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悪役令嬢の死亡フラグまみれ

 安達健次は死んだ。


 息を乱し、胸を掻きむしり、見えもしない天国をのぞくように空を見上げ、そして崩れ落ちるように倒れた。彼が倒れたあと周囲にいた私たちは誰一人まともに動くことはできなかった。そして、彼の死を知らされてからようやく動くことができた。


「う、嘘でしょ? 安達が死んだ?」


 上川は理解と不理解で崩れたバランスを押さえるように右手をテーブルについたまま訊ねた。だが安達の死を確かめたシェフの斎藤は「本当です」と短く答えた。彼は近くにいた執事の光岡にも安達の脈をとらせたが答えは同じだったらしく表情を押し殺した様子で「お亡くなりになっております」と執事らしい報告を行った。


「……まずは警察に連絡をしよう」


 教師である大沢は学生である私たちにではなく、彼と同じ大人である光岡や斎藤、侍女の川部に向けられていた。しかし、光岡は首を左右に振った。


「それはできません」

「上川家の別荘で死人がでたから、とは言わないでよ。俺はやる気ないけど一応は教師なんだ。さすがに生徒が死んだとなれば本気を出すのもやぶさかじゃない」

「違います。この屋敷には電話がないのです。この正方屋敷は、俊蔵様が人を避けておつくりになったものです。外部からの連絡も入らなければ、外部への連絡もできないのです」


 光岡は振り絞るような声をだした。俊蔵は上川の祖父でこの別荘を建てた人物である。財閥の創業者らしくときに奇想に取りつかれたという彼が電話を設置しないと決めれば周りの者はそれに従ったに違いない。とはいえ……。


「あの、よろしいかしら?」


 私が声をあげると大沢と光岡がバッと音を立てるような速さで私を見た。


「電話がなければ車でふもとまで行けばいいじゃない」


 今日、私たちがこの屋敷にどうやってきたのか? 答えは単純だ。車である。少なくともこの屋敷には三台の車があるはずである。一つは私が乗って来た車。二つは上川たちが乗ってきた馬鹿みたいに長い車。そして、最後がシェフである斎藤と侍女の川部が乗って来た車だ。


「ああ、なるほど」

「そうか!」


 光岡と大沢は慌てた様子で広間を出ると玄関のほうへと走っていった。死体のそばに立っていた斎藤はさすがに少し気持ち悪くなったのかティーポットの近くに置かれていた布巾で汗と口元をぬぐった。川部はまだうまくことが理解できていないらしく斎藤に「どうしたらいいでしょう」と口早に訊ねていたが美味い回答は出てこなかった。


 安達と親しかった上川や御堂、結城の三人もさすがに死体に触れるのは嫌らしくすこし離れたところで「嘘だろ」とか「どうして安達が?」と騒いでいた。小春は口元を押さえたまま呆然と安達と上川たちを交互に見ていたが死体には一歩も近づこうとはしなかった。


 しばらくすると光岡と大沢が帰ってきて斎藤に声をかけた。


「……だめだ。車は全部パンクさせられていた」


「まさか。では警察には連絡できないと」

「山道を歩いていけば明日の午後くらいには麓にたどり着けるとはお思うのですが……」


 彼らが何に悩んでいるのか私には分かった気がした。


 もし、誰か一人にふもとまで向かわせたとして、その一人が安達を殺した犯人ならそのまま逃げてしまうのではないかと考えたのだ。また、二人で出て行ったとしても、同行者が犯人だったとき残りの一人が殺されても同じことになるのである。それは同行者の数を増やしても同じだ。それに屋敷に残された人々も大半が未成年となり犯人が屋敷の中に残っていた場合、さらなる犯行が繰り返されるかもしれない。


 結局、どちらの場合も危険性は変わらない。


「この旅行は一泊二日の予定です。明日を過ぎれば誰かが不審に思い迎えか、警察を呼んでくれるかもしれません。いえ、上川家の者なら間違いなく迎えに来ます」


 光岡は自分に言いふくめるように大きな声で言った。

 大沢はそれに反論する明確な言葉がなく押し黙った。


「……安達は殺されたんですか?」


 それは上川が訊ねた言葉だった。光岡と大沢はお互いに目配せをしたが答えたのは大沢のほうだった。


「落ち着いて聞いてほしいのだけど、安達はおそらく殺された。呼吸の乱れと心臓を掻きむしるような動きをしていたから毒殺だろう。俺は専門じゃないからどんな毒とかははっきりとは言えない。だが、安達が心臓や肺機能の持病があったとは聞いたことがない。だから、毒殺というのがもっとも現実的な死因だ」

「……だとすれば、犯人はその女しかいませんよ」


 上川はまっすぐに私を指さすと名探偵の様に鋭い目を見せた。


「上川。なにをいっているんだ?」


 大沢は上川を止めようとしたが、それをかき消すように御堂が声を出した。


「そうだ。一条院楓が犯人だ。彼女は今夜の晩餐のことを恨んで安達を殺したに違いない。安達が君に料理を投げつけたり、罵声を浴びせたのが許せなかったのか!」

「御堂の言うとおりだ。君は婚約を破棄された腹いせに僕たちを皆殺しにするつもりなのだ!」


 彼らの発言はとてもまっとうとは言い難かった。しかし、この場所でもっとも安達を殺す理由があるのが私だという点は正しい。私に暴言を繰り返し、あまつは料理を投げつける。それは確かに万死に値する。極刑だと言ってもいい。


