事件が解決したら消えるタイプの探偵だよ
「美食家に相応しい。素晴らしいお言葉ですけど、私とあなたとでは美食の定義が違うようです。私なら凡庸な食材を最上にまで引き上げる調理方法、味付け、環境を作ることが美食の要訣だと思います」
「しかし、世の中はそうじゃない。より希少な食材。より少量な材料にこそ価値が置かれる。そういう意味では人肉はその忌避感、調達の難しさから珍味と言えるだろう。聖王と呼ばれる周の文王は自らの息子の羹を食し、旧約聖書のなかでさえ、『あなた方は自分の息子の肉を食べ、また自分の娘の肉を食べるであろう』と記される。さらにのちになれば薬だ。妙薬だ。と食べる理由をつけた。さらに飢餓になれば仕方がない。どうしようもないとしてこれを食べた。そのうえで柘榴と色を例え、豚や羊肉、場合によっては牛よりも旨いと語られる。海亀のスープなどでは禁忌の味であることに気づきながら貪る。おそらく、人の肉と言う物は美味しいのでしょう。それを同族殺し、非人道と悪にせねば人が滅びるほどに」
「それよりも、斎藤シェフ。その発言は自白だと思ってよろしいですか?」
私――一条院楓と同じ顔、同じ声でありながら町田紅葉はひどく異なる笑みを浮かべた。おそらく、きっと私たちには絶対に交わらないところがあるのだろう。
「いいえ、これはあなたが人肉について話されたことへの推測の話です。自白などではありません。なにより、そのさらに乗っている者が人か羊かは、食べずには分からないでしょう。いや、食べても分からないということもあるでしょう」
「そういっていただけて良かったです。せっかく考えた推理を披露できなくなる心配がなくなりました。では、いまからあなたが犯人であることを証明しましょう。おそらく、それが私の責任でしょう」
「あなたにどんな責任があるかは分かりませんが、どうぞ」
斎藤は左手をまっすぐに伸ばして紅葉に向ける。
「では、斎藤シェフがなぜ川部さんのローストを作ってしまったのかについて考えてみましょう」
食卓に並ぶローストの火入れは完璧で赤色と灰色のコントラストが美しい。だが、この肉が人であるとおもうと禍々しくさえ思えた。
「委員長ちゃん。それは上川が斎藤さんに『誰も食べたことがない料理を出せ』といったことのことかな」
上川の顔色が変わる。こわばった表情で斎藤と卓上の料理を見比べる。自分が言ったセリフが川部を殺した。言葉だけで人は殺せる。それを気づいたのかもしれない。
「いえ、おそらくその時点では誰も食べたことがない『料理』であって『食材』ではありません。ですが『食材』に考えがシフトしてしまった契機はあると思うんです。それはおそらく一条院楓の死です」
「一条院の死がどうしてそのきっかけだと?」
大沢はどちらでもよさそうな顔をして、手元にあった餃子の皿から餃子を一つつまんだ。行儀が悪いが、よくこの状況で物が食べられたものだ。
「ええ、そうです。最初に伝えられた一条院楓の死因は、腹部をめった刺しにされた出血死です。これって料理で言えば血抜きがされた状態だと思いませんか?」
「委員長ちゃんは血抜きされた死体があるから斎藤さんがこの人肉ローストを思いついたと?」
「そうです。事件のあと斎藤シェフには不可思議な発言がありました。安達と一条院が死んで半日経ってから急に死体を冷やそうと提案したのです。死体の腐敗を気にするならもっと早くするべきですし、どうせあと半日から一日後には助けが来るのにいまさら冷やす必要はないはずです。しかし、斎藤シェフは提案をしました。つまり、彼の中でなにか考えに変化があったのです」
「誰も食べたことのない『料理』から食べたことのない『食材』へ考えが変わったということか。だけど、現実には一条院の死体は虚構であり、存在しなかった」
「一条院の死体が失われた。結果、斎藤シェフの考えは頓挫した。ですが、なかなか人というのは最初の案を捨てきれないものです。私たちが一条院楓の死を計画通りに実行したのと同じように斎藤シェフも思い付きを捨てられなかった。だから川部さんが殺されたのです。食材を手に入れる。そのためだけに」
全員の視線が斎藤に集中する。
彼はそれを受けて平然としていた。
「もし、そうだとして川部さんを殺す理由にはならないんじゃないかな? 食材にするのならここの誰でも良かったはずだ」
