2 10年後にこんな風になるなんて思ってみなかった
「母に遅くなるって電話するわ」
子どものように泣きじゃくるキョウコに気を使うように、ハナエはミキに耳打ちした。グレーのスーツに柔らかそうな皮のローヒールを履き、肩に下ろした髪はしっかりとセットされている。優等生でそつがないハナエは昔から変わらない。
「キョウコは、私が引き取るからいいよ。もう帰ったら?」
ミキもハナエに小さな声で返すと、彼女は小さく笑って首を振った。
「こんな時くらい付き合わないと友達って言えないじゃん」
このハナエの義理堅さも相変わらずだな。久々なのを感じさせないハナエにミキの胸が温かくなった。とはいえ、キョウコは一大事だ。ミキも悠介に遅くなる連絡をいれた。キョウコは、子どものように声をつまらせながら、少しずつ、夫の一也との間にあったことを話し始めた。
「最近、やたらとスマホばかり見ている気がしたから……ケータイ覗いたの」
「あー、覗いちゃったか、やっちゃったねえ」
ハナエは水筒をの蓋をあけて口をつけながら言う。
「ハナエは一也の味方なの?!」
キョウコが泣きはらした目でハナエを睨むと彼女は首をすくめた。
「そういうわけじゃないけどさ、見ることで不安になるなら得策ではないよね?」
「っていうか、不安レベルじゃすまないもん。限りなくクロよ。会社の後輩と休日に買い物に行く約束をしてたの」
ミキとハナエは顔を見合わせた。
「会社の用事だったりするんじゃないの?」
「それはわからない。日付と時間と店だけ書いてあって、お店の名前を調べたらアクセサリーショップだった。もしもバレたとしてもごまかしが利くようにごく少ない情報しか送らなかったのかも」
アクセサリーショップって、私にはここ何年もプレゼントもしてくれないのに……つぶやいたキョウコの目は再び潤んだ。
「でも、キョウコ。この間、ダンナさんが外で済ませても良さそうなこと言ってたじゃん」
ミキの言葉にハナエが「そうなの?」と挟む。キョウコは首を振る。
「いいわけ、ないよ。あきらめた方が楽になれるのかなと思って、ミキに聞いてみたけど、実際、こんなことになったら、私がぜんぜん諦められてないって気づいちゃった……バカみたい」
鼻をズビズビと鳴らしながら泣くキョウコの背中をさすりながら、ミキとハナエは再び顔を見合わせかすかに笑った。
「不謹慎だけど、安心したよ」
ミキはつぶやく。キョウコは眉を寄せてミキを上目遣いで見た。
「キョウコが前に来た時、一也さんとの関係をあきらめたようなことを言っていて、なんだかちょっと寂しかったんだよね。昔から何か問題があっても、暑苦しいくらい一生懸命向き合おうとするのがキョウコだと思うから」
「暑苦しいくらい一生懸命向き合う……ミキ、名言だわ」
ハナエも笑い、キョウコもまんざらでもない、という表情になった。
「キョウコはどうしたいの?」
ハナエが聞くと、キョウコは空中を見つめて考え込んだ。
「こればかりは実際に話してみないと何とも言えない……。いつかどうにかなるだろうとか、話さなくてもきっと伝わってるとかそんなふうに思い込んで向き合うのを逃げていたところもあるから。……そういえば、明後日、結婚記念日じゃん。結婚した時は10年後にこんな風になるなんて思ってみなかった」
10年前の私にちゃんと後回しにしないように向き合えって言いたいなあ。そうつぶやきながら、キョウコの顔についた涙のあとにまた一粒、涙が通った。
翌朝、店に一本の電話が鳴った。