たまには死体でモーニングを
私――一条院楓の死体を発見することになった一人は、桜崎小春であった。彼女は自分が殺されることはないだろうという楽観的な気持ちのまま就寝し、無事に起床した。彼女は低血圧でぼんやりする頭のまま部屋の中を見回して、五秒ほど停止して自分が自宅にいるのではないことに気づいた。
正方形の部屋にはベットに小さな文机と椅子といった最低限の家具しかなく手洗いや姿見のたぐいもない。小春はふぁーと大きなあくびをして自分の髪に触れる。くせ毛気味の髪が左右上下に散らかっており、鏡を見るまでもなくセットが必要だと分かり、彼女は舌打ちをした。万事控えめで人に対して怒りを向けるということをしない小春にとって唯一の不満は生まれ持ったくせ毛である。朝の貴重な時間がセットに費やされるというのは確かに腹立たしいに違いないと思うが、私はさらさらのストレートなのでそんな苦痛はほぼない。
きっと小春にこのことを言えば、いくら彼女といえど黒い感情をあらわにするかもしれないが、死人に口なしということでぐっとこらえることにする。
彼女はパジャマを脱ぎ捨てると桃色のシャツに白いロングスカートに着替えるといかにも清楚なお嬢さんといういで立ちに姿を変えた。ただ、髪の毛だけが前衛芸術やロックシンガーのようになっている。小春は頭にタオルをインド人の様に巻くと部屋の扉に耳を押し当てる。
しばらくの沈黙。扉の先から人の声や足音はしない。小春は自身の幸運に感謝すると部屋を飛び出すと一気に赤文字で『湯殿』と書かれたプレートの部屋に駆け込んだ。更衣室には人の気配はなく完璧に自分一人だと分かると小春は安堵のため息をついた。タオルを取って鏡に向かうとメドゥーサのように跳ね上がった髪の女性が写っていた。
もうここまでくるとシャワーを浴びたほうが簡単だろうと更衣室に備え付けられている蛇口に頭を突っ込んで水を流す。冷たい水が頭から頬へ流れ、洗面台に落ちていく。ほどよく髪が濡れたところでタオルで髪を拭く、爆発していた髪はおおむね落ち着いていたが、完璧とはとても言えず、ドライヤーにブラシ、コテとさまざまな道具を駆使して仕上がったのは二十分後であった。
さらに目と口元に淡いメイクをいれ、彼女は鏡に向かって微笑みかける。
たれ目がちでアライグマのように可愛い女性がそこにいた。かつて、このアライグマのように可愛いという表現をしたところ小春は「私……アライグマ?」とひどく落胆したのを覚えているがそんなにおかしいだろうか。私はとてもいいと思うのだがなかなか理解されない。これも悪役令嬢ならではの孤高の悩みといえるかもしれない。
ようやく朝の身だしなみを整えた小春は周囲の視線を気にするような動きでてとてとと私の部屋の前に来るとひどくか細いノックをした。その音はあまりに小さく、室内の私が生きていたとしても「屋鳴りかな」と思ってスルーしたに違いない。
返事がないことに小春は困った顔をしたあともう少しだけ大きなノックをした。
「あ、あのー、楓さん大丈夫ですかぁ……。なんちゃって……。大丈夫ですよね」
声をかけてもなかなか全く音がしないことに小春は何とも言えない表情をした。ただ、きっとこの問いかけなら中の私は間違いなく無視したに違いない。私は「なんちゃって」という人間を信用しない。
沈黙に耐えられなくなったのか小春は私の部屋の右隣の部屋のドアを叩く。その叩き方は容赦がなくひどく大きな音がした。
「先生ー。楓さんが部屋から出てきてくれません」
声に反応するように部屋の中からヨロヨロと男性が顔を出す。その表情は目が覚めているとはとても言えず。あごひげがまばらに伸びている。大沢はドアの前に立っていた小春を見つけると「なんだ?」と頬を掻いた。
「だから、楓さんが返事してくれないんです」
「そりゃー、犯人がいる場所にいられねぇって部屋にこもった奴が返事するわけないだろ?」
「違います。『こんな殺人犯がいる場所にいられるわけないじゃない! 私は部屋に戻らせてもらいます』です」
「よく覚えてるねーお前さん。でもさ、普通さ。婚約破棄された人間が、その原因になった人間に声をかけられて朝から気分よく出てきてくれるかねぇ?」
大沢は盛大に首をかしげると部屋にもどろうとするが、小春はその腕をつかむと強引に私の部屋の前に連れて行った。
「私じゃ開けてくれないなら先生なら開けてくれますよね?」
「それはどうかなぁ? 一条院は俺たち全員が犯人の可能性があると思って部屋に閉じこもってるんだ。開けないと思うけど」
「そんなことありません。楓さんと先生は仲良しさんですからきっと!」
仲良しさんと表現されて大沢はひどく嫌な顔をしたが私も彼と仲良しさんか? と言われると似たような顔をせざるを得ない。別段、教員として尊敬するところが大沢にあるわけでもないし、人間的にも微妙なだ。せいぜい年長者という点では認めるがそれ以上の加点要素はない。
