ヒロインの探偵風餡掛け
「あの、私、犯人分かったかもしれません!」
桜崎小春は大沢と執事の光岡を交互に見つめると、自信と不安が混ざった表情で口を開いた。私――一条院楓が小春に一つだけ言いたいことがあるとすれば、殺された私の身を整えてから推理劇をしてほしいということである。彼女が犯人当てを行っている間も私はベッドの上でナイフが刺さった姿でいるのである。せめて顔には布くらいはかけて欲しい。
しかし、小春はそんなこと気づくはずもない。
「まず光岡さん、この部屋はドアに鍵がかかっていて窓も開かないんですよね?」
「はい。おっしゃる通りです。客室はすべて同じ構造で出入口は一つですし、窓は開きません。こういう場合、きっとこういう状況を密室と呼ぶのだと思います」
光岡は汗をハンカチで拭った。
「私の思った通りです」
小春は目を閉じるとうんうんとうなずいて見せる。それはなんとなく水飲み鳥のおもちゃのようで可愛らしい。
「桜崎。お前、本当に犯人が分かったのか!?」
「先生。この部屋の中には楓さんの死体があるだけで犯人はいなかった。そうですね」
「ああ、そうだ」
「この簡単です。犯人は部屋に侵入すると楓さんを殺して部屋から出て行って鍵をかけたのです。そして、それをできたのはマスターキーを持っている光岡さん。あなたです!」
颯爽と人差し指を突き出して光岡を小春は指さした。だが、次の瞬間には大沢に頭を下に押され、強制的に謝罪ポーズに持ち込まれていた。
「うちの生徒が申し訳ありません。本当にアホでして」
「そんな先生ひどいです」
頭を下げたまま小春は抗議の声を上げる。
「桜崎。お前が犯人だとしてお前しか犯行ができない状況をつくるか? もし、光岡さんが犯人なら殺したあとドアを開けておけばいいんだ。そうすれば、一条院が誰かを部屋に招き入れてから殺された風を装えるだろ?」
「あ、本当です。先生も名探偵ですね」
心の奥底から分かったという顔をする小春を大沢はため息と一緒に解放した。その様子を見ていた光岡は非常に困った非常で「そうですね。私もさすがに自分が疑われるような状況はつくらないと思いますねぇ」と諭すように言った。
「でも、気づかなくてやっちゃったとか?」
「ないよ」
「ないですね」
大人二人に否定されて小春はむーと口をとがらせていたが、大人たちはまじめに次のことを考えていた。
「光岡さん、とりあえず一条院の部屋はまた鍵をかけて現場を維持しておきましょう。それに一条院のお嬢さんが死んだとなればあの家も黙っていないでしょうから死体だけでもきれいに返さないと」
「昨日の安達様の遺骸も動かしたのは失敗だったかもしれませんね」
「でも、あれは仕方ないでしょ? さすがに広間に死体を置いとくわけにもいかないし」
私より先に殺された安達の死体は、大沢と光岡、シェフの斎藤の手によってシーツにくるまれ安達の滞在していた客室に移されている。不思議なことに死後、幽霊同士なら安達と遭遇できそうなものであるが、同じ死者である安達は私の前に現れない。私への無礼を気にしているのか、幽霊になるような気概もないのか。とはいえ幽霊同士が気軽に情報交換はできないらしい。
「そうですね。ですが、安達様に続いて一条院様もとなると……」
「次があるのかですよね」
二人の心配はまだ事件が続くのかということだった。光岡は私の部屋のドアをしっかりと施錠したが、その表情は全く晴れず。曇ったままであった。
「そんなの続くに決まってるじゃありませんか?」
小春はどんよりとした光岡の心を見透かしたように不穏な言葉を吐いた。大沢は疑い深いまなざしで、光岡はどうすればいいか分からないという目で小春を見た。小春は姿勢を正すとおほんと演劇のような咳払いをした。
「当てにはしないが言ってみなさい」
「桜崎様は何か知っておられるんですか?」
「ええ、私は考えました。どうして安達君が最初に殺され、楓さんが次の殺されたのか。そして次はだれが狙われるのか。そして、一つの結論にいたりました」
小春は上目遣いに二人の大人に挑むとひとさし指を一本たてて見せた。
「それは一体!?」