「誰でもいい。そんなことあなたは思いません。料理を出す以上、あなたはそのホストとゲストを殺すわけにはいかない。そうなると光岡さんと川部さんだけが残る。ですが、その二人なら『食材』に向いているのは明らかに川部さんです。よく牛肉とかで聞きますよね。肉質が柔らかいのはまだ年の若い牛。さらに雌のほうが脂の乗り良い。となれば年を取った光岡さんよりも川部さんが選ばれるのは明らかです」
光岡の表情がこわばる。もしかすると皿の上に載っていたのが自分だった可能性を思ったのかもしれない。しかし、紅葉の考えには大きな矛盾が残されている。彼がゲストを殺すことをしないというのなら、安達殺しの犯人は別にいることになる。
「確かに肉として考えればそうだろう。だが、君はすでに安達君を殺したのが俺だと言っている。今の推理からすれば俺はゲストを殺すことをしないのじゃないか?」
「そうですね。安達がゲストならそうでしょう」
「彼はゲストではなかったと?」
「ええ、彼はあなたにとってゲストではなくなっていた。そもそも彼がゲストの資格があるかを試したのが安達殺しなんだと私は思っています。初日の晩餐で安達は料理を一条院に投げていた。およそまっとうなゲストならしない行動です。そこで斎藤シェフは安達を試すことにした。幸いなことに屋敷内には殺鼠用の毒団子が転がっており、彼を試すには十二分な材料があった。
あなたは浴室で倒れた安達を介抱する傍らで彼の手に毒を塗った。そして、彼に猶予を与えた。お茶会までに彼が手を洗ったり、手を何かで拭うなどすれば助かるそういう猶予です。ですが、彼は手洗いをすることもなく現れ、スコーンに毒のついた手で齧り付いて死んだ。安達はゲスト資格を失っていたから殺された。私はそう考えています」
確かに素晴らしい宴には良いゲストが必要だ。
もし、ゲストの中にろくでなしが混ざっていれば宴の質は劣化するに違いない。
「ホストでもない俺がゲストを選ぶ。やや、強引な気がしますね。それを認めても今度は川部さんが殺された密室の謎が残っています。彼女は浴室という密室の中にいた。それはあなたの仲間である桜崎さんが証明しています」
確かに、川部が殺されていた浴室は密室だった。
向こう側が透けて見えるようなガラス戸の向こうとは言え、鍵がかかっていれば密室である。
「ええ、それがもっとも理解できなかったことです。例えば、アリバイを成立させるための密室だった場合。川部さんが殺されたときアリバイがあったのは小春と上川だけ。他の人間はアリバイがない。これでは密室を作る意味がない。
次に死体が浴室にあることを隠したい場合。すりガラスの戸を閉めても向こう側の様子は分かります。特に血の色や何かがあるかないかなんてものは簡単にわかる。死体が見つからないようにするのなら更衣室の扉をこそ閉めるべきです。そうすれば中に何があるかはもっと分からないはずです。
最後は誰かに罪を擦り付けるためだった場合。これは最初から無理がありますよね。浴室には川部さんの死体だけしかなかった。もし、浴室内に気を失った御堂でもいれば彼が犯人だとなったはずですが、実際はそうではない。
あの場で密室を作る意味がないんです。でも、犯人は密室を作った」
「それは犯人にだけは密室を作る理由があったってことかな?」
大沢が斎藤を見つめながら言う。
「そうです。あの時点で犯人と私たちだけが知っていたことがあります。それは自分たち以外に人殺しがいるということです。私たちで言えば一条院殺しは私たちが犯人だけど、安達殺しは真犯人がいる。反対に安達殺しの犯人からは一条院殺しの真犯人は別にいる。ということが分かっているんです」
「それはそうだろうね。だけど、それで密室を作るというのはおかしくないかい? 別にもう一方の真犯人がいるからって密室を作る道理はない」
「密室自体はそうかもしれませんね、先生。でも、密室で肉を切り取られていることも分からないほど血まみれってどこかで聞いたことありませんか?」
「そりゃあ、真犯人が川部さんの肉を採りたかったから……。ああ、そういうことね。一条院と同じってことか」
大沢は伸ばした左手に右手を叩きつけて音を鳴らした。
「そうです。血を抜くのも肉を採るのも都合がよく。何よりも犯行が一条院殺しとそっくりになる。まさか一つの屋敷に二人も殺人犯がいるとはなかなか思いません。殺害方法をそろえてしまえば犯行を押し付けることができるかもしれない。一石二鳥ですよね」
確かに私の死体が初めに発見されたときはそうだった。鍵がかかった部屋のなかでめった刺しにされて血まみれになった死体。それはまるっきり川部とおなじだ。違うのはそれが虚構であるか事実であるかだ。
