SIDEハナエ4
気持ちが不安定でも、彼とは塾で嫌でも顔を合わせる。ハナエの顔を見た時に彼は一瞬眉を寄せたけれど、いつものように学習範囲のチェックが始まった。
ハナエは極力彼のことを見なかった。そして、彼からの視線を感じることも、なかった。彼からの話は、ほとんど頭に入らなかった。
終わったんだな。まあ、始まってもなかったのかもしれない。あのコップの持ち主と二股だったのかもしれないし。私が心に収めてしまえば何も起こらなかったのと同じこと。
面談を終えて階段を降りると目の前に康史が立っていた。ハナエは思い切り顔をしかめた。
『ハナエ先輩、何があったのか、話してください。何もない、は返事にならないから』
『あんたは、なんでいっつも目立つことをするの……』
毒づいたように言った後、康史の手首をつかむと、塾帰りの生徒たちの注目から逃げるように近くのファミレスに入る。店員に2名であることを伝えると、窓際の席に案内されて座ろうとした。まだ康史の手首をつかみっぱなしだったことに気づいて『ごめん』と慌てて手を離す。
『ハナエ先輩ならずっとつかまれていても良かったのに』
おどける康史に言い返そうとしたけど、彼の顔が赤くなっていることに気づいてそっと目をそらした。今更、気まずさが押し寄せてくる。
席について店員にドリンクバーをオーダーしたものの、どちらも立ち上がらず、重苦しい沈黙が落ちた。居づらくなったハナエが立とうとしたときに、康史が『待ってください』と口を開いた。
『ハナエ先輩に……付き合っている人がいる……のは嫌だけど、万が一いたとして、それで先輩が楽しそうなら、いいんです。けど、そうじゃないなら納得いきません』
ハナエは少し目線をあげて康史を見た。彼の顔はさっきよりも赤くなっていた。
『けど、もしも楽しくない、嬉しくないなら、俺と付き合っている方がよくないですか?』
ハナエは、目を大きく見開いた。思わず吹き出す。キョウコがこの場にいたら、どんな理屈だってツッコミを入れるんじゃないだろうか。
でも、言い切った康史の目は真剣そのものだった。さっきまでとは違い、静かな目でこちらを見ている。その康史の表情にハナエは視線を外して落ち着きなく目をさまよわせた。
『笑ってごめん。もう、大丈夫だから』
『それです、ハナエ先輩。その大丈夫はいつも俺のことを拒否するんだよ。今日は絶対にひきません。大丈夫って言っていつもその陰に隠れて泣いてる先輩のそばに俺はいたいんです』
ハナエは左手で鼻と口を覆った。康史には、顔を見せたくなかった。自分の泣く前の顔がバレている人が見たらすぐにばれちゃう。手で鼻をおさえて泣くのを止めようとしたけれど、目のふちから涙が伝ってきた。
『話す、話すから、絶対にミキとキョウコには言わないで』