手洗いうがいの大切さを教えるタイプの探偵だよ
場違いなウィンクで、観衆を黙らせた町田紅葉に向けられた目線は冷たい。それでも彼女は全く動じる様子はない。
「なんですか? 美女がウィンクしているのですから誰か一人くらい胸を射抜かれたらどうですか?」
「はい!」
小春が勢い良く手を挙げる。彼女が何かに前のめりであるときはだいたいろくでもないことがあると私――一条院楓は知っている。おそらく紅葉も同じことを知っているらしく先ほどのウィンクから左側の顔の筋肉が引きったものに早変わりしている。
「紅葉さんより私のほうが可愛いので無理です」
「小春。お願いだから黙っていなさい。そっちのほうがもっと可愛いから」
小春は可愛いとほめられたの嬉しかったのか。お口にチャックをしたように黙ったままうんうんと頷いた。それと同時に「はーぁ」という重苦しいため息をついて紅葉はまじめな顔を皆に向けた。
「さて、安達がなぜ殺されたのか? この問題はまずスルーしましょう」
「委員長ちゃん、それはどうしてかな?」
大沢が質問をする。
「安達が死んで得をする人がいないからです。多少家柄のいいボンボンだと言っても彼は上川以下でほぼ一般人の高校生でした。彼が生前できたこと。なしえたことを過大に認めても、彼の人生を閉ざして獲られる利益というのは人殺しと見合わない、と思います。だから、動機は無視して、誰ならできたかから考えるのがベターでしょう」
確かに安達は上川の取巻きでそこそこのお坊ちゃんだった。上川よりもお調子者。御堂よりも少し暴力的。結城より短慮。というところはあったがそれによって罪に問われたような過去もない。高校生にいるちょっとリアクションの大きなバカというのが彼である。
きっと彼が死んだからと言って世界は変わらないし、そのために世界を変えたいと思う人もいないだろう。
可哀そうな言い方になるが、ニュースなら彼は「良い家の息子さん」と近所から言われるくらいの存在だ。
「なんだか同じ平凡な人間としては、死んで利益なしと言われるのは響くねぇ」
「先生が平凡? どういう冗談ですか? 私なんか先生のせいで人生が狂ってるんですけど? もし、先生を殺して普通で済むなら私、先生を殺しますね」
「ええ、ひどくない?」
「……」
小春が口だけをパクパクと動かして助けを求める大沢に何かを伝えようとする。おそらく、黙っているほうが可愛いと言われて声を出さずにいるのだろう。
「小春。それはバカっぽいわ。可愛くないからやめなさい」
「ああ、よかったです。私も不便で困ってたんです。というわけで、大沢先生のほうは酷いと思いますよ」
「うちの生徒は酷いなあ」
嘆いて見せるが大沢本人はそれによって傷つきさえしていないに違いない。
「先生がどうかは別にしても、安達の死の影響はほぼない。だけど、安達は殺された。なぜというのは難しいので、どうやって殺されたのか考えます」
「安達が毒入りの紅茶を飲んでしまったのかは、俺たちも散々に議論をしたがどういう方法も安達個人を狙うことはできなかった」
上川が安達を毒殺する難しさを訴える。
「確かに安達を毒入り紅茶で殺す方法は大きく三つがあります。
一つは、安達が座る席に毒入り紅茶を狙っておく方法。
二つ、砂糖やミルクといった個別にカップに入れるものに毒を入れる方法。
最後は安達自身が自分のカップに毒を入れる方法です」
上川を含め結城、御堂が顔をしかめる。最初の二つについては散々可能性が潰されており、答えは最後の一つだと分かっても大事な友人が自殺したとは認めたくない事実に違いない。
「……そんなはずはない。安達は俺たちと同じ大学に決まって自殺するような理由はない」
「理由はない。それでは困るんですよ。少なくとも私たちとあなたの父親は安達を自殺ということに決めたのですから。安達は進路に悩んでいた。このまま友達に流されて同じ大学に行くべきか。自分だけの可能性を探して他の道を選ぶか。はたまた自分の能力に見切りをつけて絶望したのか。理由はそんなところにして彼は自殺したことになります」
「それもまた、俺か?」
「はい、そうです。上川家の別荘で毒殺事件は起きていない。ただ、将来を悲観した学生が自殺した。そういう話になります」
