4 急な来客に花束を
「ミキさーん、いらっしゃる?」
「……あの声は、ヤマシタさんだ」
キョウコとハナエは顔を見合わせた。もう時間外だというのに、ヤマシタさんの声がするとピンと張り詰めるから不思議だ。ミキはシャッターのそばまで行き、
「申し訳ありません、ヤマシタさん、今日はもう終わりで……」
と言う。
「そうじゃないのよ、すっかり遅くなってしまったんだけど、謝りに来たの」
ミキは慌ててシャッターを開ける。いつも通り、床を蹴るヒールの音。まぎれもなく彼女のものだ。
ヤマシタさんは、「申し訳なかったわ」と言う。あまり申し訳なさそうに聞こえたけれど、いつもよりもうつむいていて表情が見えづらかった。
「私が有給で休んだ時に決裁があったから通っているものと思い込んでいて、気づかなくて」
ヤマシタさんが差し出したデパートの紙袋の中には有名チョコメーカーの箱が入っていた。
「お気遣いいただきありがとうございます。かえってご迷惑をおかけしてしまって」
ミキは紙袋を受け取った。
「いつもより嬉しそうね。気に入ってもらえてよかったわ」と言われて顔が赤くなる。
「まさか、今日のアレンジメントに影響がでていたなんて思いもしなかったわ」
昼間に電話で葉物が多いんじゃない? と言われたことをミキは思い出した。
「スミマセン、どんな状況かもわからなかったから言えなくて……」
「社外の方に気を使わせてしまうなんて……情けないわね。とりあえず、お支払いはちゃんとしますから、来週は今週の見劣りした分、次回は豪華にしてちょうだい」
ヤマシタさんがいたずらっぽい笑みを浮かべたのを初めて見た。ミキもはい、と答える。
「お友達とくつろいでいるところ、ごめんなさいね」
ヤマシタさんが中を気にするようなそぶりを見せたところを、ミキが引き留めた。
「あ、ヤマシタさん、ちょっと待ってもらっていいですか?」
ミキは、暗がりの中でバケツから花を取り、英字新聞にくるんでヤマシタさんに手渡す。
「どうぞ、時期ものの花なのでありきたりですが」
「カーネーション! もうすぐ母の日だったわね。……最近は縁遠かったから嬉しいわ」
カーネーションを受けとったヤマシタさんが一瞬だけ悲しそうな顔をした気がした。彼女らしからぬ表情にミキが首をかしげた。
「ヤマシタさん……?!」
「では、また」
気のせいだったようにいつものヤマシタさんの表情に戻った。夜の商店街に規則的なヒールの音がいつまでも響いていた。
「あれが、噂のヤマシタさんね。なんかさ、高校の時の坂口先生を思い出すような雰囲気だったね」
その後ろ姿を見送るとシャッターを下げて中に戻ったミキにハナエが言うと、キョウコが何度もうなずく。
「あー、サカセン! なつかしー! そう言えば、ミキ、サカセンに目をつけられてたよね。だからヤマシタさん苦手なんじゃない?!」
ミキは眼鏡のサカセンを思い出してなるほど、と思う。
「もう、そんなこと思い出してないで、美味しいチョコ、食べよ!」
キョウコがわーい! と手を出す。ハナエは一瞬手を出して、ためらったように手をひっこめた。
「あー、私、今日はやめとくわ」
「ハナエ? どうしたの? 具合悪い?」
ハナエは曖昧に笑った。
「ミキ、キョウコ、実はご報告が……」