欠席裁判の判決はデザートのあとで
四畳半という間取りをご存じだろうか。
かつては草庵風茶室の典型的な広さを表すものであったが、現在では苦学生の安下宿を表す代名詞となっている。ある人は中央にいれば部屋のすべてに手が届く素晴らしい間取り。小さな宇宙と称したが、縦横の縮尺が等しく正方形をしたその部屋は確かに美しいと言える。とはいえ、客室として用意された部屋が四畳半であるとどうにも息苦しさを覚える。
もし、嫌がらせとして四畳半があてがわれていたのなら怒りを露わにするのであるが、この正方屋敷にある客室はすべてこの四畳半なのである。さらに言えば、この屋敷自体が巨大な正方形をしており部屋という部屋が正方形をしているのである。唯一、正方形でないのは廊下だけであるが、これさえも空から見下ろすことができればロの字になっている。
この精神がおかしくなるような屋敷を造ったのは上川俊蔵という。私を婚約破棄した上川俊也の祖父にあたる。彼はのちに財閥といわれる上川電気を一代で巨大化させ買収によって会社をドンドンと大きくさせていった。彼の信念の一つに均等というものがあり、特定の分野に先鋭化することを極端に嫌った。その信念を一つの形としたのがこの正方形で構成された正方屋敷だという。
毎年、正月になると俊蔵は役員をこの屋敷に集めて宴会を催したというが、このような座敷牢のような部屋に通された人々の気持ちはどのようなものであったかは考えたくもない。部屋の中には上等ではあるが簡素なベッドとハンガーラック、文机と椅子があるだけだ。テレビや音楽機器のような娯楽はない。カバンからスマートフォンを取り出してみるが、圏外の文字が表示されており最先端の利器も電波圏内のものだと示していた。
こんなことなら小説の一つでも用意しておくべきだと思ったが、あとの祭りでどうしようもない。
ベットに倒れ込み天井を見つめているとドアをノックする音が聞こえた。
「どなたです。欠席裁判の結果なら報告は無用です」
「そんな分かりきった報告はないな」
扉から聞こえたのは大沢の声だった。教師だというのに酔っているのか呂律がやや怪しい。
「あら、先生。でしたらどのようなお話かしら?」
「冷たい生徒だねぇ。先生に戸口で喋らせるなんて」
「うら若き女生徒の部屋に教師が入るほうがいろいろ問題だと思いますけど」
少しの沈黙のあと「ああ」という間の抜けた声が聞こえた。どうやら本当に気づいてなかったらしい。家柄以外はダメ教師というのは事実らしい。
「君と上川との婚約は欠席裁判で破棄が成立したよ。俺が言うことじゃないけどあまり品がない晩餐で一気に飯が不味くなったよ」
「そのわりには口元にタルト生地がついてますよ」
慌てて口元をこするような音がした。
「嘘ですよ。今日の献立からデザートがタルトだと思っただけです」
「献立からそんなことわかるのか?」
やや怒った様子で大沢が言う。どうやら口元にタルトのカスはついていなかったらしい。
「いいえ、分かりますよ。先生は今日の料理が何から始まったか覚えておられますか?」
「西洋風の漬物だった。キャベツとかズッキーニだったかな。それが寒天のようなもので固められて塩気と酸味のバランスが抜群であのひどく香りのいいリキュールとよくあった」
「漬物は典型的なオードブルです。その次はコンソメスープでしたね。フランス語で完璧なを意味するこのスープは濁りを許されず。見た目とは裏腹にひどく手間のかかるものです。これも先生は美味しそうにすすられていました」
「コンソメがあそこまで美味いと思ったことはなかった」
それはそうだろう。一流のレストランともなればコンソメスープには細かな手順が厳密に定められて色合いさえも変えることは許されない。綿密な計算でつくられたスープが不味いことなどあるはずがないのである。
「良い感じの塩気と旨味で食欲が増したところに出てきたのは白身魚のムニエルにバジルソースとアスパラガスに添えられたレモンバターでした。これも先生は美味しそうに食べておられましたね。このころから私は上川君たちから明確な敵意を受け始めました」
「あれも美味かった。ムニエルもアスパラもよく食べているもののはずなんだがな」
それはバターが違うのだ。どうにもバターといえば無塩か有塩の二つだけだと良く思われているが、発酵を利用した発酵バターや香草などを混ぜ込んだものもある。今回のムニエルには香辛料を練り込んで熟成されたバターが使われていたのだろう。魚のにおいが上手く消されて香ばしさが引き立っていた。
「フリカッセもお口にあったようですね」
「フリカッセ?」
「焼き炒めた鶏肉を生クリームで煮たやつです」
「ああ、あれか。あれはシチューじゃないのか?」
「全く違います。フリカッセは玉ねぎや鶏肉を炒めてからブイヨンと生クリームで煮たものです。シチューは野菜と生の鶏肉を煮込んだものです」
「一緒じゃないか?」
「いいえ、全く違います。フリカッセは一度焼くことで旨味を肉の中に凝縮させた肉メインの料理です。反対にシチューは生から肉を煮込むことで旨味を煮汁に移す汁物です」
大沢が理解できないといったような「ほー」といううなり声をあげる。すくなくともさっぱり理解できていないに違いない。
「その次は覚えているぞ。骨付きの牛カツだ」
「違います。コートレットです。これは子牛や羊の骨付き肉に塩と香辛料でシンプルに味付けをして小麦粉、卵、パン粉をつけて揚げ焼きにしたものです。牛カツのように油の中にドボンと入れるわけでもありません。それにパン粉が違いませんでしたか?」
「パン粉? ああ、そういえば妙に細かいパン粉で口の中に残らなかったな」
「パン粉としては細かいほうが本格なんです」
「そうなのか? でも俺はあの粗いパン粉のザクザクと歯ごたえの強いのも好きだぞ」
「それはトンカツとか牛カツの衣としてですよね。たっぷりの油で揚げるなら粗いパン粉でもいいでしょう。しかし、揚げ焼きをするコートレットだと衣が分厚いときちんと通らなくなります。どちらが良いとかではなく調理方法の違いです」
私が説明するとようやく酔いが抜けてきたのか。大沢が「なるほどな」としっかりした様子で答えた。
「で、この料理でデザートがタルトだと分かるんだ?」
「ああ、そうでしたね。それですけど、先生はその答えをすでに答えられましたよ」
私は意地悪く声を上げて笑う。
「お前さんねぇ。そういう風に笑ったりするから性悪とか言われるんだよ。先生はそんな風に性格が歪むような教育した覚えないんだけどなぁ」
「あら、先生がそれほどまで教育熱心だとは知りませんでしたわ。指導とか教育とかそういうものとは無縁というのが先生への評価でした。これは評価を変えなければなりませんね」
扉の向こうで大沢が髪をかくわずかな音が聞こえる。どうやら図星というところといら立ちのためだ。意地悪が過ぎたかと若干の反省と自制の必要性を感じていると屋敷を引き裂くような悲鳴が聞こえた。それは映画などで聞くような女性のものではなく野太くかすれた男のものだった。
私は慌てて扉を開けると大沢が屋敷のどちらから声がしたのか分からないのか左右をきょろきょろと見回していた。
「先生。一周回ればすぐにわかることです」
この屋敷の廊下はロの形をしているのだ。どの部屋から悲鳴がしたのだとしても一回りすれば行きつくはずである。私が駆け出すと大沢が少し遅れて走り出した。その足取りはしっかりしていて酔いはすっかり冷めたようであった。