前のめりで小春に訊ねる光岡に大沢は「真面目にならないでいいですよ」とアドバイスをしたがうまく伝わりはしなかった。かわりに小春のほうはさきほどの迷推理のことなど忘れたらしくすました顔を見せた。
「名前ですよ。名前。最初の被害者は安達健次、次が一条院楓と、くれば分かるじゃないですか」
大沢は「またベタなことを言いだした」とうなだれたが、光岡は理想的な聴衆であるらしく小春の言葉に熱心に聞き入っている。
「……桜崎様、教えてください。どんな関係があるんですか?」
「それは……あいうえおです」
「あいうえお?」
「そう。あいうえお。『あ』は安達君。『い』は一条院で楓さん。なら次は当然『う』で上川俊也になります。つまりこればABC殺人事件ならぬ『あいうえお』殺人事件なのです」
ABC殺人事件は有名なミステリー小説である。アルファベットの順番で人が殺されるというのがざっくりとした話の流れであるが、ただアルファベットの順番に殺されているわけではない。ちゃんと隠された動機が存在するのだが、この場合はきっと関係ない。なによりも小春の推理には大きな抜けがあった。この屋敷にいるもので名字が『え』から始まるものはいないのである。
おおまかにこの別荘にいるものを「あいうえお順」に並べてみる。
・安達健次――高校三年生。上川の取巻き。夕食後の茶会で毒殺。
・一条院楓――高校三年生。上川の元婚約者。ナイフにて刺殺。
・上川俊也――高校三年生。上川財閥の跡取り息子。
・大沢一――国会議員の息子で教師。
・川部唯子――斎藤と同じレストランの従業員。
・斉藤隆――斎藤と同じレストラン所属のシェフ。
・桜崎小春――高校二年生。上川の後輩で次の婚約者
・御堂達也――高校三年生。上川の取巻き。
・光岡栄作――上川家の執事。
・結城俊――高校三年生。上川の取巻き。
「た、確かに……」
「光岡さん、落ち着いてください。『え』から始まる苗字の人間はいませんから。あいうえおは達成できないんですよ」
大沢が混乱した光岡を落ち着けようとするが、光岡はすがるように小春を見つめると「私、名前が栄作なんです。もしかして、『え』は私が?」
「それは大いにあります。そして、最後は先生です。大沢一で『お』になっておしまい。それが犯人の――」
目的と言おうとしていた小春であったが大沢に後頭部をチョップをされて「あいた」と叫んだ。
「光岡さん、桜崎のいったことは忘れてください。それはピラミッドの底辺に円周率が隠されているとか地球の直径とエッフェル塔の高さは倍数の関係にあるとかそういうこじつけと一緒ですから。どんなものだってこじつけようと思えば共通点を見つけることはできるんです」
「ですが、現に『あ』と『い』が殺されています。もし、これで若様が殺されれば次は私です。一体どうすればいいんですか?」
「ありえません。そんな順番で人を殺してどんな意味があるんです。何の利益もないじゃないか」
「先生はそう言いますけど、綺麗に順番通りに並んだり、ある規則にそって積み上げるのって楽しくないですか? 例えば名前に数字が入ってる人がいて一郎から二郎、三郎、四郎って並べたらちょっとすっとしませんか?」
小春の言うことは分からなくはない。
ある一定のルールがあるとして、それをコンプリートできる術があるというのならやってみたいと思うことはおかしいことではない。私だって犯人だとバレないと分かれば手を出したいと願うかもしれない。
「それは……。確かに気持ちいいだろうけど」
意外にも小春にいくるめられそうになって大沢は少し困った顔をした。反対に光岡は確信を深めたらしく「こうしてはおられません。若様をお守りして犯人を捕えましょう。それが私と先生の命を救うことにもなります」
殺人リストに載っているもの同士仲良くしようとばかりに詰め寄る光岡に大沢は生暖かい返事をすることしかできなかった。そんなことはありえないと思いながらもそういう特殊な動機であった場合、どうすればいいのか分からなかったからだ。
「では、光岡さん、上川君のところへ行きましょう!」
「桜崎様の言われる通りです。若様をお助けしましょう」
二人は上川の客室があるほうへと駆け出すが、大沢は二人と同じ気持ちになれるわけでもなく「どうしたものかね」と私の死体にも聞こえるような独り言をつぶやいて二人のあとを追った。