上川にとってもダメージの少ない方へ。それは徹底されていた。紅葉の言葉は、決定を覆すことはしないというような強さがあった。
「……お前たちはそうするのかもしれない。だが、真実はどうなんだ? 安達は自殺などしていない。誰かに殺されたはずなんだ!」
上川は真実を求めて声を乱す。その様子を紅葉は駄々っ子が泣き叫んでいるのを見るような冷たい目で見た。
「真実。そんなものはどこにもありませんよ。でも、求められるのなら答えましょう。魔法の鏡はそういうものなのですから。そもそも、あなたたちはどうして毒殺されたことと毒が紅茶の中に入っていたことがイコールになるんですか? 私はずっと疑問でした。誰も彼も毒は紅茶の中だといいますけど、それは決めつけてませんか?」
確かに安達が死んだときから今まで毒は紅茶に混入させられていたと、誰もが思っていた。
だからすべての推理はどうやって紅茶に毒を入れるかが議論されてきた。もし、それが違っていたとすれば話は変わるに違いない。あのとき紅茶と一緒に配られたお菓子はスコーンだった。毒がそちらに仕掛けられていたのだとしたら。
「いや、だが紅茶と一緒に配られたスコーンだって誰が受け取るかは決まっていなかった。条件はスコーンだって紅茶と同じのはずだ」
「そうですね。スコーンも誰がどれを手にするかは決まっていませんでした。ですが、二つの条件はまったく違います」
「なら何が違うっていうんだ!」
「紅茶とスコーン。全然違いますよね。そういえば、手洗いうがいってとても重要なんですよ。ある研究では手洗いによって感染症へのリスクが二割近く低下し、うがいでも一割近い数字で効果があることが示されています。皆さんも食前には手洗いうがいを忘れないようにしないといけません」
紅葉が何を言っているのか分からないとばかりに上川の言葉が止まる。確かに手洗いうがいはとても大切な習慣だ。特に口やのどから体内に入る感染症には大きな効果がある。だが、安達の死因は感染症ではない。毒殺である。
「紅葉さん、でよろしいのでしょうか?」
困惑した上川のかわりにシェフの斎藤が質問をする。
「どうぞ、シェフの斎藤さん」
「もしかして、あなたは安達さんの手に毒が仕込まれていたと言いたいのですか?」
「正解です。流石はシェフ。衛生のことにも気を使っていらっしゃる。というわけで、安達は手に毒を仕込まれていたのです。犯人は風呂場でひっくり返った安達の手に屋敷内で見つかった毒を塗ったのです。そして、手洗いうがいをせずにスコーンを食べた安達はそれを摂取して死んだ」
紅葉は手を大きく開いて皆に示した。
「あ、なるほど。紅茶はカップからいただきますけど、スコーンはこうやって手で持って食べる。だから条件が違うんですね」
小春が分かったとばかりにパッと明るい顔をする。
「なら、安達の手に触れた奴が犯人か」
「確か、風呂場で倒れた安達君を起こして部屋へ送ったのは斎藤さんでしたね」
結城が低い声で斎藤を睨む。上川ははっとした様子で斎藤を睨みつけると「お前が安達を」とつかみかかりそうな表情をした。
「ストーップ! 安達の手に毒を仕込むことは別に斎藤さん以外でもできます。状況証拠だけで疑ってはいけません。真実云々を求めるのならそれは大前提です。私たちのように結果が最初にあり経過を合わせる人間はそんなこと気にしませんけどね」
上川達を紅葉は制止すると広間の扉を指さした。
「例えばあの扉のノブに毒を塗りつけておけば扉を開けた人間の手に毒を仕込むことができます。もっと簡単な方法を言えば、殺したい相手の部屋のノブに毒を塗ればいいんです。それだけで毒を仕込むことができます。これなら誰でも毒を仕込めます。だから、斎藤さんだけを疑うことはできません。依然として誰が犯人かは分かりませんが、手洗いうがいの大切さと安達が狙って殺されたことは証明できたのではないでしょうか?」
紅葉が問いかける。それに対して誰も反論はできなかった。
発見された毒は殺鼠剤を丸めた団子として、屋敷の様々な場所に置かれていた。それを使えば誰でも仕込むことはできたに違いない。
「なら、誰が犯人だというんだ?」
「さぁ? それを知るために私がいなかったときに起きた殺人について考えましょう。そう、川部さんが殺された事件です」




