1 病気じゃないって言ったくせに
「ちょ、ちょっと待って。美里さんは病気で辞めたって言うこと?」
ミキが頷くと、ヤマシタさんは思い切り顔をゆがめた。顔もなんだか赤くかなり怒っているように感じられた。
「……あいつ……、病気じゃないって言ったくせに」
「ですよね、もう、信じられないっていうか、あの当時だってモヤモヤして、でもその時に言ってくれたら、もっと違ったのに」
ミキはそう言ってから、ヤマシタさんの言葉を頭の中で反芻した。首をかしげながら聞く。
「ヤマシタさん、母のことあいつって……、随分、母と仲良かったんですね」
「あれ、ミキさん知らなかったかしら、美里さんと私、高校の時の同級生なのよ」
ヤマシタさんも少し驚いたような表情をしていた。てっきり知っていたとばかりの反応だった。
「……えー、そうだったんですか?!」
「何? 同級生に見えないって思った? どうせ、私は老け顔よ」
ヤマシタさんは口をへの字に曲げる。機嫌が悪い時の表情に、ミキは慌てた。
「や、そ、そういうわけじゃないんですよ! 母とヤマシタさんって話が合うのかなっていうのが意外で」
「ま、そうでしょうね。当時から同級生にもそういう反応されていたから特に驚くことでもないわ」
ヤマシタさんがすぐにいつもの表情に戻ったので、ミキは心の中でホッと息をついた。それでも、背中に汗がつーっと一筋流れた。
「それで、博之さんが、今になって結婚式をやらないかってミキさんに持ちかけてきた、ってことね」
「ハイ」
ヤマシタさんは、腕を組んで、あごに手を当てる。
「あなた、気が弱そうに見えて案外強情なのね」
「は?!」
「根性はあるな、と思っていたのよ。私がアレンジメントで気に入らない、と言えば、違う日に直しに来たこともあるし、私の要望にはきちんと応える。それは、お母さんが作ってきた信用を自分が損なったら嫌だという気持ちがあったでしょうね」
ミキはうなずく。
「一方でそうやって必死に仕事をしなかったら、美里さんを抜かせない、って思ったのかしら。一代で築き上げたものをあっさりと放棄されてそんな母を見返すためには、母からもらった客先は1件たりとも切られてはならないって」
ミキの目が泳いだ。悠介と出会う前までそういう気持ちで仕事をしていた。いつも何かに追いかけられているようで苦しかった。
「美里さんに心配されるようなことはされたくない、美里さんを見返したい。でも美里さんは何も言わないから余計に悔しい……複雑だったわね」
その通りだった。母が店を辞めて数年は、それでも母に会いに行くことはあった。けれど、母は店のことを一切ミキに聞かなかった。ミキがどれだけ頑張って店を支えているのかということを聞いてくれなかったから。ミキは店のことを一切話さない母に腹を立て、認められていないような気がして、段々母の元を訪れなくなった。
正確には、訪れることができなくなった。