「でも鍵の問題が残るよ、委員長ちゃん」
「浴室の引戸ってどんなものか覚えてます?」
「ああ、覚えてるよく銭湯とかでみるアルミ製の引戸で内側に鍵があるタイプだ」
「引戸なら簡単に動かなくできると思いませんか?」
「つっかえ棒のことならなかったよ。というかそんな目立つものがあればすぐに気づく」
「いえ、もっと簡単な方法です。あれってレールの上をコマのついた引戸が滑ってるだけなんです。だからコマを止めてやれば動かなくなるんです。コマに何かを挟む。巻きつける。コマを曲げてしまう。方法はいろいろあります。だから、鍵がかかっているように見せかけることは馬鹿でもできます」
小春が首をひねる。
「じゃーあの戸は開いてたけど動かなかっただけですか?」
「そうだと思うわ。だってその戸を斎藤シェフが蹴破ったんでしょ? ガラス戸なんだから蹴破るよりもガラスを割って内側に手を突っ込んで鍵を開ける方がよっぽどスマートでしょうに」
「ええ、そうですか? 川部さんが殺されてるかもってときにスマートとか考えます? バーンと壊しちゃった方が確実じゃないですか?」
架空の扉を吹き飛ばすように小春が両手を前に勢いよく伸ばす。
「なら、小春。浴室まで言って引戸の鍵がどうなってるか見てきなさい。デッドボルトが飛び出したまま曲がっていれば、鍵がかかっていたと、言えるし、逆ならあなたたちが戸を蹴破ったとき鍵がされていなかったと言えるわ」
紅葉が言うと小春は少しだけ考えると「行ってきます」と手を振って部屋から出ていった。
「およそ、すべて説明できたと思います。斎藤シェフ。いかがですか?」
紅葉は斎藤の顔をのぞく込むように腰を曲げる。
「……参ったよ。考えてみれば一条院さんが君という時点で俺はもうどうしようもなかったのだったね。それで、俺はどういう役割を与えられるのかな?」
訊ねる斎藤の表情には罪悪感の欠片もない。
「もっとあがいていただいていいんですよ。そのほうが真犯人っぽくていいですよ」
「そんなこと無意味だろうし。すでに目的は達している身だ。引き際くらい分かる」
「あなたは最高につまらない人ですね。斎藤シェフ。つまらないついでに聞いておきましょう。美味しかったですか?」
紅葉はいままでにない冷たい目をした。それはどこまでも相手を軽蔑するものだった。だが、その質問に口元をゆがめて頷いた。
「そんなつまらないあなたは、つまらない痴話げんかで恋人の川部さんを殺害してしまった。そういう話になります。そう、この屋敷では全く異なる事件が立て続けて起きたことになります。一つは、婚約破棄から始まったもの。二つは将来を信じられなかった若者の自殺。そして最後が痴話げんかによる殺人事件です。どれも別々の話で、上川家に関わるものは一つだけ。そして、それもすぐに忘れられる。そうなるんです」
紅葉がこの事件の結末だけを指をおりながら伝えると、遠くから車両が屋敷の駐車場に入ってくる音がした。その車両の数は少しづつ増えていった。
「紅葉さん、言ってたとおりデッドボルトは曲がってませんでした」
そう言って小春が戻ってきたときには強面の捜査員と明らかに警察と違う別の組織の人間が屋敷の中に入ってきていた。
そのなかで上川だけがひどい顔をしていた。
「上川達也さん。今回はこういうお別れになって申し訳ありません」
紅葉が頭をさげると近くにいた小春も「すいませんでした」と頭をさげた。上川はそれを幽霊と接するような表情で「あんたたちは一体何なんだ」と力なく尋ねた。それに対して紅葉は少しだけ考えてから大沢に訊ねるような視線を送った。大沢は視線に気づくと柔らかい笑顔で言った。
「良い青春だっただろ? 二人の女性に挟まれて、仲の良い友人がいて、愉快な先生がいた。過去形にするのは忍びないがどんなものにも終わりはある。俺たちとしてはもう少し良い終わりにしたかった。もし、君の父親に聞くなら『共同体』と言えばいい。君が財閥に相応しい人間だったら教えてくれるだろうさ」
その口調はひどく生徒思いの教師のようだったが、実際の彼はそんなものではない。
「行こうか」
大沢が歩き出すといくにんかの警察官がそれを遮ろうとしたが、スーツ姿の男たちが耳打ちをして彼らを止めた。警察官のうち一人はひどく敵意に満ちた視線を送ったが、大沢はおろか紅葉も小春も足を止めることはしなかった。