 だが、幸いというか。残念というべきか。私は彼を殺していない。だが、それを証明する術はない。もし念じただけで人を呪い殺せるのなら、私は真に悪役令嬢と言えたのだろうが現実はそうではない。


「それは素晴らしい迷推理ですね。探偵さん方。私が犯人だとしてどうやって私が彼を毒殺したと?」


 私は座席に戻ると安達が座っていたところを指さした。


「私と彼は先生を挟んだ位置です。これでは彼のカップどころか手にも届かないでしょう」


 席から私は手を伸ばしてみるが、大沢が座っていたあたりまでしか手は届かなかった。


「なら、なにかトリックを使ったんだ。カップやスプーンに毒を塗ったとか」

「私が紅茶を入れたのならそうかもしれませんが、紅茶は斎藤さんが淹れて、川部さんが配膳してくれたものですわ。だとしたら斎藤さんか川部さんのいずれかが私の共犯。または二人ともが共犯となります」


 私の言葉に川部が「違います! 私人殺しなんか」と叫んだ。


 斎藤も「僕たちは上川様に雇われてきただけです。川部とは同じレストランの従業員ですが共犯なんて」と否定をした。その点は上川にとっても同意だったらしく「確かに安達とこの二人が知り合いとは思えないか」と弱弱しくうなずいた。


「光岡さん、カップとかお菓子の配り方は何か指示をしましたか?」


 黙っていた大沢が光岡に確認する。


「お菓子もお茶も食器も同じものですから誰にどれとか指示をする必要はありません。だから、置きやすい場所から置いていったというのが本当のところです」

「だろうね。そういうわけで一条院が犯人っていうのは難しい。それにいま俺たちが疑いあっても意味はない。俺たちは警察じゃないんだから」


 大沢は諦めるようにうながすが、三人の探偵たちはまだ諦めがつかないようだった。そんな男たちをおもんばかってか小春が小さく手を挙げた。


「あ、あのー。皆さん、紅茶に砂糖を入れたと思うんですけど。砂糖を取るときに、こっそり毒を入れたら次の人を殺せるんじゃないかなって思うんですけど」

「さすがは小春。良い考えだ。まぁ、俺も今それを言おうとしていたところだがね」


 上川は小春に微笑みかけるが自身へのフォローを忘れなかった。


「そうね。それだと殺せるとは思うわ。でも、砂糖をどういう順番で使ったか覚えてるかしら?」

「え? そーですね。まず最初に上川君が使って次に私、次が御堂君でその次が結城君。先生はミルクが来てからでいいって言って安達君が先につかって最後に先生が……。あれ?」


 小春は首をかしげるが、結城はひどく慌てた様子で「違う! 僕じゃないよ」と上川にすがった。上川もそれを信じたいらしく。「分かってる。分かってるから」と結城を落ち着かせた。


「ありがとう。小春。それだと砂糖を使ってない私には犯行ができないわね」

「いえ、どういたしまして……えっ?」


 小春は何かやってしまいましたかね、と笑顔のまま顔をこわばらせた。


「桜崎。別にいいよ。砂糖に毒が淹れられていたなら最後につかった俺も死んでるから。液体にしろ固体にしろ砂糖に混ぜられたのならあとから使う人間には多かれ少なかれ口にすることになる」

「あ、そうですね。覆水盆に返らずっていうんでしたけ? そういうの」

「まぁ、そんな感じだ。とりあえず、犯人当てとか考えるな。無事に帰れるよう努力をしようじゃないか」


 大沢はそう言って聞かせたが、一度ついた疑心の炎を消すのは難しいに違いない。


「先生の言うとおりだわ」


 私がわざとらしく頷くと「一条院は分かってくれるか」と大沢は笑顔を私に向けた。だが、彼の笑顔はすぐに曇ることになった。なによりも私も気づくべきだったのである。世の中には死亡フラグというものがあることを。


「こんな殺人犯がいる場所にいられるわけないじゃない! 私は部屋に戻らせてもらいます」


 勢いよく席を立つとそのまま戸口に向かう。背後で大沢が「それはダメだ」とか「死亡フラグ」とか言っていたが私の耳には入ってこなかった。自室に戻った私はすぐに内側から鍵をかけた。そのまま寝ようか、と考えたが窓が眼に入ったので、窓に近づいてみる。外は和風の庭園が拡がっているが暗くてよく見えない。窓には開閉できるような場所はなくただの明り取りであるようだった。手で押したり引いたりしてみたがグラつきはない。これなら外から斧でも叩きつけない限りは入れないに違いない。


 私はカーテンを閉めるとベットに飛び込んだ。


 甘美な睡魔が近づいてくる。理性は衣服を着替えるように訴えるが、疲れ切った私には睡魔から逃れることはできなかった。そのまま眠りに落ちた私の最後の記憶は胸元への激しい衝撃と流れ出る血の生暖かさであった。突き刺さったナイフの刃は私の心臓をあっという間に停止させた。


 痛みが少なくてよかった。苦しいのは嫌だから。

こうして悪役令嬢である私は死んでしまった。だが、死亡フラグの先にも続きはあるのである。

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