わされたのか!?
首に手……他に何処をやられた!! どんなひどい目に遭ったのだ!? この兄に言ってみてくれ。すぐにその相手を消し炭に……」
「スフェー様! マリーナ様が困っておられますよ」
外から割って入ってきた声に動きが止まるスフェー。ユリもジト目をしながら振り返ると、音のなく開けられた扉から二人とそう歳の差がない少女が、分かりやすいメイド服に身を包んで部屋に入って来ていた。スフェーの専属使用人『サルファ・ノアリー』である。
「いや、貴方もしれっとノックなしに人の部屋に入ってこないでもらえるサルファ」
「申し訳ありません。私は突然いなくなったスフェー様の気配を感じつつ追うことに必死だったもので」
「気配を感じて追うって何? しれっととんでもないことしてるんじゃないのかそれ!?」
スフェーがサルファがしれっと言った恐怖発言にツッコミを入れてしまうも、サルファは一切無視をしつつ彼に接近しつつユリに謝罪の言葉をかける。
「すみません姫様。王子、貴方が城に帰って来たって知った途端に血相変えて勉強の最中に飛び出して行っちゃいまして……」
ユリがサルファの言い分からスフェーに対して「そんなことだろうな」とでも口にしそうな顔つきを取りすぐにサルファに対して申し訳ないものに変化させた。
一方のサルファはまたしてもユリに近付こうとするスフェーの間合いに入ると隙を見せない動きで服の襟を掴み、彼がユリに危害を加えないように注意しながら部屋から引っ張り出した。
「さあ、姫様の顔は見ましたし部屋に戻りますよ王子。勉強にお稽古事、連日おぼつかなかった分今日やる事はまだまだいっぱいあるんですから!!」
「やめろサルファ!! 妹を心配するが故に他の事が手に付かない兄の心を理解しろ!!」
「それでしたら過剰な思いを向けられて嫌気がさしている妹側やそれを毎度片付けさせられる使用人の気持ちにもなってください」
「嫌気を指しているだと! そんなことはない! そうだろうマリーナ!! マリーナアァ!!!」
「あぁ……ええっと……」
ユリはスフェーからの問いかけに目線を逸らし答えることはなかった。
ストレートに自分の心情を伝えることこそなかったが、実際サルファの言う通りスフェーのユリへの過保護具合にはほとほと疲れ果てている。彼女が城から出た理由の一つでもある。
再び部屋に一人になりため息をつくユリ。まだ近くに二人がいることを考えると、使用人たちよりよっぽど対処が面倒なのは明白であり、すぐに部屋から出るのはマズいと判断しベッドに座り込んだ。
「数日開けただけであれかぁ……お兄様、もうちょっと妹離れしてほしいんだけどなぁ……」
ついさっきまでいたスフェーに対する文句を口ずさんでいるユリ。唐突なイベントの連発で混乱しかけた頭をもう一度整理整頓しようとすると、真っ先に再びランの顔が思い浮かんでしまう。
「ああもう! なんでアイツの顔ばっか思い浮かぶのよ!! もう……」
だが我に返ってみるとユリはここまで自分の立場を隠してランに接していた。それが故に次警隊がランを拘束する事態になり、細かい事情を説明する間もなく別れる形になってしまった。自分の中でどうにも引っかかってしまっているのだろう。
「せめて、もうちょっと話しておきたかったな……」
ユリは自分の気持ちを声に出してこぼしていると、静かな部屋に「コンッ……」と軽く何かが当たるような音が耳に入って来た。
風で小石でも当たったのではないかと聞き流すユリだったが、間髪入れずに何度も音が響き、考え事をしているとことに集中を乱す音にイラついてきたユリは頬を軽く膨らせてベッドから立ち上がった。
「あぁもう! うるさいわね! 何の音?」
ユリが音の聞こえる方向に歩くと、そこは部屋の窓。それも下の方からだ。そして彼女が窓に近付きかけた瞬間、派手に窓ガラスが割られ、飛び散った破片が部屋中に刺さった。
「フエエエエエエエェェェェェェェェェェ!!? 何々何々!?」
「ようやく割れたか。思っていたより硬かったな」
ユリは窓が割れたインパクトが抜けきっていない状態で窓枠に足をかけて姿を見せた人物に目を丸くした。
「あれ? ユリ、なんでここに?」
「こっちの台詞よ! ラン!!」
ユリが会ったのは、連行の際に分かれたはずのランだった。