「おーい、一条院。起きているかー? 起きてたら返事しろー!」
ドアに前から大沢が声をかけるが当然なかから返事はない。
「ああ、あんな分かりきった死亡フラグたてるから」
小春は頭を抱えて座り込む。
「いや桜崎、犯人は別に死亡フラグをたてた人を殺してるわけじゃないと思うぞ」
「えっ? そうなんですか? でも、例えば自分が犯人だとしてちょー分かりやすい死亡フラグたてた人いたら「ああ、殺しとこうか」って思いませんか?」
「桜崎。すごくサイコパスな発言をするな。そんな殺したいから殺しました。みたいな動機あってたまるか。普通は死ぬほど相手が憎いとか殺すと何かいいことがあるから殺すんだ。そんな遊びみたいな理由ではできない」
「……でも、それってすぐにバレません? 全然関係ない人を殺したほうが疑われたりしなくていいと思うんです」
「バレて逮捕されるから安全な日常があるんだよ。犯人の目線で考えれば、全く関係ない場所で関係ない人を殺すと捕まりにくくはあるだろうさ。でも、それで何が手にはいるわけでもない。それじゃリスクと見合わない」
人の死体が扉を挟んで反対側にあるというのにひどく不適切な発言を繰り返す二人であったが、さすがになかから全く反応がないことが不思議になって来たらしく、大沢が言った。
「桜崎。執事の光岡さんに頼んでマスターキー借りてこい」
「マスターキーなんてあるんですか?」
「そりぁ、あるだろ? こんな屋敷だ。鍵をなくしたときとかのためにもスペアはあるだろう」
「こういうときって蹴破るものじゃないんですか?」
「ドラマならな。ドアを蹴破るとかどんだけ力がいるんだ? それに弁償するの大変だろ」
「あ、わかりました」
小春は無垢な小動物のようにコクコクとうなずくと広間のほうへと向かっていった。しばらくすると光岡が小春に連れられてやって来た。流石に光岡はばっちりと服装も髪も整えており、すでに仕事を始めていたようだった。
「大沢先生。これは一体? マスターキーくださいと桜崎様から言われまして何が何だか?」
「ああ、すいません。桜崎はアホなので気にしないでください。一条院の部屋なんですがいくら声をかけても返事がない。無事なら無事でいいのですが、姿を一度確認しておきたい」
大沢の背後でアホと呼ばれた小春が「えっ?」と首をかしげるが光岡と大沢はそれを無視した。
「分かりました。開けましょう」
光岡は首元からかけていた鍵束から一本のカギを選んで、私の部屋の扉に差し込んだ。手首を回すとガチャンと鍵が外れる音がした。光岡と大沢は入る前にもう一度ノックをすると「はいりますよ」と呼びかけを行った。
中からの反応はなく二人は顔を見合わせたあと大沢がゆっくりと扉を開けた。
室内は明かりこそついていなかったがはめ殺しの窓から入る朝日で明るかった。正方形の室内に置かれたベットの上では真っ白なシーツと掛布団が朱よりもはるかに濃い赤で染め上げられていた。シーツの端のほうはすでに血が渇き始めているのか血が黒くなっていたが人型をした掛布団から飛び出たナイフの柄の周辺はまだ血が渇いていないらしく鮮やかな赤が残っていた。
大沢の背後からそれを見た光岡と小春が部屋に駆け込もうとするが、大沢は両手を広げて二人が室内に入るのを押さえた。
「入っちゃいけない」
「どうしてです。楓さんが!」
「そうです。早く治療をしませんと一条院様が!」
二人を押しとどめたまま大沢は部屋の外に出ると二人に行った。
「犯人がまだ中にいるかもしれない」
大沢の言葉に光岡がはっとした表情をする。彼はこの部屋が密室であることに気づいたのだ。正方屋敷の客室は出入り口になる扉としか外界へのアクセスがない。まどはついているが開閉は不可能だ。
「光岡さんは入り口を警戒してください。もし、俺が襲われたら加勢をお願いします」
そういうと大沢はもう一度私の部屋の中に入ると左右を急いで確認した。だが、そこにはベッドと文机に椅子。ハンガーラックしかない。人が隠れられそうなのはベッドのしただが、覗き込んでも人はいない。大沢は意を決したように人型に膨らんだ掛布団をよける。そこには一条院楓が胸を二か所刺されて死んでいた。一か所は心臓。もう一か所は気道の真上だった。
「だめだ。死んでる……」
「うそ、楓さん!?」
小春が驚きで目を大きく開いた。光岡のほうは非常に淡々とした様子で大沢の言葉にうなずいた。
「一度部屋から出よう」
大沢にうながされて部屋の外に出る。光岡は「現場は保存しておくべきでしょう」と言って再び部屋に鍵をかけた。
「安達に続いて一条院まで……。いったいどうなってるんだ」
大沢が舌打ちをする。光岡はさらに事件が続いたことにひどい狼狽をしていたが、この三人の中で桜崎小春だけが何かに気づいた様子で手を挙げた。
「あの、私、犯人分かったかもしれません!」